幕間 骸骨と花子③
「え? ケーキ箱に入ってた脳みそってあれ、透のだったの? 食べちゃったよさっき。まぁまぁ美味かったね。ゲフ」
花子ちゃんとともにヒキガエル君の部屋に入り透さんの脳のスペアについて尋ねると、悪びれもなくヒキガエル君はそう言った。
部屋の中には人の腕の骨の残滓が転がっており、テレビゲームをしているヒキガエル君がいた。服が返り血でエグいことになってる……。
「駄目って言ったのに、結局私の腕食べたのね……。今は子供だから多めに見てあげるけど、大人になってもそんなだったら串刺しにして殺すからね? 自分が食われるのってなんか見てて気持ち悪いから嫌なのよね」
「く、串刺し……」
ヒキガエル君が具体的な殺害方法を花子ちゃんに宣言され、動揺している。有言実行の花子ちゃんはマジでそうと決めたら実行するからな……。この場合は執行か。
「……透の脳も食べちゃったか。それじゃ、しょうがないわね。とりあえずお腹から引きずり出すしかないか。ちょっとチクっとするけど我慢するのよ。キルキルキルル」
「お注射ですよ」と言いながら注射針を刺す看護師のように、花子ちゃんはヒキガエル君のお腹に向けて剣を――――
「ちょ、タンマ! じょーだん! 冗談だって! 流石に透のスペアはいばら姫と一緒に作ったやつだから食べてないよ。花子にもぶっ殺されるのは目に見えてるし!」
涙目になってヒキガエル君は両手を挙げて降参のポーズ。普段クソ生意気なヒキガエル君だが、花子ちゃんといばら姫ちゃん、リリーちゃんには弱い。最初の頃は誰にでも反抗していたが、ある頃から急に花子ちゃんといばら姫ちゃん、そしてリリーちゃんに対してパブロフの犬のごとく大人しくなった。
花子ちゃんには“暴力”によって、いばら姫ちゃんには“精神的な何か”によって、リリーちゃんには“性的な何か”によってトラウマを植え付けられ、“恐怖”で支配されているらしい。《赤い羊》の女性陣、怖いね。なんで僕こんな怖い女の人たちと一緒にいるんだろうね。時々、素で思う。
僕が言うのもなんだけど、ヒキガエル君は将来女性不信になりそう。《死姦人形》の異能には自動的に防腐処理の加工もされるようになってるから本来なら必要ないけど、今度エンバーミング一緒にやろうぜって誘ってみようかな。もしかしたら死姦の良さを分かってくれるかもしれない。
「冗談がつまらないわよヒキガエル。殺されたいの?」
花子ちゃんはそう言って容赦なくヒキガエル君の顎を上に蹴り飛ばし、天井に頭をぶつけたあと、部屋の中の壁に思い切りぶつかり、血反吐を吐き出して床に転がる。床に散らばっていたゲームも一緒にバラバラに吹っ飛んだ。
「死姦野郎。アンタからもこのガキに何か言ってやりなさい」
「まーあれだ。女の子はあんまり怒らせない方がいいよ」
「う、っせえ……死姦野郎……」
《人肉生成》で自分の身体を再生させながら、ヒキガエル君は僕を睨みつける。
「僕だけには言い返すんだね……」
ちょっとだけ傷つく。
「さて、二人とも。ひとまずいばら姫のところに行くわよ。これから透の脳を交換するから」
「さっきゲームでもしてろって言ったくせに、またすぐ呼び出す」
ヒキガエル君は懲りずに花子ちゃんにぶつくさ文句を言う。
「駄目だって言ったのに、私の腕を食べたお前にどうこう言う資格あるの?」
「クソ……」
殺伐とした雰囲気の中、僕たちはいばら姫ちゃんのいるであろう『実験室』へ行く。『実験室』はそこそこの広さで、PCやモニターやよく分からない装置、医療機器が置いてある。モニターには屋敷内のプライベートルーム以外の全ての部屋がカメラによって分かるようにされているので、丸見えだ。透さんと百鬼零が眠っている部屋も見える。
