6「月が綺麗だったから」
そうして、数日間の滞在の後、彼女達はライハ達を引き連れて王都へと旅立っていった。
騎士二人の付添があるので、道中の安全は担保されているようなものである。
むしろ、心配なのは王都に辿り着いてからだ。
ライハは気丈な顔でコナギは顔が涙と鼻水で塗れており、本当にやっていけるのか心配である。
しかし、これぐらいの荒療治をしなければ、ライハはともかく、コナギは絶対に自分から離れない。
依存し合う関係――もう遅すぎる気がしないが、手遅れになってしまう前に手は打っておくべきだ。
最後にルルーノが言い残した『またね』が何とも気がかりだが、それに関してはいくら考えても仕方がない。
「最後まで泣かないなんて、やっぱり男の子なんだなぁ、サナギ君」
「茶化さないで下さいよ、先生。というか、泣きませんから、このぐらいで」
ライハ達が旅立った後の夜、サナギはカロナと二人、村外れの小高い丘の草原で、反省会を開いていた。
サナギが一人考え事をしたい時によく来る逃げ場所である。今日は珍しく、一人ではないけれど。
ちゃんとうまく背中を押すことができたか。彼女達を傷つけずにできたか。
幾ら、転生者とはいえ女心は詳しくないし、前世でも得手としていない。
そういう意味で、カロナはサナギにとって正しく先生であった。
自分の知らない異世界の知識や日常の振る舞いまで教えてくれる。
転生者とはいえ、前世でもまだ子供の域であった自分の知識の補完として、カロナへの尊敬は高かった。
「考える限り、最良に近い背中の押し方なんじゃないかな。少なくとも、私はそう思う」
「これで、俺が才能アリ認定されたら何も言うことはなかったんですけど。
まあ、現実そこまでうまくは回りませんね」
「確かに、サナギ君にそういう才能があれば、ライハちゃん達についていけたからね。
でも、ないものはないんだし、仕方ないんじゃないかな」
「そうですね、俺は割り切れてるんですけど……」
実際の所は、ルルーノから打診はあったのでついていこうと思えばついていけたけれど。
その話をしてもカロナを混乱させるだけなので、黙ったままである。
そもそも、ルルーノの気まぐれかもしれないし、自分がばらした所で信憑性もない。
「ライハはともかく、姉さんは本気で大丈夫か心配ですね」
「でも、いい経験にはなるよね。サナギ君にべったりだったから、独り立ちできるといいね……」
「できたら、いいんですけどね……」
軽く溜息をついて、サナギは強いようで弱い幼馴染に思いを馳せる。
姉に関してはご覧の有様なので、もうどうにでもなれ。
ただこのまま自分にべったりだった場合の未来が完全に一つしかないので、無理矢理にでも離すしかなかった。
「もう諦めた方がいいんじゃないかなあ」
「そうしたら、俺の胃が死にます。毎日あのべったり具合、それが死ぬまで続くって考えると胃もたれ待ったなしです」
姉のことはそこまで嫌いではないが、あそこまで過保護だと流石に辟易する。
器量良し、将来性良しといった傍目から見ると優良間違いなしなのに、何故こうもブラコンを拗らせてしまったのか。
お願いだから都会で適度に余裕のある伴侶を見つけて落ち着いてほしい。
「姉はもう俺が何をしても悪化するだけだと思うので……。普通に心配するならライハですね。
ああ見えて、繊細な所もありますし」
「よく見ていますね。私や大人のいる所ではしっかりしているのに」
「まあ、大人ぶりたいんすよ。俺にも姉貴面してましたし。お節介二人の相手はご覧の通り、疲れてたまらない」
ライハは打たれ弱い。外面ではごまかしているが、内面は寂しがりやで年相応だ。
コナギも一緒だからジェネリック弟のように可愛がられて、お互いに足りない部分を補ってくれたら、と。
それはそれで共依存の関係になったらどうしようかとも思ったが、他人の間柄に首を突っ込むものではない。
(相変わらず、他人事が抜けきらない。結局の所、俺が距離を置いてるだけだ。前世を、忘れられないままで……)
前世での経験が、絆が、頭から離れない。
友だちの名前と顔はほとんど薄れてしまった。幼馴染や家族の顔も今ではおぼろげになっている。
それでも、自分の頭には『佐名木蓮司』がこびりついているのだ。
「…………俺は、どっちなんだろうな」
だからなのか、彼女達へと、現世の家族にも、踏み込めない。
最も、そんな理由は些細なことと片付けられるはずだ。
前世は前世、現世にまで引きずる必要はない。そう、言い切れない自身の曖昧さに嫌気が差す。
どうあがいても、拭えない鬱屈が泥のようにへばりつく。
本当に自分は彼女達のことを、家族のことを、見ているのか、と。
常に問いかけられている気がしてたまらないのだ。
「うーん、サナギ君が何を抱えているかは知らないけれど。大抵は時間が解決しますっ!
