2「幼馴染だよ!」
そんなこんなで、佐名木――『サナギ・ケルストル』は異世界にて転生したのだ。
名前は何故か苗字だけそのままというへんてこ具合だが、まあいい。
短い人生なれど、慣れ親しんだ名前だ。今度こそこの名前とは長い付き合いにしたい。
これでまた死んで違う名前になるとか勘弁願いたいのだ。
そうして、自らが転生したという事実を認識してからは、あっというまに年月は過ぎていく。
現状の年齢は、小学校の学年でいうと低学年といったところだろうか。
これがある程度しっかりした街――いやそれなりの街でも学校くらいはあるはずだ。
現代の娯楽溢れる環境を省みると、つまらない村だ。まあ、ケチつけるなら自分の力で村を出るしかねぇな。
しかし、サナギが住むこの『カイフルト』という村は一言で言うと辺境のド田舎である。
一面の森と山、動物の鳴き声が響く娯楽なしの村だ。
子供こそいるが、学校を作って運営するには少々心許ない。
とはいえ、行商人が来ることもある為、外部と遮断されている訳でもない。
これが外部と完全遮断ならサナギも乾いた笑いを上げていたけれど。
そりゃ、全部の都市に学校や娯楽施設を作るなんて無理だ。
しかし、教育を疎かにするという意識は大人達にはないらしい。
この村で一生を終えるか、それとも都会へ出るのか。
どちらにせよ、中途半端な環境でおざなりな教育を受けさせるのは心許ないと大人達は口々に話していた。
彼らはしっかりとした教育を子ども達に受けさせるべく、そういった専門の『冒険者』へと依頼をすることもある。
腕も立ち、勉強も教えられる。サナギからすると完璧超人かよと言わざるを得ない。
ともかく、ありがたい大人達のおかげで、教師的な存在が来て、ある程度の学問を教えてくれるのだ。
無論、いつまでも滞在してくれる訳ではないが、大人達からすると安心なのだろう。
……けれど、それが子供のやる気に繋がるかは別問題だ。
そのありがたい教師様が教壇に立っている中、サナギは普通に居眠りをしかけていた。
この世界について学ぶ絶好の機会だというのに、すこぶる眠い。
頭ではわかっている。勉強は必要なことだ。
それでも、怠惰に居眠りをしたくなるのは元来の物臭な性格もあるだろう。
嗚呼、全く。学校の授業はどうしてこうも眠くなるのだろうか。
サナギもその一人だ。まだ小学校低学年の年齢である以上、集中力というのも持続しない。
――あからさまに爆睡してないだけ許してほしいね。いや、年齢的に許されちゃうんだろうけど。
この教室――普段は別の用途で使う大きな小屋に集められた子供達は各々自由だ。
自分と同じように授業に辟易したのか、机に突っ伏して寝ていたり窓でも眺めて茫洋としている生徒もいる。
年齢の都合上、真面目に授業を全員が受けると言うのは難しい。
無造作に伸びた前髪を軽く掻き上げながら、サナギは眠たげな眼をこする。
ただ、ひたすらに、眠い。望みもしない欠伸が止まらないのだ。
当然、教師の話も全く頭が入ってこない。
かろうじて耳に入ってきた言葉だけを、とりあえずノートに乱雑に羅列しているだけだ。
後々読み返す時に、苦労するだろう。
元々、勉学へのやる気など欠片もないのだ、無理もない。
そうしてぼんやりとしている内にいつのまにかに授業は終わってしまった。
「サーナーギー!」
それにしても、改めて考察すると、この世界は元いた世界と似ていて非なるものであった。
言葉とか食べ物とか習慣とか学問とか。根源が違えど、同じものが多いのは大変助かる。
ご都合主義万歳、この恩恵のおかげで怠惰に過ごしていても、勉学が遅れずに済む。
もっとも、成長と共にその恩恵もなくなり、いつかはある程度の知識を蓄えるべく、勉強しなくてはならないけれど。
とはいえ、何から何まで新しいとなると頭が痛くなるし、学び直すのも一苦労だ。
