第7話 狂女と聖女 ~revenge~ ①【白雪セリカ視点】
「結、赤染先輩!」
《時間停止》解除の瞬間、私は思いっきり叫ぶ。
「――――え?」
「…………?」
完全に停止していた二人は困惑したようにあたりを見回す。
二人から見れば、西園寺さんは突然消えて窓ガラスが割れていることになる。
「説明してる時間は無い! けど、これからすぐに《赤い羊》が来る!」
簡潔に説明する。西園寺さんの言葉をそのまま信じるのは危険かもしれないけど、あの状況で嘘を吐くメリットは西園寺さんに無い。素直に信じたほうが安全だ。
「……何らかの異能が使われていた?」
赤染先輩は目を細め呟く。
「西園寺要は!?」
結が焦ったように私に尋ねる。
「異能を使ってこの場を去った!」
「あれ、そうなの? 新しいSSSにご挨拶したかったんだけどなぁ~~残念」
朗らかな“あの女”の声。気づけば、天井を蹴り上げて突っ込んでくる紫の悪魔が眼前にいた!
は、や、過ぎる――――っ!
これが、身体能力強化? 花子と同じくらい早い!
さっきの西園寺さんが戦闘慣れしてないから渡り合えただけだと気付く。身体能力強化にランクは関係ないから。赤染先輩と結なら同格なのかもしれない。けど、こいつらは本物の快楽殺人鬼。
SSはSS特有の強さがある。快楽殺人鬼としてのどうしようもない強さが!
《五感奪取》――ゴカンダッシュ――
「指定、視力」
「「「――――ッ!」」」
突然、暗転する視界。
さっきの《無限崩壊》とは違う。目を開けているのに、何も見えないし、何より、この視界の闇には殺意と悪意しか感じない。メアリーの闇には優しさと愛があったけど、やっぱりこいつの闇は駄目だ。存在そのものが許せないと思う!
「セリカ! 早く《守護聖女》を――――」
《五感奪取》――ゴカンダッシュ――
「指定、聴覚」
結の声が、何かにかき消される。
――――。
――――。
――――。
無音。完全なる無音。沈黙の世界。
目の前が何も見えず、何も見えない。
ま、まさかこの異能は――――。
思考が答えに辿り着く直前、足が消えた。
――――足?
何故そう思う?
立っているという感触が消えた。
触覚を、奪われた?
あああ、あああ、ああああ……。
頭がパニックになる。冷静になれない。おち、落ち着け私……。胸に手を当てて、《守護聖女》を撃て。それで終わりだ。
あ、あれ?
でも。
――――手って、どこだっけ?
肌が空気に触れている感覚が無い。
呼吸をしているはずなのに、空気を吸っている感覚が無い。
目も見えず、耳も聞こえず、足場の感覚も肌の感覚もない。
いつの間にか匂いも消えた。さっきまで吸っていた無臭の空気すら、何も感じない。自分の唾液を飲み込んでみても、何もない。
な、なにもない……。
思わず、足から崩れ落ちる。廊下に倒れたはずなのに、何の痛みもない。床に身体がぶつかる感触すらない。
なら、私はそこに存在していると言えるのだろうか?
《守護聖女》――シュゴセイジョ――
記憶を頼りに、胸に手を当てて《守護聖女》を撃――――
――――った筈なのに、何も起きない。
手の位置が違った? それとも胸の位置?
もうワケガワカラナイ。
もし記憶通りに《守護聖女》を撃ったのに当たらなかったとしたら、私の手ってまだあるの? リリーに切断されているのかもしれない。
ゾッとする。目の前の状況が何一つ分からないことに。
そもそも私、まだ生きてるのか?
死んだことにすら気付けていないのだとしたら?
「ああああああああああああああああああああッッッ!」
思い切り叫んでみる。
のに、声は聞こえない。自分の声が聞こえるという当たり前すら、奪われた。
――――死。
本能的に感じる。
無が、これほどまでに怖いものだなんて知らなった……。
今、仮に死んだとしても、もし身体が死んでも自我が幽霊か何かになって残るのだとしたら……私は気付かないだろう。
クスクス。
クスクス。
反響する幼い少女の笑い声が聞こえる。
――――誰?
私の中に、誰かがいる。
赤いランドセル。
赤い学年帽子を被った、幼い頃の姿をした私が、体育座りをして目の前にいた。
「殺されちゃうね」
クスクス。
「死んだことにすら気付かない間に殺されちゃう」
蠱惑的な微笑みを浮かべる少女。私と同じ姿、同じ顔、けれど小学生の頃の私の形でソレは言う。
「死ぬのが怖いのは痛みがあるから? 違うよね、死んだことにすら気付けない方がよっぽど怖い。死は終わりであり、始まり。いつ終わって始まったかすら分からなければ、永遠の迷子。見つかることのない迷子だよ。誰か見つけてって泣きながら、永遠に永遠にどことも知らない場所を彷徨い続ける。そんな死は残酷だね」
クスクス。
「死ねば無になれる? 誰がそんなこと保証してくれるの? もし死んだあとオバケになったらとか考えないの? 心理学は精神の、科学は生命のメカニズムは保証してくれるけど、魂のメカニズムまでは保証してくれないのに。自分と他人の違いを脳や肉体の違いでしか証明できないのに、肉体の消滅と魂の消失の因果関係を誰が証明してくれるの? ねえ、教えて教えて。愚かな私に教えてよ?」
クスクス。クスクス。
誰だ……この子は……。
まさか……このことなのか……。
この、私の中で笑っているこの少女の形をしたナニカが……《処女懐胎》なのか?