この部屋の中でもひときわ目立つのは、大きな水槽。水槽の中には人間のものと思われる脳みそが一つだけ入っている。
「透の脳……もう用意してたんだ」
花子ちゃんは関心したように言葉を漏らす。
いばら姫ちゃんは部屋のちょうど中央に位置する場所にハンモックを設置し、常にそこで寝転がっている。今もそう。
手の届かない機器の操作は全て“第三の腕”と“第四の腕”で処理している。ジェネシスの形態変化をそんなことに使うなとは思うが、そんなところもいばら姫ちゃんらしい。腕の具現化は異能ではなく形態変化によるもので、透さんを含めて誰にもできない。これはいばら姫ちゃんにしかないジェネシスの才能だ。SSは多くて5つ程度しか異能を持たないが、いばら姫ちゃんだけは例外。透さんには及ばないものの、9個の異能を扱える。殺傷能力がそこまで高い異能がないから、僕と同じで戦闘向きではないが、知能の高さも含めて天才的だと思う。
「そろそろ来る頃だと思ったわ、三人とも。この短時間で状況がガラリと変わったわ。まず……そうね。“さきほど一瞬だけ透が目を覚ました”わ。またすぐ眠りについたけどね」
「……あ、ありえない。早過ぎる。三日三晩はかかるはずだ」
僕は思わず反論する。
「答えは無いけど仮説ならある。《絶対不死》という不死の異能を《処刑斬首》が破壊し、透は死亡した。そこに《冒涜生誕》を使い透は蘇生された。命という概念を覆す処理が少なくとも三回なされたことになる。生き返る、殺す、生き返る……という処理がね。こうなってくると、もうどの異能が優先され、どのように処理されたのかも未知数。透は今とても不安定な状態だと言える。“不死”を“処刑”され“生誕”させられた人間なんて、この世に透以外いないでしょうね」
クスクス笑いながらいばら姫ちゃんは言う。相変わらずここぞという不謹慎なタイミングで笑う子だ。
「……会話はしたの?」
花子ちゃんは目を細め質問する。
「……言葉で説明しても難しいから、みんなで透の部屋に行くわよ」
《自在転移》――ジザイテンイ――
いばら姫ちゃんは腕を全員に伸ばし、転移の異能を使った。相変わらず無精者だ。透さんの部屋なんてすぐ傍なのに、“歩きたくないから”なんて理由で一日で使用できる回数に制限がある異能を使うんだからね……。
「起きなさい」
いばら姫ちゃんは“第三の腕”で透さんを起こす。
「…………」
透さんは無言で目を開き、辺りをゆっくりと見回すと、ゆっくりと起き上がる。
「初めまして、皆さん。いばら姫さんは先ほどぶり、ですね。自己紹介をしたいところなんですが、どうしても自分が誰なのかを思い出せなくて。あなた達は僕が誰かをご存じですか?」
礼儀正しく、凛とした声。あらゆる悪を愛し、実験と虐殺を繰り返してきた稀代の殺人鬼とはとても思えない印象。笑顔にも悪意はなく、困っているような表情。どこからどう見ても善人の印象しか持てない……青年だ。
「…………」
全員が、沈黙。僕が思ったことをそのまま全員思ったことだろう。いばら姫ちゃんが説明せず僕らをここに運んできた理由が理解できた。
「そこのあなた、怪我をしてる。それに君、血まみれだ。どこか怪我をしてるのか? 病院に行った方がいい」
透さんは心配そうに眉を顰め、花子ちゃんの折れた足とヒキガエル君を見つめる。
「ジェ、ジェネシスは……」
僕は耐え切れず、いばら姫ちゃんに尋ねる。
