幕間 骸骨と花子④
皆がぞろぞろと部屋を出ていく中、僕といばら姫ちゃんが取り残される。厳密に言うなら、ベッドで眠る透さんと百鬼零もいるにはいるが……。
「どうしたの、骸骨。珍しく動揺しちゃって」
小馬鹿にするように、いばら姫ちゃんは微笑う。
「……脳の移植なんて簡単に言うが、実際にできるのかい? 透さんにもう《絶対不死》はないんだろう。ジェネシスの発露すら不安定だし、Fランクに《絶対不死》は期待できない。もともと、そのスペアの脳とやらはどこまで信頼できる代物なんだい?」
僕はできるだけ平静を装いながら、いばら姫ちゃんにそう尋ねる。
「本来であれば脳のスペアなんて現実的ではない。けど、ヒキガエルの《人肉生成》には人肉を作り出す以外にも、肉の腐敗した組織と鮮度を蘇らせる効果がある。《殺人カリキュラム》の実施前に透の頭蓋骨を破壊して、私は脳みそを取り出した。私の異能の一つ、《完全再現》はある物質と全く同一の物質を完全に誤差無く複製する能力。複製後の脳をヒキガエルの《人肉生成》で鮮度とクオリティを完全に維持したまま、凍結することによって保存した。それが私の部屋に置いてある脳。もちろん、解凍してしまえばまた鮮度は落ちるから、またヒキガエルの力を借りる必要はある」
「……成功する保証はあるんだろうね?」
「本来であれば、一つの異能を同時に使うことはできない。けれど、私の持つ《多重展開》は一つの異能を同一に使えるようにする能力。《自在転移》という異なる空間に物質を転移する異能を《多重展開》によって同一に使えるようにした時、交換する前の脳と交換したい脳を全く同一のタイミングで入れ替えることができる。理屈上は可能と言えるし、私の時間間隔は0.001秒の誤差もない。確実とは言えないけど、99%成功すると考えていい。私は何度も解剖して人体の構成は知り尽くしているし、脳の転移ぐらい訳ないわ。スペアの脳は《殺人カリキュラム》の直前までの記憶はあるし、記憶に関してはほぼ問題ない。記憶の空白部分は私たちが伝えるだけでいいのだから。それに、仮に死んだとしてもFランクの透なんて“いらない”でしょ?」
「…………ちっ」
忌々しい。確かにな、Fランクの透さんなんて生ごみ以下の価値すらない。だが、それでも許せない。透さんがこのままくだらない理由で完全に使い物にならなくなることなんて……。
「……いばら姫ちゃん、失敗したら僕は“何度”でも《冒涜生誕》を使って、透さんを蘇らせよう。だから、その手術は100%成功するよ。何度でも失敗できるんだからね」
「……意外ね、骸骨。あんたに人の心があるのかしら?」
「透さんは僕を救ってくれた。それは、それだけは事実だから」
「あっそ。ま、私は失敗なんてしないけどね」
憎まれ口を叩き、いばら姫ちゃんは微笑む。
その笑顔はどこか懐かしくて、あの頃を思い出す。
――――ただただ美しいな、と、そう思った。
死者にしか魅入られない、この僕が。
僕は何も言わずその場を後にし、部屋を出てベランダへ向かった。らしくもなく、外の空気を吸いたかった。ここでタバコでも吸えば風情があるのだが、あいにく僕は喫煙者ではない。ベランダに出ると、そこには先客がいた。
「……骸骨、何しに来たの」
苛々したような調子で、花子ちゃんはベランダの壁に背を預け貧乏ゆすりしていた。カラスが遠くで鳴いている。
「外の空気を吸いたくなってね。珍しく気が合いそうだな、花子ちゃん」
「……ちっ」
花子ちゃんは舌打ちする。僕もさっきしたなぁと思い、苦笑する。
「認めるわけにはいかないよね、そう簡単には。透さんが元Fランクだなんてさ。さっきはだから何なんて強がってはいたけど、やっぱり動揺してるんだろう?」
「……」
花子ちゃんは答えない。
長い長い沈黙ののち、花子ちゃんはゆっくりと唇を開く。
「……私は透に救われた。それがもし”善”なら、あいつの語っていた”悪”とは一体なんだったんだろうとは……思う」
「悪だけを救う善。それが、透さんなのかもしれないよ。それを善と呼んでいいのか、悪と呼んでいいのか、それは判らないけれどね」
