1「喪失のボーイ・ミーツ・ガール」
理不尽という言葉はまさしくどんな時にもついて回るものだろう。
普通の、ごく当たり前に生きてきた人生だった。
ただ一つ言えるのは、その人生があまりにも短いということか。
高校一年生。青春真っ只中である少年、『佐名木蓮司』の胸中は後悔だけだった。
やりたいことがある、やりたくないこともある。
もっとも、そんな懊悩も死んでしまったら終わりだ。
(――こんなはずじゃなかった)
いつもどおりの日常だったはずだ。
少し早めの時間に起床して、瞼を擦りつつフラフラと起き上がる。
朝食は食べない。低血圧な身体は朝からモノを食べるようにはできていないし、そんな時間があるなら一秒でも長く布団にこもっていたい。
怠惰な朝を本当は過ごしたいものだが、佐名木にはやらなくてはいけないことがある。
アホ。天才。貧弱。軟弱。虚弱。外側だけは美少女。中身が破綻し過ぎて、逆に平常。
そんなできることならお近づきになりたくない、幼馴染を起こしに行かなくてはならない。
自分がこうして制服に着替えている今も、彼女はまだ布団の中で惰眠を貪っているはずだ。
普通、シチュエーション的に逆なのではないかと常日頃から感じているが、彼女は自分よりも朝が弱い。
(少なくとも、今ではないって思っていた)
ぐずる彼女を無理やり起こして、自分よりもフラフラの状態で着替えて。
身体が弱いからか、
傍から見るとポンコツなのに、これでも頭脳明晰で望めば大学に飛び級だってできる。
未だに自分にひっついて高校生をやってることが信じられない。
溜息をつきながらも、彼女の世話をすることはそこまで嫌いじゃなかった。
こうしてだらだらと続く日常が好きだった。
いつまでも、とは言わないが、少なくともしばらくは続くと信じていたのだ。
(まあ、でも、こうなっちまったなら、無理だ)
不慮の事故だった。青信号で横断歩道を渡っている時に猛スピードで突っ込んでくる自動車なんて、予測がつく訳がない。
加えて、そういうものがあったとしても、自分とは縁遠いものだ。
その災難が自らに降りかかるまでは、そう、思っていた。
しかし、現実はいつだってそういった安心を打ち砕いてくる。
彼女よりも先に気づけたのは幸運だった、おかげで、死ぬのは一人だけで良くなる。
一瞬の判断だった。一緒に歩いている幼馴染を車線から突き飛ばして――できたのはそれだけだ。
乱暴に突き飛ばして不満げな表情を浮かべていた彼女に、自分はどんな表情を浮かべていただろうか。
吹き飛ぶ身体、遅れてやってくる痛み、地面に叩きつけられ、ひしゃげた四肢。
佐名木は溢れ出た後悔に苛まれつつ、茫洋と空を見上げ続けた。
――畜生、ああ畜生!
口から漏れ出す血の味もわからなくなってきた。視界も霞み始めて、痛みも徐々に消えていく。
もうすぐ、自分は死ぬ。
特段に輝かしいものを残すことなく。
特別に絆を結んだものを生むことなく。
何にもなれず、何にも抗えず。無様に無意味に無価値に死ぬ。
男子高校生一人が死のうとも、世界は平常運転だ。
そんなこと、わかっているし否定をするつもりはない。
けれど。ああ、けれど。
(車に轢かれてもピンピンしてる強い身体だったら、死なない、なんてな)
知ったことか、その道理。
死にたくないという想いに道理も糞もない。
「なに、ないてん、だよ」
誰にも聞こえない、小さな呟きが最後の言葉だった。
へたり込んで泣きじゃくってる幼馴染が視界の端に映る。
そんな顔、見たくて庇った訳じゃないのに。
でも、自分がその立場だったら泣きはしなくても、悲痛な表情で硬直しているだろう。
(やり直せたら、なぁ。一回くらい、チャンスくれてもいいんじゃねぇの?)
死ぬ間際の切なる願いを、世界は無視しなかった。神はその意志を見届けた。
惜しいと感じさせるぐらいには、自分の衝動は目を惹いてくれたらしい。
目を閉じ、暗闇へと沈む最中、声を聞いた。
『――強くなりたい、いいとも。わかるよ、その気持ち。
そう簡単には死なない、溢れんばかりの生命力。災難辛苦に耐えうる身体。
与えてやろう、認めてやろう。他ならぬ神がそう誓おう。
なぁに、心配はいらない。この世界と似た世界で、君は未来を掴めるさ。
強く、雄々しく、前へと進むといい。それが、私への礼になる。
今度こそ、生き抜くといい。君の願いを間違えないように、強く』
この言葉を最後に、世界は再び流転する。
正確に言うと、切り替わったというべきか。
暗闇から光へ。いきなり変化した世界に目が眩み、思わず泣き喚いてしまった。
否。ただ生きる為に、少年――否、赤ん坊は泣くのだ。
訳もわからず、佐名木は困惑を尻目に泣き続けた。
ふと目を開けると、笑顔の男性が見える。
横たわる女性の手を握り締め、よかった、よかった、と。祈るように囁き声を繰り返している。
それを見て、佐名木の結論は一つに固まっていく。
(生まれ、直しか?)
つまるところ、死の間際に抱いた願いが世界に届いたということなのだろう。
生きている。確かに、この鼓動は本物だ。少年はやり直しの機会を得ることができた。
まあ、そういう奇跡もあるのだろうと納得した。というよりも、納得する他なかった。