前世の記憶が足枷にならないことに、神に感謝である。
(ファンタジーなんだよな、この世界。漫画の中に入っているみたいなこってこてのやつ)
ただし、非なるものと称す通り、違いはある。一言で言えば、ファンタジー。
生まれ変わった世界は、剣と魔法が主流で魔物が存在する世界なのだ。
加えて、人種も多種多様。人間以外に獣人だったりエルフだったりドワーフだったり。
果てには妖精といったものもいるらしく、これにはサナギも驚くしかなかった。
最初こそ、話半分の認識であったが、周りの反応もとい普段受けている授業からするになんと本当である。
できることならそんなファンタジーの王道的な存在を一度はお目にかかりたいものだが、そううまくはいかないだろう。
「……」
「サーナーギー!!!!!」
「聞こえてるから。というか耳元で大きな声を出すな」
更には、職業も御伽噺の中に入ったかのようなものがある。
冒険者、騎士、勇者。漫画やアニメでよく聞く架空の職業が、この世界では現実としてきちんと根付いている。
ここまで御伽噺の中でしかあり得ない要素が複合的に存在すると、逆に清々しささえ覚えてしまう。
サナギは夢物語が大好きな訳ではないが、ワクワクする気持ちが全く無い訳ではない。
「サーナーギー!!!!!!!!!」
「聞こえてるって言ってるだろ……」
「聞こえてるならこっちを向く! 人と話す時は目を見てって言われてるでしょ!」
「目を合わせる必要、あるか?」
「あるよ!」
「別に目を合わせなくても会話はできると思うし、眠いから拒否権発動な」
「むむ、屁理屈ばかり。サナギはいつもそうやって逃げる!!」
そうしてつらつらと思考を重ねて無視をしていたのだが、いい加減耳元で叫ばれると煩い。
億劫といった態度を隠さず、サナギは少女へと顔を向ける。
これ以上スルーし続けると、しばらくはしがみつかれてしまう。
「ライハと違って、いつも直球勝負じゃないんだよ、俺は」
先程から大きな声で此方へと声をかけてくるのは幼馴染である『ライハ・ストルトース』だ。
くりっとした大きな翡翠色の目に、丹念に手入れがされているであろうセミロングの金髪。
可愛らしいワンピースとは裏腹に活発さを感じさせる足首の擦り傷。
この幼馴染は子供という括りでは明らかに大人びている自分にも遠慮なく迫ってくる。
生まれ変わりの影響もあるからなのか、年相応に振舞うのは存外に難しい。
どうしても周りの“本物”の年相応とは違いが出てしまう。いくら演じても、頑張っても、だ。
その影響か、あまり親しい友人が生まれない中、自らへと近づいてくるライハにはこれでも感謝しているのだ。
常にテンション最高潮の騒がしさについていけないが、それでも彼女がいてくれたおかげで、自分はまだ子供でいられる。
口に出すのは恥ずかしいから言わないけれど。
「この、過干渉系幼馴染」
「サナギが無関心過ぎるんだけど。もうちょっと私に優しくしてくれてもいいんじゃない?」
平常でも釣り眼なのに更に釣り上がった眼、何度ともしれない溜息。
彼女の表情にはありありと呆れが顕になっている。
そんなライハとは裏腹に、サナギは誤魔化すように、へらへらと表情を崩して笑う。
この状態の彼女にいくら言葉を投げかけても無駄だ。もう潔く、ありがたいお小言を聞くしかない。
もっとも、お互いにこのやり取りを心底嫌がっている訳ではない。
軽い会話、いわば挨拶のようなものだ。
だって二人は幼馴染だから。言葉の刺々しさとは裏腹に、遠巻きでニコニコとこちらを見ている先生が良い証拠である。
「先生みたいなおしとやかな女性なら話は別だな。俺も心を入れ替えてもっと優しくするっての」
「ええっ、私!?」
「ひっどっ! 私だって女の子だよ!?」
傍からニコニコと眺めているだけだった先生も流れ弾を看過できなかったのか、この言葉には大慌てで止めに来る。