それはもう、大抵のことが! 大体! 解決します!」
そんな、微妙な居心地の悪さは、カロナと話すことでサナギもある程度は落ち着くことができた。
赤の他人という遠い間柄でもなく、かといって家族のように近い間柄でもなく。
絶妙な距離の遠さが幸いしたのか、現状の所カロナは一番肩の力を抜いて話せる相手かもしれない。
年上故に分別もついており、うざ絡み女騎士とは月とスッポンである。
「ふっ、くくっ、大雑把すぎないですか?」
「それくらいでいいの。考えすぎていい時もあるけど、それはまだ先。時間はたっぷりあるんだから、使わないと損じゃないかな?」
茶目っ気を出した笑みに、サナギも思わず笑い声が出てしまった。
それはいつも意図して作っているようなものでもない自然なもので、前世とか抜きに気が楽になる。
「この別れが最後じゃないんだし、まだまだ長いんだよ、人生って」
「これが老獪でお年がちょーっと上な人が言うならともかく、若々しい先生に保証されても、どうにもならないと思うんですが」
「そういう鋭い突っ込みはやめてほしいなぁっ!? ともかく! 考えすぎたら駄目ってこと!」
何だか本物の姉よりも姉的なポジションにいるのではないか。
あの無償の愛を惜しみなく捧げます的な豪速球のストレートを受け止めきれない自分も駄目なのかもしれない。
いや、弟と添い遂げるとか抜かしてる姉をまともに受け止めたら胸焼けするに決まってる。
「……たぶんあいつらより、先生との別れの方がよっぽどきついっていいますか。
先生みたいな定住無しの根無し草な人は相当頑張らないとですよ」
「……私の場合は各地を回るしなぁ。ライハちゃん達より難しいよね。でもでも、初めての教え子は忘れないよ!
サナギ君はそうだし、他の皆もね!」
そんな胸焼けが確定している彼女達とは違って、カロナとの別れは湿度の高いものになるだろう。
今は一時的な定住をしているが、彼女の元々の職業は流浪の冒険者である。田舎の子供達に学問を広げることが夢であるカロナは一定の時期を過ぎたら、この村を離れる。
それも、そう遠くない内に、きっと。
「なら、先生との思い出を作るなら今の内ってことですかね。こうやって二人で空を見上げるのも、その一環という訳で」
「うんうん。楽しい思い出は永遠だからね、色褪せることなんてないないっ」
もう、会うこともない。
現代だったらあまり考えられなかったこともこの世界では身近に感じられる。
それでも、こうして二人で見上げた空は、星屑が散らばった綺麗な空は、思い出として永遠に残るだろう。
決して、忘れない、忘れたくない大切な日常の一欠片として。
「月が綺麗だねぇ」
空を見上げると三日月がくっきりと見える。綺麗なだけで、何の答えも与えてくれない無垢な月。
けれど、見惚れるくらいに月は煌々と輝き、美しさを保っている。
見る者の心を穏やかにしてしまうくらい、綺麗な月。そして、涼しげな風に揺れる草花。
サナギとカロナは隣り合って座り込み、満天の星空をずっと、ずっと見上げ続けた。
月と星と雲の跡。草木の澄んだ匂い。思い出として残るには十分なくらい、二人の世界は整っていた。
「先生、その言葉は……ああ、別にいいです」
この世界では特にその言葉に深い意味合いはない。されど、気にしないというのは流石に無理なことだ。
サナギ自身、意識しすぎないようにと自制しているが、夜の草原でカロナと二人きりというのは中々に厳しい。
もちろん、女性として変に意識しないという意味であるけれど。
「……いつか、色々と割り切れたら、こんなこともあったな~って笑い飛ばせるくらいには落ち着けたらなぁと思います」
「そうそう、先生との思い出もそんな風に飾ってくれると嬉しいな」
「……どうでしょう、すぐ忘れてしまうかもしれません」
「そんなぁ、それは嫌だよぉ」
サナギは肩を竦め、おどけるように片目を瞑る。
楽しくて、落ち着いて、煌めいて。
夢のような一時だった。いつもは作りモノめいてる日常が、本物であるような気さえした。
そして、終わるのも一瞬だった。カロナの教導任期が終わり、この村から離れる。
「それじゃあ、私は行くね」
少し寂しそうに笑うカロナを前に、自分は取り繕えていただろうか。
ライハとは違い、これが今生の別れになるかもしれない。
そう、思うと顔に寂しさが滲み出していくる。
やはり、何度繰り返しても別れというものは慣れない。
それでも、涙を見せず送り出せたのはきっと、前世分で培った我慢強さだろう。
「先生、お世話になりました」
「こちらこそ。初めての教え子だったから色々と拙い所があったけれど、何とかやりきれてよかった」
「また、いつか。これから世界を回って、ちょっと休暇が欲しいなって時はぜひ来てください」
「そうするよ。何年先かわからないけどね」
カロナのように世界を巡る冒険者はいつだって危険と隣り合わせだ。
明日死ぬかもわからない旅路を彼女は行く。されど、その旅路は辛いことばかりではない。
他ならぬカロナが笑って言うんだから間違いない。
「さよなら、サナギ君。ライハちゃん達を泣かせたら駄目だよ?」
「泣かせませんよ。先生こそ、一人でべそかいても知らないですからね」
そうして、彼女もこの村から旅立った。
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月が、見ている。
空に浮かんだ月を、見ている。
深き所より、底という概念がないであろう所から、見ている。
光なき場所で、何も見えない世界で、誰かが見ている。
――――置き去りにしてしまった思い出が、見つめている。