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藤本教授の青春  作者: イモ子
8/10

その8


                 (8)


「ちょっと、あなた!叫んだりしてどうしたの?」

 近くから聞き慣れた声がした。目を開くと、そこには藤本教授の奥さんが『やれや

れ』と云う感じで立っていた。何が起こっているのか良く理解出来なかった。

「へっ?」

「もう、びっくりさせないでよ。パンツ一枚で床に寝たりするから変な夢を見るのよ」

奥さんは呆れたように言った。

「夢?」

「朝食の用意が出来てるから早く来てちょうだいね」

 奥さんは、そう言い残すと部屋を出て行ってしまった。独り取り残された後、キョ

ロキョロと辺りを見回す。窓からは朝日が差し込んでおり、少なくとも森ではないよ

うだった。

「夢だったのか…」

 ホッと胸をなで下ろす。良かった、と心の底から思い先ほど見たものが夢であるこ

とを神に感謝した。

「それにしても…」

 それにしても夢の中で何故わしはあんなに涙を流したのだろう?そして、この胸の

トキメキは何だろう?も、もしかして恋?

「い、いかんぞ。わしは妻子のある身。そんな不謹慎な事を」

 藤本教授は自分を激しく叱った。しかし、この溢れ出す感情を抑える事はどうして

も出来なかった。

「恋…」と口に出して言ってみた。何て事だ。教え子に恋をしてしまうなんて。これ

から一体どんな顔をして可額智遊に会えば良いのだろう。激しく鼓動を打ちながら早

く会いたいと思う気持ちと、二度と会いたく無いと思う気持ちが入り乱れていた。

 藤本教授は背広を着こんでリビングに行くと浮かない表情で朝食をとった。そして

朝食を食べ終えるといつもより少し早めに家を出た。ぼんやりと道を歩きながら電車

に揺られながら、ずっと可額智遊の事を考えていた。

「何て事だ…」藤本教授は呟いた。近くにいた女子高生が不審そうな目付きでこちら

を見た。 

 大学に着くと、自然と自分の研究室へと向かった。時間が早いせいもあって他の教

授や学生の姿はほとんど見られなかった。建物の6階にある研究室に向かう為にエレ

ベーターに乗り込む。しばらくするとエレベーターはガタンと音を立てて閉まった。

「はぁー」

 と切なく溜め息をついた。何だか帰ってしまいたくなってきた。ここにいれば可額

智遊とも顔を会わせてしまうかも知れない。そんな事になってしまったら…考えるだ

けで顔が赤くなってくる。

「はぁー」

 藤本教授は再び溜め息をついた。そして、エレベーターの階表示を見た。しかし、

電光表示は『1階』で止まったままだ。

「あれ?」

 おかしいな、壊れてるのかな?まさか!閉じ込められたのだろうか?こんな所に閉

じ込められてしまったら皆が騒ぐ。やじ馬も沢山来る。もしかしたら可額智遊も噂を

聞きつけて、やって来るかも知れない。エレベーターに閉じ込められたなんて、そん

な恥ずかしい事は死んでも知られたくない。藤本教授は激しく焦った。慌てて『開』

ボタンをカチャカチャと押してみる。すると、なんて事なく扉はスルスルと開いた。

単に行き先の階のボタンを押していなかっただけの話なのだ。安心してボタンを押す

と忠実なエレベーターはガタガタと動き出した。

 チーン、と音が鳴って目の前の扉が開いた。うつむいていた顔を上げて出ようとし

た時、自分の研究室の扉の前に誰かが立っているのが見えた。『恐らく、掃除のおば

さんだろう』などと思いながらも良く目を凝らして見てみる。

「ドキッ!」

 藤本教授は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリした。そこにいたのは可額

智遊だったのだ。慌ててエレベーターの『閉』のボタンを押した。しかし、扉が閉ま

る前に可額智遊が気付き駆け寄って来た。

「先生、待って下さい!」

 智遊は閉まりかけたエレベーターの扉を強引に開けて中に入って来た。

「どうして逃げるんですか?」智遊は言った。

「いや、わしは別に逃げたわけじゃなくて…その…受付で研究室の鍵を貰ってくるの

を忘れて…」藤本教授は言った。実は本当に貰い忘れていたのだ。

「そうなんですか、ごめんなさい。私の早とちりでした」

 智遊は照れ臭そうにと頭を下げた。

「いや、構わんですよ。変な行動を取ったわしも悪かったんだから」

 智遊は何も言わずにニッコリと微笑みボタンを押した。ガラガラとエレベーターが

動き出す。藤本教授は智遊と密室に閉じ込められて激しく緊張した。何を喋ったら良

いのか見当もつかなかったので黙り込んでしまう。智遊も黙って足元を見ていた。

 しばらくすると『チーン』と音がして扉が開いた。

「ちょっと待っていなさい。すぐに戻ってくるから」

 智遊は無言で頷く。藤本教授は早足で受付に行った。受付には誰も居なかったので

