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二人きりのアヴェンジャー  作者: 菰之村陸
第1章『悪魔と復讐と少年と』
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8「ボーイ・ミーツ・デビル」

「……何、だよ」


 ずっと、続くと思っていた。

特に根拠はないけれど、自分を取り巻く環境は崩れやしないと信じていた。

前世で理不尽に日常も命も奪われたことを忘れて、自分は何を油断していたのだ。


 唐突に、何の準備もできず、無くしてしまうと、誰よりも知っていたはずなのに。


そんな、もう叶わない日常の象徴は炎熱と共に焼け落ちる。

大海原のように青い空、そして、青の中に微かに広がっている白い雲。太陽は相変わらず燦々と照っており、絶好の快晴である。

されど、眼下にある一つの村はどうしようもなく“終わっていた”。


「何、だよ……っ!」


 眼前に広がるのは炎熱の残り火。ぱちぱちと火花を散らしながら燃えている家屋は大小様々な穴に抉られており、チーズのようだ。

かつて、カロナが来た学び舎も見る影もなく焼け落ちている。

あそこで学んだり、だらけたり。幼少期の大半が詰まった思い出が跡形もない。

そして、点々と転がっている見知った人の死体。

嗚呼、あの首と胴体が別れている男はこの前結婚したばかりでこれから妻の為に頑張るぞって張り切ってたなとか。

あの全身穴だらけの子供はいつか冒険者になるんだと宣言して、ライハ達のことを尊敬していた。

胸に大きな痕がある少女は学び舎の同級生で、よく気が利くいい奴だった。

苦渋の表情を浮かべ、事切れた青年は、女は、男は、皆、皆――――!


 あの人は、あの建物は、あいつは。 


 漏れ出した感想はサナギの心を締め付ける。

この村に死んでいい人間はいなかった。こんな無残な姿になる覚悟もない、普通の人達だった。

辺境の小さな村でも、確かに幸せは根付いていたのに、どうして。

焼け落ちた家屋も、死んでいる人達も、もはやどうしようもない。

いつだって、そうだ。前世でも、今世でも、理不尽は突然やってくる。

前兆もなくこちらの気持ちなんて考えもせずに奪っていくのだ。


 ――何を間違えた?


 いいや、何も間違えていない。サナギは、こんな悲劇を起こすようなことはしていない。

今日という始まりに異変はなかった。強いて言うならば、村から離れた場所で眠りこけてしまうくらいか。

もっとも、そのおかげで、サナギはこの地獄から逃れることができた。

二度目の理不尽は命までを奪わない。運命はまだ、サナギを完全に見放していなかった。

だから、これはきっと、まだ運がいい方だ。


「ふざ、けるな……、あって、たまるか、こんなこと」


 そんなこと、思える訳がないだろう。理屈は知ったことか。

荒れ狂う感情だけが今は正義であり、肯定される。

何人死んだ? 何人生きている?

わからない、何もかもが不確かで、一つだけはっきりとしているのはここは地獄だということ。


「……俺は、だって、俺は――!」


 まだだ、まだ終わっていない。

ここが地獄だということには変わりないが、一片の光は残されている。

呻き声はやがて叫びへと変わり、静から動へ。

よろよろとした歩幅はやがてはしっかりとした足取りに。

サナギは脇目を振らず、家族が待っているはずの家へと向かう。

見えない聞こえない知りもしない。

見知った人達の死体が、焼け落ちた家が、荒れ果てた田畑が、思い出を育んだ日常が、蝋燭のように燃えて、消えていった。

壊れてしまった日常を視界に入れると、正気を失ってしまいそうだ。

此処は終わっている。サナギだけがまだ、命を繋いでいる。

もうこれ以上、何も見たくない。

こんな現実は間違いなんだ、まだこれは夢の中なんだと無理矢理に言い聞かせて、死体を捨て置いて。

サナギは自宅へと全速力で走る。

お願いだ、間に合ってくれ。強引に作り出した楽観を燃料に、サナギの足は止まらない。

現実から逃げ出してしまいたい衝動も踏み砕き、サナギは走り続けた。


「父さん、母さん!」


 いつか、彼らに対して投げかけたかった言葉は、今になって自然と口から漏れ出してくる。

あくまでも便宜上使っていた呼称がこんな時にようやく心から口に出せるなんて。

あまりにも遅すぎる。全部台無しになった後に言葉にしても、何も意味はないというのに。

走って、転んで、もつれつつもまた走って。その終わりに、行き止まりの絶望が待っていると知りながらも、サナギは足を止めなかった。


(ああ、そうだ。いつだって、現実は何の救いもなくて。前世から変わっちゃいない)

 

