第5話 新たなる羊⑪【白雪セリカ視点】
「……一体どこから現れてるんですか? それにいきなり取引と言われても。滅茶苦茶過ぎて信用できないのが正直なところです。というかずっと隠れてたんですか? 昨日の敵と言っても数時間前に殺し合ってたので感覚的にはついさっきなんですが」
結は剣を赤染先輩に向けながら言う。さすがは冷静沈着な結といったところか。先輩も冷静な性格だが、結は更にそれが顕著だ。
そして、今更思ったけれども、結のジェネシスカラーはインディゴになっていた。今の結に自分の精神状態をコントロールする余裕は無いはず。恐らくは、結の“通常”のジェネシスカラーはインディゴの可能性が高いんだろうなと、なんとなく思った。
「隠れていた理由は二つあるわ。まず、私は既に殺人ノルマを達成している。ならもう無駄な争いはせず、身をひそめるのがノルマ達成者の取るべき当然の戦略。そこに君たちがこの部屋に入ってきて居座るものだから、出るに出られずというのが正直なところね。埃っぽくて嫌になっちゃうわ。取引の内容はとても合理的よ。お互いにとって足りない部分を補い合うメリットの交換。表面上とはいえ、私との付き合いはそれなりにある結なら大体私の考えてることなんて分かるんじゃない?」
私は何か言おうかと迷ったけれども、ここは結に任せた方が良さそうだ。なんとなく、心理的な駆け引きみたいなものを感じる。そういうのは苦手だし、いつも先輩に任せてきた。特に赤染先輩はSランクのジェノサイダー……って、あれ? よく注視すると、赤染先輩からうっすらと溢れているジェネシスカラーはスカーレットではなく、インディゴだった。
「出るに出られずというところが引っ掛かりますね。何故、今、このタイミングで出てきたのですか? 私たちがこの場を立ち去るまで隠れている選択肢もあった筈」
「真っ先にここから出なかったのは、私があなた達を警戒したから。自分が隠れている場所に誰かが入ってきたら当然の行動よね? 次に、最後まで隠れていなかった理由は取引をすべき価値があなた達にあると判断し、タイミングを逃せば取引の機会を永遠に失うと判断したからよ。それにより私にデメリットが生じれば、そのリスクは避ける。どう? 納得してくれた?」
「なるほど。ある程度は納得しました。ではその肝心の取引の内容を教えていただきたいものですが」
「と言いながら、無抵抗な私に武器を向けたままなのね」
赤染先輩は苦笑しながら、言葉を続ける。
「いきなり取引の話をしてもあなた達は納得しないでしょうから、順序だてて話すことにするわ。まずは信頼してもらう為に、私が腹を割るとしましょう。私には現時点で、二つの選択肢がある。一つは、《赤い羊》側につくことで自分が生きる道を確かなものにすること。彼らの仲間に入れば、ひとまず生き残ることはできるわよね。そしてもう一つ。《赤い羊》そのものを排除すること。彼らを排除すれば、安心して生きていくことができるわよね? 生き残りを考えると、どうしてもこの二つの選択肢に落ち着く」
「私たちに取引を持ち掛けたということは、少なくとも《赤い羊》側につくつもりはないという意思表示ですか?」
「もちろん、私はあれだけのことをしたし、リリーと繋がっていることも結にはバレている。取引という嘘を使って、あなた達をハメて、《赤い羊》に献上することで忠義心をアピールすることもできる」
「腹を割るという言葉、ある程度は確かなようですね。まぁ、私の信頼を一時的に得たうえで裏切る算段と捉えることもできますが」
「もちろん、私は結を“私に近い”人間として認めているわ。その辺の“ジャリ”と、あなたは違う。人間のバイアスの中には、自分に近い人間に対して優秀だと思い込むようなものもあるらしいから、私はあなたのことをとっても優秀だと思ってる。そんな人を騙そうとは思わない」
「相手を持ち上げることで警戒を解き、自尊心を満足させ、心を絡め捕るのは詐欺師や営業マン、男の財布を暴きたがる女の得意とするマインドコントロールだと思いますが?」
