第5話 新たなる羊⑬【白雪セリカ視点】
「セリカ、結、あなた達には”信頼の証”として、私の異能力の全てを伝えようと思う。こんなこと言わなくても分かると思うけど、自分の異能について教えることは命を預けるも同然の行為。まずはそこを再認識してもらいたいのだけど、どう?」
「赤染先輩、私はあなたを信頼してません。そこを“再認識”してもらったうえで、言わせてもらいますが……私は自分の異能の全てをあなたに教えるつもりはない」
結は淡々と無感情に言う。
「あなたが教えても私は教えない。ジェノサイダーにとって、所持している異能の全てを知られることは生殺与奪を握られるも同然の行い。相性の悪い異能や相手を用意され、対策を徹底されたらSSランクでも普通に死ぬ可能性があるんですから」
「オメガ。確かそう呼ばれてたわね、あなた」
「――――っ! ……どこでそれを?」
「インディゴブルージェネシス。特Aランク時の私の所持異能はただ一つ。《思念盗聴》。限定した三か所に自分のジェネシスを設置し、その範囲内での会話を盗聴することができる異能。人、場所を問わず、設置できる。私はリリーに《思念盗聴》を仕掛け、念のためプールにも仕掛け、その会話を聞いていた。だから、あなた達が百鬼君を失い、満身創痍で逃げ延びたことも知ってる。もちろん、私が隠れてたこの部屋にあなた達が来たのは偶然だけどね」
「……私は言いませんから」
「だって、セリカ。結って冷酷無比ね?」
「仲間割れみたいなこと言うのやめてください。まぁ、結が言いたくないのに無理強いはできないし、結は結で何か考えがあるんでしょ?」
「……」
私が尋ねると、結はバツが悪そうに眼を逸らした。何か後ろめたいことでもあるのだろうか? 突っつくことはできたけど、赤染先輩がいるこの場所でそれをしたら良いことは無いだろうと思い、ひとまずは気にしないことにした。
「私はありとあらゆる傷を瞬時に癒す《聖女抱擁》と、相手のジェネシスを無力化する《守護聖女》の二つです。Eになったときはよく覚えてないので、どんな異能が使えるか知りません」
「セリカの異能って本当に殺傷能力が無くて尊敬しちゃう。私、《思念盗聴》で色んな生徒の異能を盗み聞きしたけど、全部ロクでもないものだったわよ? 特に百鬼君の《監禁傀儡》なんてもう異能力の名前がめちゃくちゃ犯罪的過ぎて……っ! 犯罪的異能力名ランキング殿堂入り間違いなしでしょ」
赤染先輩はこらえきれないとでも言うように、クスクスと笑う。
「先輩を悪く言うの、やめてもらっていいですか」
「セリカ、私にだけあたりキツくない?」
「気のせいです」
「まぁ、そんなツンなセリカを知れて、ちょっとゾクゾクするんだけどね」
「……変態みたいなこと言わないでください」
「あー、なんか目覚めそう。清廉潔白な後輩の女の子に敬語で蔑まれるのって今までに無いシチュエーション過ぎて」
「ほんとにやめてください……。私は赤染先輩ってもっと真面目な人だと思ってました。こんなにふざけた人だなんて知らなかった」
「また一つ大人の階段をのぼったわね、セリカ」
「なんかいい話っぽくまとめて私を馬鹿にしてくるのも……ウザいです」
私はため息を吐く。やっぱりこの人、苦手だ。
「ま、セリカをいじるのもこの辺にして。話の続きね。スカーレットジェネシス。Sランク到達時の私の持つ異能は、《百花繚乱》と《蛇王変幻》。《百花繚乱》は二人に見せた通り、唇から超広範囲でジェネシスを放出する攻撃の異能。相手が何の抵抗もしなければ、百人単位で一瞬で殺傷可能な異能ね。次にもう一つ、《蛇王変幻》。これは剣を鞭に変化させることができる異能。ちょっとサディスティックな匂いがする能力かな。中距離に強い単純な異能。A以下、SS以上には“まだ”なったことないから分からない」