 村の入口で見た時から、わかっていたはずだ。

都合よく自分の家族だけ生き残ってるなんて、ありえない、と。

燃え尽きた家屋。事切れた死体。この地獄では当たり前になってしまった要素が、目に映る。

ああ、やっぱり、こうなった。サナギの心には納得が満ちていた。

家族全員で笑いあった過去を塗り潰すように、炎熱に沈んだ光景はサナギの心を完膚無きまでに貫いていく。

“それ”を見た瞬間、サナギの身体は自然と崩れ落ち、胸に湧いた熱情はすとんと消えていった。


「…………ぁぁ」


 昨日までは生きていたはずの家族に手を伸ばす。

うつ伏せに倒れた父。辛うじて原型をとどめているが、全身血まみれでどう見ても死んでいる。

目尻には涙が溜まっていただろうが、炎の熱で乾ききっていた。

母の身を最後まで護ろうとしたのだろうか、見開いたままの目は苦渋に染まっていた。

もう、彼の身体には温かみはない。割れ物を触るように、そっと父の目を閉じさせる。

何秒、いや何分蹲ったまま父の死体を見続けただろう。

思考停止していたサナギの頭も漸く気づく。

まだ、母を見つけていない。半壊した家の中にいるのかもしれない。

もしかしたら、隠れている可能性だって考慮できる。

立ち上がり、動く。か細い希望を握り締め、サナギはゆっくりとドアノブを回す。


 ――――希望なんて持たなければよかった。


 そこには、見るに堪えない暴虐の跡があった。

カーリア・ケルストルという女性の面影はもう、ない。

辛うじて残った衣服からこれが母だったことを想起させるに過ぎない。

はっきり言おう。サナギの眼前には、ただの肉塊が転がっていた。

壁にもたれ掛かった成れの果てを見て、サナギはたまらず吐瀉する。

何度もえずき、蹲る。

吐いて、呻いて、泣いて。吐き出す物がなくなるまで吐き続けた。

涙はとめどなく溢れ、顔はぐちゃぐちゃだ。


「どうして、だよ。なんで、また奪われなきゃいけないんだよ。

 返してくれよ、許してくれよ、俺はまだ――!」


 また、理不尽に晒された。何の予兆もなく、奪われて苦しんで。

だって、こんなことはおかしい。ここまで理不尽をぶつけられる謂れがあるというのか。

前世では理不尽に自らの命を奪われて、今度は周りの命を奪われる。

自分も、彼らも何も悪いことはしていない。こんな結末を迎えていいはずがない。

それは普通の人間ならば当然に抱く悲しみと怒りだ。


「――父さんって、母さんって……まだ、素直に言えてないんだ」


 もっと、怒らなくてはいけない。決して忘れないように、強く、深く、濃く。

サナギは何もできなかった。全部終わった後にのこのこと出てきた間の悪い愚鈍。

誰一人として救うことができず、無様に生きている。

そうして、どうなる。心中の疑問は膨らみ、大きくなっていく。

何もできないまま、いつかこの怒りと衝動が和らぐのか?

何もしない自分を受け入れて、生きていくのか?

そんな生き方は、御免だ。


「家族を、本当に好きになりたかったんだ」


 光を失っていたサナギの瞳に意志が灯る。

何故こうして理不尽に奪われなければならないのか。

もしも、自身が理不尽を跳ね除けるくらい強ければ。

少なくとも、ライハのように才覚溢れる人間であったならば、家族くらいは護り切れたはずだ。

こうも容易く奪われたのはサナギが弱いからだ。

弱い人間に幸せを享受する価値はない。極端ではあるが、弱いから悲劇を防げない。

今のサナギに足りないのは誰かを護れる力だった。

強くなりたかった、偉くなりたかった、かっこよくなりたかった、特別になりたかった。

何が平穏に暮らしていく、だ。結局、力がなければ何も救えない。


「――――!」


 一度目の理不尽は、ある意味甘さがあった。

サナギは現状を理解して噛み砕く暇もなく、死んでいった。

そして、息をつく暇もなく、ゆっくりと絶望に浸ることもなく、この世界で再び生を受けたのだから。

しかし、二度目は違う。前世で残していった家族の気持ちを味わえと言わんばかりに地獄を見せられる。


 こんなはずではなかった現実。もう取り戻せない日常。


 脳裏には家族の笑顔が浮かび、枯れ果てたはずの叫びも自然と漏れ出してくる。

無愛想な自分に愛情を注いでくれる優しい人達だった。

前世のことが頭にこびりつき、家族としてうまく振る舞えないサナギを温かく見守ってくれていた。

彼らを好きになりたかった。けれど、好きになりきれなかった。

どちらかに振り切ればここまで重くのしかかることもないのに。

中途半端なまま、前世を背負って現状維持を続けた結果が、この有様だ。


 これから、どうする。


 そんな激情に苛まれる一方で、冷静にこの先の展望を考えている自分がいた。

平穏に暮らすという夢は跡形もなく砕け散った。

生まれてからずっと過ごしてきた村は滅び、今や到底人の住める場所じゃない。

残っているのはこの戦うことなんてできない魔力零の身体だけ。


「力がないから……俺には仇を取ることもできないのか?」


 叶うならば復讐をしたい。この地獄を生み出した元凶にカウンターパンチをぶちかましたい。

こんな暴虐を引き起こしたモノをそのままになんてしておけるか。

いや、そんな理屈では収まらない。

サナギ・ケルストルが何が何でもやりたいことなのだ。

これは生き残りの責務だ。遺されたサナギだけができるたった一つの道標である。

けれど、それは無理な話だ。力もない、仇が何なのか知る手がかりすらない。

ないものばかりで、頭を抱えてしまう。現状、サナギにできることは何もない。

例え、命を懸けようが、結末は犬死だ。それぐらい、わかっている。


「そんなの、納得できる訳ないだろ……!」


 けれど。そう、けれど。

結末がわかっていたとしても、この両足は前に進むことを選んでいる。


「終わるかよ、このまま終われるかよ」

「へぇ、その言葉、本当かしら」


 魂の奥底から絞り出すような声が、純粋なる憎悪が――!