「……全く使えないわけではなさそう。“一瞬”だけ身体から発露されたのは確認できてる。ゆっくりと、時間をかければいずれは完全に使えるようになる可能性は――――」
「な、“何色”だった!?」
僕は自分の声が震えていることにすら気付かず、いばら姫ちゃんの肩を揺さぶる。
「…………」
いばら姫ちゃんにしては苦しげな表情で、僕から目を逸らし、苦虫を嚙み潰したようにぼそりと呟く。
「ピュア……ホワイト」
《聖女抱擁》――セイジョホウヨウ――
「あ、あれ。変だな。何か身体から白い光が出て」
《聖女抱擁》――セイジョホウヨウ――
透さんは花子ちゃんと、ヒキガエル君にそれぞれ《聖女抱擁》を無自覚に当てる。傷ついた人を治したいという善意の具現化。花子ちゃんの足は完治し、ヒキガエル君は返り血なのでどこも怪我をしてないんだが、肌の血色がよくなる。
しかし、一瞬で透さんからジェネシスは消えてしまう。いばら姫ちゃんの話の通り、やはり不安定だ。
「あ、ありえない……。あ、ありえないだろう……っ!」
目の前の光景が信じられないし、信じることはできない。殺人鬼の王が、元Fランク? そんな馬鹿な話があってたまるか!
「“白雪セリカの未来の姿が透さん”。……そんな“可能性”がある……のか?」
寒気がする。つくづく人間というものは分からない。理解したいと思うし理解したくないと思う。意味が分からない。死者はいい。死者は語らない。思わない。何もしない。僕は心を揺さぶられずに済む。死者は――――
「――――だから何?」
一言。
ただ一言。花子ちゃんのその言葉で、場のざわめきは止んだ。
「脳を移植すればいいだけの話。その為の“スペア”なのだから」
「だ、だからと言って――――」
「お前たちには言わないでいたけど、透は記憶喪失だった。気づいたらジェネシスを使えるようになっていて、SSSだったと言っていた。だから……ジェノサイダーになる以前どんな人間だったか“覚えてない”と」
「……私も透の過去について一つだけ聞いたことがある。それは一番最初に発動した《絶対不死》について尋ねた時。透は一番最初どこでいつどのように死んで、《絶対不死》で蘇ったのか。透は自分の死因が自殺の可能性が最も高いと言っていた。目覚めたら踏切にいたと言っていたから。服だけがボロボロで、身体だけ無傷だったと」
いばら姫ちゃんが続ける。
「「ならば、導き出せる答えは一つしかない」」
花子ちゃんといばら姫ちゃんの言葉が重なる。
いばら姫ちゃんはどこか寂し気に微笑みながら、花子ちゃんに目配せする。その続きを言ってみろ……と。花子ちゃんはその視線を受け、小さく頷いて続けた。
「透は元Fランクの聖人君子で、快楽殺人鬼すら超越する化け物になるほどの“絶望”を味わい狂い、真理に辿り着いた。《絶対不死》の発動前の記憶を喪失したのは、思い出せないほどに狂おしい絶望だから、記憶ごと封印して新しい人間として、ジェノサイダーとして生きることを決めた」
「私の仮説とほぼ同じね、花子。残念だけど、“今の透”には何の価値もない。もう一度生まれ変わってもらうことにしましょう。その為のスペアなのだから」
「き、君たちは一体何の話をしてるんだい……?」
透さんの声が空しく響き、いばら姫ちゃんは透さんの首筋に“第三の腕”を当てた。
《堕落遊戯》――ダラクユウギ――
「今はただ眠りなさい。ただただ安らかに」
いばら姫ちゃんの声に導かれ、透さんはゆっくりとベッドに横たわり眠りにつく。
「――――この世で一番恐ろしい人間。それはある意味、Fランクなのかもしれないわね」
いばら姫ちゃんの言葉が小さく響き、僕は透さんから目を逸らした。