7「運がよかったから」
重ねて思う。何度も、何度も。反芻してサナギは思う。
――強くなりたい、と。
そんな願望を一回も抱かなかったと言ったら嘘になる。
幼心ながら、そう思ったことは否定しない。
けれど、ライハという本物を見て、あっさりと消え去ったものでもある。
努力では到底太刀打ちできない才能の壁。異世界転生なんてアドバンテージにすらならない。
もしも、自分にも魔力があったら。そんな願望を抱いたが、無理なものは無理だ。
サナギ・ケルストルは英雄になれない。
突然、雨のように才能が降ってくる訳でもなし、非凡とは程遠い村人Aが自分がなれる限界だ。
けれど、それでいい。
無理に手を伸ばして届くものとは思っていないし、手を伸ばした反動が怖い。
不相応に高望みをして、全てを失ったらどうするというのだ。
(なぁんも難しい事を考えないでだらだら生きていけたらいい。
今度こそ、理不尽に奪われないように、俺は――)
思っているよりも、脳裏には前世の理不尽が深く刻み込まれているらしい。
理不尽に負けない強さを。自分の命を失うような事態はもう御免である。
だから、これ以上話は広がらないし、繋がらない。
「これで、いいんだ」
そうして、ライハ、コナギ、カロナが旅立って、日常は平穏を取り戻した。
また、何時も通り、代わり映えのしない時間が過ぎていく。
一日、一ヶ月、一年。穏やかに、かといってつまらないものではない。
ライハやコナギが里帰りすることもあったし、逆に、自分が彼女達の元へと行くこともあった。
その過程で頭の痛くなる縁が幾つかできたり、コナギが中々王都から帰してくれなかったり。
本当に、色々とあった。歳を取る度に新たな発見があった、出会いがあった。
何時しか前世と同じ年齢へと至ってしまった今、サナギはようやく前世にある程度の区切りをつけて、現世を受け入れられる気がした。
ひとまず、サナギが立てた目標は今の家族をちゃんと好きになって、距離を縮めることだ。
彼らは自分に対して無償の愛を注いでくれる。その裏に打算はない。
魔法の才能がなかったと言っても気にするなと笑い飛ばしてくれた家族である。
姉であるコナギはハイライトの消えた目でぶつぶつと騎士を処すと呟いていたのはかなり怖かったけれど。
――やはり、家族なのだ。
彼らに対して家族の親愛を純度百パーセントで向けることはできない。自分でもどうしようもない感情だ。
前世を大分割り切れそうとはいえ、残るものはある。こればかりは、不甲斐ない自分をどうか許してほしい。
それでも、いつかはきっと。心から彼らのことを家族と認めたい。
この悩みを笑い話として笑い飛ばしたい。そう、思っていることはきっと間違いじゃない。
ライハ達が旅立ってから、サナギは早起きをして、一人村から抜け出すことが日課になっていた。
魔物も滅多にいない離れた丘で、一人茫洋と空を見る。
幼馴染と姉がいるあの空の向こう。恩師が旅をしている見知らぬ大地。
世界は広く、もしも才能があったならばカロナのように冒険者になっていたかもしれないな、と。
とりとめのない妄想を頭に投影しながら、サナギは大木へと登り、ゆったりとした姿勢を取る。
軽く二度寝をしよう。割りかし朝早く来た影響か、まだ頭には睡魔が残っている。
深く、深く。何とも言えない倦怠感を抱いて、眠りに落ちる。草の匂いに包まれ、表に出ない寂寥を吐き出していく。
――それで、いいの?
声が聞こえる。暗闇で朧気な状態なので、あくまでも幻聴なのか。
ただ、ひどく聞き覚えのあるような、そうでないような。
ぼんやりとした頭にしては、すんなりと頭に入ってくる。
とはいえ、サナギの懊悩は生憎と血生臭さとは無縁だ。
これまでも、そしてこれからも。第二の人生は、平々凡々と生きていく、と。
深く、深く。睡魔の海に沈む間際、誰かの顔が見えた気がした。
どうせ、これは夢の中、眠ってしまえば忘れてしまうのに。
ただ、何故かわからないけれど、酷くその声が、悲しげに聞こえたから。
軽い気持ちで、幼子をあやすように、大丈夫だよ、と。答えようとして。
何も返せないまま、サナギは眠りへと落ちてしまう。
眠る寸前、不思議なことに気持ちよく、深く眠れる気がした。
普段ならば浅い眠りなのに、どうしてこんなにも深く眠れる予感がするのだろう。
その疑問が氷解する前に、サナギの意識は消えてしまった。
そうして、目覚めた時、全てが終わってしまった事実を知らず。
サナギの意識が再覚醒した時、既に太陽は天高く上り、昼下がりに差し掛かろうとしていた。
まさか、ここまで爆睡してしまうとは。ふらふらと身体を前後させ、ゆっくりと目を開ける。
さてと、家族にどう言い訳をするべきか。朝起きたら息子がいないとなると、今頃は大騒ぎになっているかもしれない。
村人全員を巻き込んでいたらもうお終いだ。たぶん、いや間違いなく、すごく怒られる。
もう急いでも仕方がない時間ではあるが、手早く謝った方が遺恨を残さない。
サナギは木から降りて、伸びをしつつ、歩き出す。
これでコナギが村に残っていたら、もう目も当てられない。
――気づくな。
村への帰り道を一人歩く。
今日はご飯が抜きになってしまうか。いや、あのお人好しの両親がそんなことできないはずだ。
――気づかせるな。
甘んじて怒られよう。素直にごめんなさいを言おう。
――気づかせないでくれ。
自分達は家族だから。もういいだろう、前世を言い訳にして距離を置くのはやめよう。
――気づきたくない。
今度こそ、家族と向き合う。
真っ直ぐに彼らの目を見て、父さん、母さんと呼ぼう。
――気づいてしまう。
偏に運がよかった――否。ある種、この運の良さは必然である。
――気づいてしまった。
視界に広がる、滅んだ村の光景が、『サナギ・レンジ』の、始まり。
優しくて、甘い、日常の終わり。
“運がよかった”代償はもう、払われた。