「殺人鬼は群れない。常に孤独。自分の中にある深淵に心を食われながら、人の心を摩耗し、忘れ、消え、いつの間にか自分が一体何者なのかすら分からなくなっている。特に、《赤い羊》なんて、全員が向いている闇の方向が違う。骸骨は死者、いばら姫は他人の破滅の観測、リリーは人の発狂、ヒコ助は暴力によって人の命を奪う行為そのものに対して、ヒキガエルは人間の肉と命を食うことによって奪っているという愉悦を得たいという快感のため、透は悪と闇そのものを愛するという狂気、私は復讐。この世の全ての愛や幸福を信じてる人間が憎い。そいつら全員に絶望を味わい尽くさせた後に、できるだけ残酷に殺したい。そうすることによって私は私だけの魂の安寧を得られる。こんなに全員が違うのに、透によってジェネシスを与えられ、透がもたらした狂気の安寧によって救われている。だから、行動を共にしている」
珍しい。花子ちゃんがこんなに長く饒舌に語るなんて……。
「私は人間だった頃、人生に“絶望”していた。死んだ方が幸せだったとすら思っていた。そして死にかけていた時に透にジェネシスを与えられ、私は殺人鬼として甦った。お前もまだ人間だった頃、“絶望”を味わったんでしょう? 死者を生者に貶める《冒涜生誕》。死者を愛する人間にはあってはならない矛盾の異能。お前が本当に愛しているのは……“本当に”死者なの?」
「その話はするな」
流石の花子ちゃんでも、その話をすることは許さない。
僕の目を見て、花子ちゃんは押し黙る。
「……へぇ、随分良い目をするじゃない。今のアンタなら、対等に私と渡り合えるかもね? そう思うほどには」
「…………興味ないな」
「そういえば、いばら姫って……記憶がかなり曖昧って話よね。医者だったことだけは思い出せるって言ってたけど。透に訊いても、骸骨が連れてきたとしか言わないし。ねえ、骸骨。アンタは一番最初“誰に”《冒涜生誕》を使ったの?」
「その話はするなと言った。あまり調子に乗るな、花子」
「今アンタは無能でしょ? 何ができるの?」
「僕がその気になれば、いつでも《冒涜生誕》を“解除”できる。お前の大好きな百鬼零は腐敗してミイラになるけどな? お前も僕と一緒に死姦に目覚めてみるか? エンバーミングのコツぐらいなら教えてやるよ。腐ったチ×コでも最後までイケるといいな? 女の子は男と違って、高みまで行くのに時間がかかるから大変だと思うが!」
僕は悪意を以て微笑う。自分の悪意だけが他人の悪意より上位だといつ誰が決めた? その傲慢さは少し“鼻につく”よ、花子ちゃん。
「…………」
「あまり大人をナメるな、小娘。少し反省しろ」
普段なら笑って許してあげるところだが、踏んではいけない地雷は誰にでもある。
「……言い過ぎた、謝る」
「次は無いよ、花子ちゃん。ま、《赤い羊》同士これからも仲良くしよう」
僕は何事もなかったように笑って許してあげる。大人だからね。
僕はこの世の全ての人間を憎悪している。
僕から全てを奪ったこの世の全ての人間を。
最愛の人をこの世の悪意に殺されて、僕は死者を愛するようになった。
だがそれと同時に狂おしいほどに、生き返ってほしいと願うようになった。
あー、この感情は思い出してはいけないね。そっと棺に閉じ込めておこう。
「だって僕は骸骨なんだから」
そう自分に言い聞かせる。多くの人を快楽のために殺し、その亡骸を犯してきた。それが僕だ。僕という殺人鬼だ。
だが、もし。
――――もし。
破壊と殺戮と狂気だけをまき散らすこんな今の僕を殺してくれる存在が現れるのだとしたら、それはもしかしたら白雪セリカなのかもしれない。
愛していますと言いながら百鬼零に殺されることを、もたらされる死と破滅を微笑みながら許した純白のジェノサイダー。
ただただ眩しかった。一瞬、人の心を取り戻しそうになるほどに。
透さんが元Fランクと知った今なら、一つだけ確信できる。
人の心と魂をそっと掬い上げて救ってくれる存在。
そんなことができるのは、きっとFランクだけだ。
透さんと対等の存在なら、きっとリリーとヒコ助は既にもう生きていないかもしれない。その可能性すらある。
――――白雪セリカ。
どうか穢れ狂いSSSランクの漆黒の闇そのものとなり、この世の全てを覆い尽くす破滅の象徴となりますように。
どうかそのまま白き輝き続け、この世全ての希望の光でありますように。
そのどちらでも、僕は受け入れよう。
例え、そこに、僕の破滅しかないのだとしても――――。
なんて、ね。クソくだらない感傷だ。
いざって時は百鬼零の《冒涜生誕》を白雪セリカの目の前で解除してこの世のものとは思えない絶望に狂わせて、どんな顔をするのか見てみたい。その時君が漆黒に染まるのを期待しているよ。僕は君の白き光に殺されるのか、それ以上の黒き闇に殺されるのか。
――――とても楽しみだ。