「誰、あなたは……」
「私? 私はメアリーとあなたによって生み出された、あなた自身の絶望から生まれたモノだよ、セリカ」
「あなたは、もう一人の私なの?」
「部分的な、という注釈はつくけど概ねそうだよ。《処女懐胎》は精神を分裂させ、強制的にもう一人の人格を生み出す異能。だから《守護聖女》で無効化できない。だって生み出された後の私もまた、私なんだから。私を消すことは私にもできない。そう、だから私はあなたの絶望だけから作られた人格。ジェネシスだって、ほら」
ボゥ、と小さな私から溢れ出すのは……ジェットブラックジェネシス。
「名前はまだないけど、いつか付けてくれると嬉しいな……。セリカ」
クスクス。クスクス。
「いずれ私とあなたは同化するの。あなたが全てを諦めた時、私はあなたに。あなたは私になる。けど、今はまだその時じゃないみたい。だから、特別に助けてあげる」
「助けて……くれるの?」
目の前の小さな私は、私から生まれたものとは信じたくないほど、妖艶だった。そんな存在が、私を本当に助けてくれるのだろうか?
「いつも何かを真っすぐに信じるセリカでも、私のことは信じられないんだね」
クスクス。クスクス。
笑いながら、小さな私は漆黒の翼を生やして私の耳元に顔を近づけて囁く。
「《守護聖女》ではもう駄目。間に合わない。《聖女抱擁》を使って。そうすればまだ手はある。手から撃つのではなく、自分の身体に巡らせるイメージでね」
「《聖女抱擁》を?」
「それから、もう一つの白について特別に教えてあげる」
クスクス。クスクス。
「精神。《守護者》の領域。もう一つのFランク。色はスノーホワイト。到達条件。聖なる憎悪をその胸に抱き、それでも正義を貫こうとする“不屈の闘志”を持つこと」
「憎悪を……?」
「大切なモノを壊されたり、大切な人を殺されたりした時に、許せないと思う気持ちもまた憎悪。人はよく許せと、手放せというけれど、自分の大切な存在を壊された時に憎悪を抱かないことは果たして、善と言えるのかな? 正義と言えるのかな?」
「…………」
「家族や友人を凌辱されて殺されてヘラヘラ笑って許せるほうが、よっぽど悪だと思わない? そんな薄っぺらな“想い”が、愛なの? 優しさなの?」
「――――違う。そんなの愛でも優しさでもない。気持ち悪いほどの偽善だと思う」
「善の本質が利他なら、悪を許さない憎悪からは絶対に逃げられない。誰かを愛するということ、誰かを想うということは、その誰かを壊された時の憎悪を肯定するということ。たとえそれが、復讐と呼ばれる悪だとしても」
「たとえ……それが、悪だとしても」
悪を憎む正義の心もまた、復讐という悪。
復讐という悪を否定するもまた、偽善という悪。
悪の迷宮。こうなってくると、もう何が善なのかも分からない。
復讐という悪を否定するというのなら、誰かを想う気持ちそのものが嘘ということになる。本当に想い、愛しているのなら簡単に悪を許せるはずもない。
そしてその悪は、それは愛と善に密接に繋がっている……。
「ねえ、小さな私。それなら、本当の善なんてこの世にあるの?」
善を極めた者だけがたどり着けるGランクの領域。そんなもの、この世にあるの?
「“それ”を見つけられなかった私が、私だよ?」
クスクス笑いながら小さな私は言う。
「……そっか、そうだよね」
「そう気を落とさないで、セリカ。絶望も、そんなに悪いものではないよ? だって、絶望は希望と違って絶対に裏切らないから」
「それが、あなたの真理?」
「そう、私の真理。さあ、行っておいでセリカ。そして私のところに帰ってきて。私達二人で絶望の真理に到達すれば、完成する。私の力は、これでもまだ半分だから」
……半分? これで?
目の前の小さな私が放つジェットブラックジェネシスの量は、さっきの西園寺さんと同じくらい。
「……私は、それでもGランクを目指すよ」
「どっちにもなれるよ、セリカなら。神にも、そして悪魔にも」
クスクス。クスクス。
「ヒントはこれでおしまい。それじゃあ、“また”ね。セリカ。私の声は普段は聞こえないけれど、あなたが希望を諦めたとき、私の声は聞こえるよ。私はいつでもあなたの傍にいる。あなたの影として、あなたの光として……」
「……バイバイ、小さな私」
にっこりと蠱惑的に微笑む小さな私に心の中で手を振り、私は自分の中に放つ。紫の怪物、快楽殺人鬼リリーと対決する為に。
あいつだけは……絶対に許さない!
《聖女抱擁》――セイジョホウヨウ――
霧が晴れるように、視力、聴覚、触覚、嗅覚、味覚が回復する。
目の前に現れるのは、二人の怪物。
結の首を左手だけで締め、赤染先輩のお腹を素手で貫通させ笑っているヒコ助。
唇を舐めながら、嗜虐的な笑みを浮かべ倒れている私を見下ろしているリリー。
私はいつの間にか四肢を切断され、リリーに胸の部分を思い切り踏まれていた。確かに、この状態で《守護聖女》は間に合わない。さぞかし滑稽に見えたのだろう……。
けど、《聖女抱擁》で切断された四肢も瞬時に再生する。これなら、まだ戦える!
「……絶対に許さない。お前たちだけは……絶対に許さない!」