「……赤染先輩、セリカ。改めて言うけど、私は“自分の情報”の全てを開示するつもりは無い。だけど、透の近くで働いてきた元モルモットとして、現役の《赤い羊》よりもジェネシスについて詳しいつもりではいる。ジェネシスについて“だけ”なら、ある程度伝えてもいい。私のリスクには繋がらないし、《赤い羊》を殲滅するという利害は一致してるから」
……結にしては、歯切れが悪い。本当に色々考えているんだろうことが分かる。先輩を失った絶望から自殺未遂をして、先輩が生きている可能性に希望を見出して、赤染先輩と再会して、結にとって状況は目まぐるしい筈。純粋に考えるなら、私と赤染先輩と結の三人で力を合わせて信頼し合い、共闘すべき展開だと思う。
…………けど。
結は恐らく、そう思ってない。
なんとなく分かる。分かってしまう。子供のころから、ずっと一緒にいるから……。
裏切る、とまでは言わないけれど。
きっと、結は…………。
「それじゃあ、ジェネシスについて私の知っている限りの情報を二人に教えます」
私の思考が暗雲に飲み込まれる直前。結は何かを懐かしむように目を細めた後、ジェネシスについて語り始めた。
「まず、ジェネシスは普通の人間には視認することができない。ジェノサイダーが見られたくないと思ったら、ジェネシスはジェノサイダー以外には見えなくすることができる。ただし、敢えて見せたいと思ったり、見られたくないと思う余裕すらないほどに欲望に没頭している状態だと、ジェノサイダー以外の人間にもジェネシスが見えることがある。だから、《発狂密室》は外側の人間からは見えていないと考えるべき」
「……確かに、そうね。ジェネシスが使えない人間が外側で溢れかえってるものね。そう考えると、とても貴重な情報だわ」
赤染先輩は神妙な面持ちで頷いている。
「次に、《証拠隠滅》という特殊な異能について伝えたい。異能力名通り、殺人鬼にとってありとあらゆる不都合な真実を消滅させる能力。透はこの異能で自分の数々の殺人行為をもみ消していた。死体に放てば、死体を消滅させ、過去に遡って生まれたことそのものを無かったことにできる異能。戸籍からも消え、ジェノサイダー以外の全ての人間からその人間の記憶は永久に失われる。但し、生きている人間に使っても何の効果もない」
「……なんておぞましい異能。そんな異能に開花できること、何の躊躇もなく使える精神が理解できないよ」
聞いただけで身の毛がよだつ。人を殺したり痛めつけるよりも、ある意味ひど過ぎる能力。残酷すぎる……。
「透以外の《赤い羊》も何人かは使える可能性が高い。犯罪者は自分の犯罪を無かったことにしたがる。“成果”の収集癖とのジレンマもあるけど、《赤い羊》レベルの外道なら、何人かは確実に開花したとみるべき」
「つまりその《証拠隠滅》があれば、この殺人カリキュラムすら握りつぶせるってわけね。その異能なら、ヒキガエルという殺人鬼が使ってたのを“盗聴”したわ」
「なるほど。《思念盗聴》、かなり良い能力ですね。外面を気にする面の皮が厚い先輩らしい能力だと思います。流石は生徒会長です」
「……引っ叩いていい?」
「私の持つジェネシスの情報と組み合わせれば現状の全てを把握し、打開できるかもしれません」
結は不敵に微笑む。それは“オメガ”と透が呼んでいた時に見せた表情に似ていた。結は私の知らない顔を持っていたことは昔から知っていたけれども、やはり“遠い”と思ってしまう。でも、その不敵な微笑みは先輩とよく似ていて、複雑な気持ちになる。
「ジェネシスについての続き。ランクが変動して異能そのものと、異能の個数が変わる場合と、変わらない場合がある。それは個人差があってバラバラで、絶対的な法則性は無い。ただ、大体だけど、SSは多くても4つか5つ。Sなら多くて4つ。特A以下は1つの場合が殆どと透は言っていた。SSSについてはよくわからないけど、透は少なくとも10個以上の異能を持っていた。Fについてはセリカ以外見たことがないから知らない」
結はひたすら語り続ける。
「異なる異能であれば同時に使うことはできる。これはさっきセリカが検証していたこと。ただ、発動した後であれば再度発動することも可能。リリーが学園全体に《発狂密室》を発動した後に、更に別の空間に対して《発狂密室》を展開したように」