壁にズラリと掛けてある鍵の中から自分の部屋の番号の鍵を探して勝手に取った。そ

して、再び早足で戻る。エレベーターの中では智遊が退屈そうに指先に髪を巻き付け

ていた。

「お待たせしました。行きましょうか」藤本教授はできるだけ明るく言ってみたが智

遊は恐縮そうに頷いただけだった。

 二人は再び、エレベーターで6階まで昇り研究室に向かった。そして鍵を開けて中

に入る。智遊も軽く頭を下げると続いた。

「先生って部屋の中をきれいにしているんですね」智遊は辺りを見回しながら感心し

たように言った。

「そ、そうですか?」

 藤本教授は褒められて激しく喜んだ。う、嬉しい…きれいにしておいて本当に良か

った…。

「私の部屋なんて物凄くグチャグチャなんですよ。独り暮らしで誰も何も言わないの

をいい事に」智遊は笑いながら言った。

「可額さんは独り暮らしを?」

「はい、それほど珍しくないですよ。大学生の独り暮らしなんて」

「そうですか」

 藤本教授は頭を掻いた。

「ところで可額さん。こんなに早くに何事ですか?」

「あっ、そうでした。申し訳ありません、こんな早くに押しかけてしまって」

「いや、別に構わないのですよ」藤本教授は言った。申し訳ないだなんてとんでもな

い。自分が会いたかったくらいなのだから…。

「先生、先日の話なんですけど…」智遊は言った。

「あ、あれがどうかしましたか?」

 藤本教授はドキッとした。や、やばい…。

「先生、驚かないで下さいね。実は見つかったんですよ、あの扉が。それで少しでも

早く先生に報告しようと」

「可額さん、本当ですか?」

「正確に言うと見つかって手元にあるわけじゃないんですけどね」

「それでは一体…」

「昨日、先生とお別れしてから思うところがあって実家に戻ったんです。昨日、申し

ました通り、祖父は亡くなってしまいましたが、祖母はまだ生きていますから。それ

で、祖母に尋ねてみたんです。『おじいちゃんのコレクションの中に古い扉のような

物が無かったか』って。そしたら、祖母はケロリとした顔で言ったんです。『ああ、

そう云えば、そんな感じの物もあったな』って」智遊は少し興奮気味に言った。

「先日、中華料理店で申しましたように私はコレクションの相続権を両親に譲りまし

た。両親はとてもお金に困っていて、それらの品物をすぐに売り払って現金化してし

まったのです。もちろん、その扉も」

「それで、扉の行方は?」

「残念ながら分からないのです」智遊はションボリと答えた。

「そうですか…」藤本教授もつられてションボリした。

「先生、今日は授業をお持ちですか?」

「ええ、今日はこの後の1限にありますが」

「その後、何かご予定は?」

「いや特に。扉について少し調べようと思ってはおりましたが」

「そうですか。でも、もう必要は無いわけですよね」

「ええ、まあ」

「でしたら、一緒に来て頂きたい所があるんですけど」智遊は恐縮そうに言った。

「何処ですか?もしかして、また中華料理屋…」

「違いますよ。骨董屋さんです」

「骨董屋?」

「ええ、そうです。昨日の晩に父へ電話をして祖父のコレクションを売却した骨董屋

の場所を聞き出したんです。だけど、私、骨董屋なんて一度も行った事が無いし。ひ

とりだと不安なんです。それで先生に一緒に来て頂こうと思って」智遊は言った。

「そうですか。そう云う事ならば別にわしは構いませんが…。可額さん、あなた授業

はないのですか?」

「私の事は気にしないで下さい。先生はOKなんですね?」

 智遊は微笑んだ。

「ええ。しかし…可額さん。授業をサボるなんて、あまり感心出来ませんな」

「良く分かってます。だけど、私はどうしても今日、行きたいんです」智遊はキッパ

リと言い張った。藤本教授は智遊に迫力負けして、コックリと頷いた。

「分かりました。それでは一限が終わるのが十時三十分ですので…ええと」

「先生は十一時に正門にいらして下さい」智遊は勝手に決めた。

「分かりました」

 呆気にとられながらも藤本教授は素直に従った。智遊は満足そうに頷いた。

「それでは失礼します。朝早くからお騒がせして申し訳ありませんでした。十一時に

正門でお待ちしていますから」智遊はそう言うと頭を下げて部屋を出て行った。

 智遊が出て行った後、ぷっちー教授は今までの話をざっとまとめてみた。要するに

扉が見つかるかも知れないと云う事だ。実に簡単にまとめられてしまったが実際に扉

が見つかってしまえば、文字通り世紀の大発見かも知れないのだ。テレビカメラに囲

まれてインタビューなんていうのも夢じゃない。それどころかノーベル賞ものかも知

れない。藤本教授は緊張した。そして、今まで部屋の中に居た可額智遊の事を思った。



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