第6話 Fランク VS SSSランク⑩【白雪セリカ視点】
「……一瞬、記憶が無い。シスターかアルファか。デルタはありえないし。あいつらが出てくるなんて、よっぽど君に思うところがあったんだろうね」
一瞬で白は黒に反転し、西園寺さんは苦笑する。
目の前にいるのは、“その人”ではなくなっていた。でも、名前は覚えた。彼女はシスター。私と同じ……Fランク。白いジェネシスの少女。
「…………西園寺、さん」
「……分かったよ、セリカ。“私”は降りる。マザー、シスター、アルファ、デルタは手ごわいけど、頑張って。私に君は殺せない。だって……」
西園寺さんは泣きながら微笑む。
「さっきの。あんなこと言われたの、初めてだからさ」
「……っ」
「少しだけ時間を稼いであげる。私から離れて、セリカ。……」
西園寺さんは多重人格者。私は彼女の言葉を受け入れ、ゆっくりと西園寺さんから距離を取る。
「一つだけ、忠告。もしデルタが出たら、迷わず逃げて。説得は通じない。特徴は、“常に笑顔”なこと。天使みたいな愛くるしい笑顔しかヤツは浮かべない。けど、“最悪”の人格。ただただ殺戮と悪意に特化した悪魔みたいなヤツ。ランクは私ですら分からない。ジェットブラックと、パープルと、スカーレットの3つの色がごちゃ混ぜになった混沌としたジェネシスカラー。ジェネシスのバグみたいな存在。私たちの最終兵器」
3色がごちゃ混ぜ? 思わず鳥肌が立つ。
「分かってる範囲で、異能は4つ。半径3メートル以内の人間の心臓の鼓動を強制的に止める《心肺停止》。そして、半径3メートル以内の人間を瞬時に老化させる《刹那老化》。触れた相手の肉体を腐らせる《腐食枯渇》。触れた相手の意識を乗っ取り、身体を自分で解剖させる《解剖遊戯》。でも、私でも分かるのはこの4つだけ。異能を他の人格全員にすら隠し通してなるべく分からないようにしてる。私に4つだけバラしてるってことは、この4つは案外どうでもいい異能なのかもしれない。覚えておいて、デルタが出たらまず逃げること。いい?」
「デル……タ? うん、わかった。気を付ける!」
「死なないでね、セリカ」
そう言って、西園寺さんは微笑む。その笑顔がどうしても優しくて、温かくて、涙が出そうになる。優しい死になろうとした彼女とこれきりもう会えないなんて嫌だった。
「ねえ!」
最後に一つだけどうしても聞きたい。
「?」
「あなたの名前を教えて」
「私は……メアリーだよ、セリカ。変な名前だって、笑わないでね」
そう微笑んだ直後、西園寺さんの表情が変わった。
「……白雪セリカ。やはりあなたは本当に厄介な存在ですね」
ゆらゆらと、西園寺さんから溢れ、揺れるジェットブラックジェネシス。
直感する。“この人”が時間を止めた人だと。
また殺し合いが始まるかもしれない。《聖女抱擁》を使い、私は背中の傷を癒しておく。
「あなたは……マザー?」
「人を自死へ導く異能は人の持つデストルドーに直接、精神的に干渉する《処女懐胎》や《無限崩壊》だけではないのですよ、セリカ様。もともとメアリーだけであなたをどうこうできるとは思っていません。あなたは“特別”な人。全力で……自死へ導けなくとも、たとえ最終兵器の人格、デルタを出すことになったとしても……」
西園寺さんは忌々しそうに私を睨み据える。
「ただ、もう“仕込み”は終わりました。あなたの放つ光は、そのまま反転しより深い闇となるでしょう。《処女懐胎》はメアリーの究極の切り札。多重人格者だけが使うことが許される、《守護聖女》すら軽く凌ぐ至高の異能なのですから……」
「……私に、“何”をしたの?」
身体に、心に違和感は無い。けど、確かに何かをされた感じはあるという不気味さはある。それに、《処女懐胎》という異能力の名前も不穏な響きがある。
「いずれ分かりますよ……。フフ」
《守護聖女》――シュゴセイジョ――
自分自身に異能を撃ち、無効化する。何かをされたとしても、《守護聖女》なら解除できる!