そこまで至って漸く、運命はやってくるのだろう。

サナギの叫びに呼応したのか、どこからか声が聞こえてくる。

鈴の鳴るような軽やかさ、それでいてどこか重みのある綺麗な音。

それは、幼き少女の声。この滅びを迎えた村で聞くには場違いの快活な声。


「私の糧とするには十分か、確かめさせてもらうわ」


 なんと、それは死したカーリアの中から聞こえてくるではないか。

まさか、生きていたのか。否、ありえない。何せ、聞こえてくる声はカーリアのものではないのだ。

驚きを素直に表すように、サナギは掠れた喉を鳴らし、呆けた声を吐き出した。

瞬間、世界がぐるりと廻る。何の前触れもなく、サナギの精神は異界へと飲まれていった。

残り火の熱さも、カーリアの無残な姿も、薙ぎ倒された机と椅子も。

もう感じないし見えもしない。五感全てが解れ、底なし沼に落ちていくかのようだ。

沈み、歪み、曲がり、降り立つ。

そうして、気づけば訳のわからぬ世界。

地面は真っ黒で何も見えないのに、上は真っ赤な空のようで。

先程まで見ていた景色はどこにもない。このよくわからない世界を称するならば、赤黒の地平線である。


「はじめまして」

「……誰だよ、お前」


 そして、異物がもう一つ。後ろに振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

腰まで届くだろう流麗な黒髪は、触ったらきっとさらさらだろう。

吊目の黄金瞳は一寸の狂いなく此方を見つめ、浮かべている微笑は、こんな状況だと言うのに、不思議と嫌悪感を感じない。

身に纏っている衣服は、思わず目をそらしてしまいたくなるくらい、露出過多なナイトドレスだ。

本当に何者なのだ、この少女は。


「ねぇ。この村をこんな有様にしたのは私だったら、どうする?」

「………………は?」


 その答えはあっさりと明かされた。他ならぬ彼女の口からのネタバラシに、サナギは呆けた声が出てしまう。

元凶。サナギの村が崩壊したそのものが、眼前にいる。

普通なら怒りのままに襲いかかるのだが、サナギは訝しげに少女を観察するだけに留めている。


「あら、襲いかかってこないのね。てっきり、いきなり首を絞めに来ると思ったのだけれど」

「…………訳のわからない場所に連れてこられて、そんでそこに女の子がいて。

 あろうことか、元凶ですって言われてもな。ただの煽りにしては悪趣味だ、アンタ」

「全部失ったっていうのに、冷静ね」

「まさか。ただ、衝動のままに動いても結果は得られない。

 絶対許さない、必ず殺す。そう思っているなら尚のことだ」

「結構。狂気に身を委ねて自滅する程度の復讐者なんて面白くないもの」


 彼女に対して激情を抱くには状況の移り変わりが激しすぎる。

誰が仇なのか。少女はそもそも何者なのか。まずはそこから始めないといけない。

全てはこの憎悪を晴らす為に。暴発した憎しみは既に吐き出した。

理性で制御し、成し遂げろ。それまでは決して見誤ってはいけない。


「お前は、何だ?」

「悪魔」

「簡潔だな。それで、こんなよくわからない所に連れてきた目的は」

「せっかちね。衝撃の真実、正体判明だっていうのに、驚きもしないのね……つまらないわ」

「自称とは言え、悪魔と名乗る奴がまともじゃないなんて誰でもわかるだろ。さっさと本題を話せ」

「はぁ、本来ならもっとゆっくりと歓談を楽しみたかったのだけれど。

 これ以上の引き伸ばしは貴方の機嫌を損ねるだけみたい」

「故郷が滅びたばかりの奴が和やかに歓談できるとでも思ってんのか?

 だとしたら、頭の茹だり具合が半端ないな」

「口が悪いわね。まあ、これ以上引き出せるものはなさそうだし、本題に移らせてもらうわ」


 何がおかしいのか、口元に手を当ててくすくすと笑う少女はサナギをじろじろと見つめてくる。

そして、やがて決意を定めたのか、自称悪魔の少女はゆっくりとにじり寄り、サナギの掌をぎゅっと握り締めた。

見た目と違わず、少女の掌は柔らかく、力を込めたら握り潰してしまいそうだ。












「貴方――――今ここで、死んでくれないかしら?」

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