「…………っ」
それが事実なら、私はあの時……花子を殺す唯一の勝機をそうとは知らずに失ったことになる。異なる異能を同時に使えるのであれば、私はその選択肢を花子の“あの言葉”によって奪われた。心底……悔やまれるし、花子を憎いと思う。
人を殺してはいけないのは当たり前のことだけど、あの時はなりふり構ってはいられなかった。花子を殺さなければ私たちの人生、未来、全てを奪われる。先輩の《監禁傀儡》でそう正当化して、殺す役割の全てを先輩に押し付けた。今、冷静に振り返るのであれば偽善だと思う。
――――けれど。
先輩に嫌な役割を押し付けたことは間違っていると思うけれど、花子を殺すことに対しては間違っているとは今でも不思議と思わない。
……何故、だろう。
私もどこか狂ってしまったのだろうか。
普段、考えないようにしているけれど、私達は他の生き物の命を奪って、食らって、自分の命を繋げている。生きるために誰かを殺すことは……正当化される?
なんだろう、凄く引っ掛かる。
どんな理由があっても、人が人を殺すようなことを受け入れてはいけないと思う。
――――と同時に。
人が人を殺すにも、それ相応の理由があるのかもしれない。
そう思う自分もいる。
何故なら、私は、あの時、本気で、本心から、花子を殺すことに対して躊躇しなかった。《監禁傀儡》でおかしくなっていたのも理由の一つではあるけど、先輩にあの異能をかけてもらうことで罪悪感を消し去りたかった。私は花子を殺すことに対して、自分の罪悪感から逃げていた。
自分が生きるために……という理由もあるかもしれないけど、何より先輩と生きてここを出ていく為に。あの時はそれしか考えていなかった。
先輩がいない今、私はもう先輩を頼れない。
でも、私には今、責任がある。
Fランクとしての責任。
もし私が再びEランク以上になるようなことがあれば、SSSと渡り合う希望は完全に潰える。《聖女抱擁》も、《守護聖女》も使えなくなる。リリーによって一時的にグレイジェネシスになった時、二つの異能が使えなくなっていたことは思い出せる。ジェネシスの無効化は切り札だ。これがなければ話にすらならない。
私が自分の善性を維持できなくなれば、その瞬間に全てが終わる。赤染先輩も先輩と同じで、闇が深い人。私が自分の闇に飲まれるようなことがあれば、赤染先輩が暴走した時誰も止められない。
狂おしいほどの闇と、自己矛盾の迷宮に息苦しさを感じる。
この閉鎖空間内で、警察も司法も大人も頼りにはできない。
先生たちも一瞬で皆殺しにされてしまったし、何より生徒を身代わりに渡辺先生は命乞いすらした。
人間は生存欲求の奴隷だよ?
リリーのあざ笑う声が聞こえたような気がした。つくづく不快な存在だ。嫌悪感しかない。
「人間は……か」
思わず呟いてしまう。
先輩は透をはじめとする《赤い羊》と渡り合う為に、人間を辞めて怪物になろうとした。良心を捨て、私を殺そうとすることでSSに到達した。自分が生き残る為に? ありえない。先輩は私と結を逃がして生かす為に、人であることすら捨て化け物になりきった。もしリリーの言葉が真実なら、先輩は何の躊躇もなく私と結を《赤い羊》に生贄として捧げ、自らも快楽殺人鬼となり欲望を解放していた筈。
人の理を外れた者は外道と呼ばれる。それは《赤い羊》を見れば明らかだと思う。
でも、先輩も人の理を外れようとしながら私たちを守ってくれた。
人間を超越すれば、リリーの呪いのような言葉すら超越できる。それは先輩が証明してくれた唯一の道しるべ。
――――けれど。わからない。どうすればいいのか。
受け入れたくないだけだろう。それは分かる。
私は怖いんだ。ただただ怖い。今までは何も考えずに生きてこられた。周りの人たちと足並みを揃えているだけで、普通の生活を送ることができた。先輩に頼ることができた。
けど、今はもうそれが許されない!