何でも、この子供達を導き、教える派遣教師的な存在の彼女はこの村が初めての教導であるらしい。
サナギの軽口に一挙一動あわあわしていることから、仕事に慣れてないことがよくわかる。
とはいっても、教導はわかりやすく、なんだかんだ言いつつも彼女が優秀なのだとわかる。
「しゃーないだろ。カロナ先生はライハと違って繊細なんだから。態度の差も致し方なし」
「私も繊細!」
「膝に傷をつけて元気に遊ぶ女の子が繊細な訳あるかよ」
そんな自分達の軽口にオロオロとして、初々しさが全開の先生である『カロナ・キュリット』は控えめに言って美人である。
銀色の髪はスーパーロングのポニーテールで、薄手のワイシャツにカーディガン、スカートも膝下までばっちりだ。
しかも、胸が大きい。これはサナギにとっては、重要要素である。
ふるりと震える度に胸が揺れる。大変眼福だ。
「ええ、と。サナギ君もそれ以上はライハちゃんが泣いちゃうから、ね?」
「こいつ、泣き真似うまいから騙されちゃだめですよ。ここで緩めるとめっちゃつけあがるんで。もう何度も経験済なんで」
「たまには私だってサナギに女の子扱いされたいのに……」
「はいはい、いつかな。お前が先生みたいに綺麗になったら考えてやるよ」
カロナは苦笑いでごまかしているが、実際の所、ここまで綺麗な人はあまりいない。
それでいて、学識も深く、魔物蔓延るこの世界で一人旅ができるくらいには腕っ節もいい。
当然その流れから、家事的なものもある程度はできるらしい。
翌々考えてみると、この人は本当に欠点なんてないのではとさえ思う。
「というか、今更そういう対応をお前にするのは、恥ずかしいんだけど」
「カロナ先生にはしっかりそういう態度を取っているのに、なんでよ!」
「年上の女性だからな。俺だってお世話になっている人達に礼儀を損なう程、落ちぶれちゃいない。
姉さんは、まあ、うん……」
「コナギは例外に入れてもいいでしょ……そういえば、今日はいないね。
サナギ好き好き大好き話がないし、静かだなあと思ってたけど」
「家業の手伝いがあったからな。俺は姉さんから逃げたかったから授業の方に来たけど」
サナギは、変に早熟しているせいなのか妙に大人に可愛がられる。
中身も大人という訳ではなかったが、それでも年月分のアドバンテージはある。
これでも、聞き分けのいい子供をできる限りは演じてきた。
もっとも、そんなのはお構いなしに、姉である『コナギ・ケルストル』は甲斐甲斐しく面倒を見てくれる。
過保護過ぎではとサナギが懸念を浮かべるくらい、それはもう愛が重い。
とはいえ、好かれるというのは悪いことではない。少なくとも、嫌われ、迫害されるよりはずっとましだ。
「まあ、うん。家族に優しくしようね、サナギ君」
「わかりました。カロナ先生がうまく締めてくれたしこの話はこれでお終いだな」
「もう、はぐらかして! そんなんじゃ立派な騎士になれないよ!」
「……また、それか。というか、騎士になりたい訳じゃないからな、俺。英雄願望とは無縁……とまではいかないけどな」
「うっそだー! 周りの皆は騎士になるんだって言ってるし!」
理不尽に晒されることなく、穏やかに暮らしたい。
前世のように誰かを庇って死ぬのはもうゴメンである。
それが第二の生を受けたサナギの嘘偽りのない願いだ。
この片田舎である村で、家族と幸せに生きていけたら、文句はなかった。
冒険者とか騎士とか、そういう立場になろうとはあまり思わない。
脇役上等、主人公みたいな活躍なんて望まないから、平和をください、と。
しかし、他の子供達はどうやらそうは思わないらしい。
「王都の審査がもうすぐ来るんだろ? あんなの、ちょっと頑張った程度で変わるかよ」
運命を飲み込む器は、まだ出来上がらない。