「フフ、やっぱり面白いわね、あなたたち“兄妹”は。づけづけと言葉を選ばないのは普通なら短慮だと思うはずなのに、何故か好感すら持てる不思議な魅力がある」
赤染先輩は不敵に笑っているが、話が一向に収束する気配はない。結に任せたままなのも少し申し訳なく思い、私は思い切って会話に割り込むことにした。
「えっと、あの、二人の“腹黒い”会話はその辺にして、そろそろ本題に入りませんか? あまりゆっくりしている時間はありませんよね」
「「…………」」
二人はなんとも言えない表情をして、沈黙して顔を見合わせる。
「……かわいい顔して結構言うわよね、実はこの子」
「ときどきそう思います。油断してる時に刃物みたいな感じで来るんですよ。一回それで、殺人鬼リリーも絶句したときがあって。あの兄さんですらビビってましたから」
「え? 何それ面白そう。後で聞かせてね」
「ちょっと二人とも! なんで急に私の話題で盛り上がってるんですかっ」
「まぁいいわ。まどろっこしいのが嫌いなら、単刀直入に言う。私は、《赤い羊》を排除したい。もしあなた達が《赤い羊》を倒したいと思っているのなら、利害は一致している。私は、あなた達と手を組みたい。それが、取引の内容よ」
赤染先輩ははっきりと、私の目を真っすぐに見据え、そう言った。
「セリカ、こんなこと言いたくはないけど、リリーに発狂させられそうになったとき、最後にぎりぎりまで邪魔をしてきたのは赤染先輩よ。どう考えても信頼すべきではないし、何を考えてるか私ですら読めない。味方にするメリットはほぼゼロだと思う」
本人を前にはっきり言うなぁと思いつつも、私は赤染先輩と話をしたいと思った。
「リリーに手を貸したのは事実ですか?」
「まぁね。あの時は百鬼君を倒したい、ただその一心で動いてたから」
「そのとき、私が電気椅子に座らされていたことも知っていましたか?」
「…………知っていたわ」
赤染先輩は少しの逡巡のあと、はっきりと肯定した。
――――許せない。
あの時、私は、死すら生ぬるく思える精神を凌辱し尽くす、リリー最悪の拷問を前に、精神を手放しかけた。
リリーに、そしてリリーに手を貸したと肯定する赤染先輩に対し、憎しみすら覚える。醜い感情。ドロドロして熱くて、とても嫌な感情。でも、どうしようもない。
メリットだの取引だの、憎しみの前にはあまりにも無価値過ぎる。それに結も言っていたけど、どこまで信頼できたものか怪しい。この人は優秀だし頭もキレるのに、いつも自分の保身しか考えてない。私なんかよりずっと強者なのに、自分の利益のことしか考えない人。強いのに卑しい。先輩と赤染先輩は少しだけ似た雰囲気を持ってるのに、そこだけが決定的に違う。
「言い訳をしようとは思わない。憎まれて当然のことをしたと思ってる。でもこれは殺人カリキュラム。誰が誰を殺しても、恨みっこなしじゃない? 私はあなたたちに殺されたとしても、仕方ないことだと思ってる」
赤染先輩は私の沈黙が心苦しく思ったのか、そう続けた。
――――殺人カリキュラム。誰が誰を殺しても、恨みっこなし。
私は赤染先輩のその言葉を頭の中で反芻すると、まるで頭が雷に打たれるような天啓が走った。
「……っ」
善と悪。FランクとSSSランク。
SSSランクの到達条件は、真理への到達。
Fランクの持つ2つの可能性。
もう一つのジェネシスと、Gランクへの到達。
SSSへの到達条件が真理への到達なら、Gランクへの到達も恐らくは真理への到達。ただ、SSSとは“全く逆の真理”。全てを救う? 自己犠牲? 許す? 様々な言葉は浮かぶけれども、どれも今の私には“遠い”感情だ。リリーは本当に許せない最低の殺人鬼だし、先輩を苦しめた透も許せない。そして何より、花子。あの女は先輩の闇と全く同じ闇を持ってる。私は先輩の闇を受け入れることはできても、理解することまではできない。でも、花子なら完全に先輩の闇を理解し、共感できる。それはわかる。
……ああ、これは“嫉妬”だ。また嫉妬。私は結に嫉妬して、克服したと思ったら次は花子に嫉妬してる。
そして今は何より、赤染先輩が……憎い。