先輩もいない! 結も赤染先輩もあまりにも危うすぎる。結は透と一緒にいた過去があるし、異能も教えてくれない。赤染先輩は人間らしいところも残っているけど、人殺しを楽しいと笑いながら言える”怖さ”がある。
殺せるのだろうか?
私は、《赤い羊》を殺せるのだろうか?
しかも、善性を保ったまま。
その答えを見いだせない限り、光は無い。
それだけははっきりと分かる。
もし、先輩がいれば……っ。
導いてくれた。私の手を真っすぐに引いて。
あの人は、闇の中でだけ輝く人。私は今までここまで追い詰められたこともなければ、自分の闇すら知らずに生きてきた。そういう意味では、とても弱い人間だと思う。
何故、結が兄妹にも関わらず先輩に惹かれたのか、今ならわかる。
闇の中でも、先輩だけは迷わない。
善だろうが悪だろうが、“自分”を見失わずに、明確に道を示してくれる。
闇の中をまるで自分の庭のように歩くことができる人だ。
なのに、《赤い羊》のように狂わずに、今まで日常をピエロとして過ごしてくれていた。きっと、私のためなのだろう。今なら……分かる。
「それから、これはとても残念な情報だけど、敢えて今のうちに伝えておきたいと思う。ジェノサイダーは、ジェノサイダーにしか殺せない」
思考の渦に飲み込まれていると、結の声が響いてくる。我に返り、私は聞き返す。
「今、なんて?」
「ジェノサイダーは、ジェノサイダーにしか殺せない。ジェネシスを持たない人間によって拳銃で射殺されようが、火炎放射器で焼き殺されようが、ジェノサイダーは死なない。透の《絶対不死》をイメージしてもらえば分かりやすいけど、もし普通の人間にジェノサイダーが殺された場合、死なずに再生する。それは透が何度も実験して解明されたこと。これはランクが関係ない。SからEまで実験して全部同じ結果だったらしいから。あと、ジェノサイダーが拳銃でジェノサイダーを殺した場合も同様で、死なない。ジェノサイダーによるジェネシスによる攻撃でしかジェノサイダーは殺せない。そういうデータがある」
……実験、データ。
人の命をまるで消耗品のように。
先輩なしで、これからそういう人の心を持たない悪魔たちと渡り合わなければならないんだ。しかも、自分の善性を保ったまま。それどころか、更なる善の可能性、Gランクを目指して。ジェノサイダーにしかジェノサイダーは殺せないなら、SSSを殺せるのは私だけということになる。透や、透に匹敵する化け物を……。
知らなかった。外に出ることができれば、なんとかなるとそう思ってた。だから、SSSを倒せるのは私だけなんて戯言がさっきまでは言えた。でも、外に出てもジェノサイダーにしかジェノサイダーが殺せないなら、《証拠隠滅》があるのなら、《赤い羊》は本当の意味で人間を超越してる。それでも、絶対に心が折れてはならない。私は、私だけは……っ。
「……セリカ、あなたの考えてることはなんとなく分かるわ。真面目だものね、あなたは」
赤染先輩は優しさと蠱惑の両方が入り混じった笑みをニコりと浮かべ、私に語り掛けてくる。
「殺すのは私がやってあげる。《守護聖女》で無力化さえしてくれれば、どんなジェノサイダーも“私が”殺してみせる」
「……っ」
「セリカ、世の中には善悪しかない訳ではないわ。善、悪、正義、必要悪の四種類があるの。善か悪かなんて二択で物事考えてたら、頭がおかしくなって破滅するわよ? もしどうしてもつらくなった時は、善を諦めて自分だけの“正義”を見つけるのね」