異能は確かに発動した。けど、何の手ごたえもない。先輩の《監禁傀儡》を解除した時は確かな手ごたえがあった。けど……今の《守護聖女》には何も手ごたえがない。
「無駄ですよ。誰も自分自身を無効化することなどできない。“もう生まれてしまった生命”を《守護聖女》で消すことはできないのです。それが、《処女懐胎》の真髄。でも、だからこそ“自ら死ぬ”ことに価値がある」
「私に“何”をしたの……。ねえ、答えて!」
「あなたはこの世界の、人間として、矛盾している。壊れてるんですよ。生まれながらに。私と同じように、けど全く私と違う壊れ方をしてる。奇跡のような、綺麗な壊れ方を……」
「壊れてる? 私が?」
「生物にはすべからく生存欲求がインプットされている。セットで、食欲、睡眠欲、性欲という三大欲求。ただ、欲求の本質を突き詰めていくと“安心”に辿り着く。人間は安心したい生き物。だからこそ他人に依存するし、お金を求めるし、自分に価値を求めたがる。他人を見下すのは自分が優れていると安心したいから、だから必ずヒエラルキーを作り、それを無限に繰り返す。そういう愚鈍な生き物の筈なのですが、私とあなたには“それ“がない。”支配欲“という人間として無ければならない欲求がない。《思考盗撮》であなたという人間の本質と、その”キレイな歪み“を私は理解しました」
「…………支配、欲」
「そして、それは透様にも無い。皮肉にもジェネシスの殺人ランク最下位のFランク、最上位のSSSランクに近い存在は、支配欲を持たないのです。でも、だからこそ人間より“遠く”に行ける。透様の“生の自由”と、私達の“平等な死”とは違う答えを、もしかしたらあなたなら出せるのかもしれませんね……」
「違う……答え」
「全ては零様に愛され、零様を愛したが故なのでしょう。あなた達は二人で完全。闇を愛する光と、光を愛する闇。私たちの絶望をも超えうる何かがある。あなた達二人が揃うと、神の気配すら感じる……。だからこそ、あなただけは必ず死なせます。零様無しの、あなた単体なら不完全。不完全な存在なら、私には届かない」
意味深に、寂し気に、けれど慈愛を思わせる微笑を西園寺さんは浮かべる。僅かなジェットブラックジェネシスを身にまといながら。
「私は……今の私には、あなた達を否定できる答えが無いよ。死が平等という真理は、心の底から、正しいと思える。でも、それを受け入れてしまったら、もう“この先”には行けない。それは、悲しいことだと思う」
いつか必ず死ぬのに、それでも抗う意味。
漠然と生きている“だけ”の状態を、本当の意味で生きているとは言えない。
生とは状態ではなく行動。生きるという行動なんだ。息をしているだけでは、状態。生きているとは言えない。
死に抗えるとしたら、恐らくは“そこ”にしか答えはないのかもしれない。
生きるという行動、行為そのものに、価値があると信じられるから、生きられる。生きようと思える。ああ、なんて難しい……。
でも、生きているだけの状態の人に、西園寺さんが到達した真理を否定できる材料は無い。恐らく、過半数の……いや、8割以上の人は西園寺さんの真理に呑まれて死ぬだろう。体験したから分かる。人間には、死に向かっていく欲求が確かにある。
生命である以上、死を克服することはできない。
でも、生命であるからこそ死と向き合うことはできる。
死からは逃れられないけど、死への欲求なら超えることはきっとできる。
そう、私は信じてる。
「光を放つ人間は闇を否定する者でしかない。なのに、あなたはその闇すら包み込んでしまう。認めますよ、セリカ様。私はあなたが怖いです。こんな途方もないジェネシスという力を手に入れたのに、私は《守護聖女》と《聖女抱擁》しか使えないあなたがどうしようもなく怖い」
「……私も、あなたが怖いよ。でも、少し安心した。同じ人間だって、ようやく思えたから。さっきまでだんまりだったのに、やっと、対等に話してくれたね。嬉しいよ」
「…………」
西園寺さんは複雑そうに表情を歪めたあと、目を細め、少し遠くを見据える。
――――隙だ。
《守護聖女》を撃とうか迷ったけど、撃てなかった。ずるいと思ったから。
こういうところが結に怒られる要因なんだろうな、と内心苦笑する。
「……このジェネシスの気配。そろそろリリー様が来ますね。何故動けるのかは分かりませんが、恐らく透様の異能。やはり彼らもセリカ様と同様、一筋縄ではいきませんね。リリー様は“途中経過まで”は私の思想に限りなく近い人なのでとても会いたいですが、今は眠気が酷いので引きます。彼らと対話をするにはどうしても暴力が必要ですが、今は難しい。メアリーに時間を取られ過ぎました……ね」
うつらうつらと瞼を重そうにしながら、西園寺さんは呟く。
「――――え?」
思考が凍り付く。
今、なんて言った? リリーが、来る?
「《赤い羊》を倒し、それでもまだ生きていたら“私”が死なせてあげます。シスターにはもう会えませんよ。そしてできれば、デルタも出したくはない……。願わくば、あなた自身の闇に呑まれて死んでくれることを祈ります、セリカ様。……ああ、それと」
西園寺さんは不敵に微笑み、言い忘れていたことを付け足してくる。
「私は、マザーです。それでは、さよなら」
そう言って西園寺さんは廊下の窓ガラスを剣を召喚して割って、翼をはためかせて外へと消えていった。
パチン。
指を鳴らす音が響くのと同時。
――――止まっていた時間が動き出した。