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藤本教授の青春  作者: イモ子
4/10

その4

                (4)


 車は更に走り続け、しばらくすると大通りから外れて郊外に抜け一軒の高級そうな

店の前で減速した。子供の頃に昔話の絵本で見た竜宮城のような建物だった。

「先生、着きました」智遊はそう言うと駐車場に車を入れた。

「随分と高そうな店ですな」

 藤本教授は背中に冷汗が浮かんでくるのを感じた。確か財布の中には三千円くらい

しか入っていないはずだからだ。

「そうでもないですよ。コースを頼んでも一万円くらいですもの」智遊は何でも無い

ように言った。

「一万円ですか。可額さんは普段も真っ昼間から、そんな贅沢を?」藤本教授は驚い

て訊ねた。それを聞くと智遊は楽しそうに笑った。

「そんなわけないじゃないですか、私はまだ学生ですよ。いつもは学食で270円の

天ぷらうどんです。今日は先生と一緒ですから特別なんです」智遊は言った。そして

空いているスペースを見つけるとスムーズに駐車させた。

「さあ、先生。着きましたよ」

 智遊はエンジンを切ってシートベルトを外すと先に降りてしまった。藤本教授も慌

ててシートベルトを外すと車から降りた。外すのは簡単だった。

 藤本教授は可額智遊に連れられて店の中に入った。店の中は美味しそうな良い匂い

が漂っていて、上品な内装で包まれていた。あちこちにはチャイナドレスに身を包ん

だ若い女性が忙しそうにしているのが見える。

「いらっしゃいませ。二名様ですか?」

 キョロキョロと店内を見回していると、ピシッとした制服に身を包んだ青年ウェイ

ターが笑顔で近付いて来た。

「予約しておいた可額ですけど」智遊はサングラスを外しながら言った。

「可額様ですか、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 ウェイターの青年は先人を切って、二人を奥の部屋へと案内した。予約?藤本教授

は首を捻った。どういう事だろう?

 赤い絨毯が敷き詰められた長い廊下を歩き、奥の個室へと案内される。ウェイター

は案内だけすると頭を下げて部屋を出て行った。智遊と二人で部屋に残された藤本教

授は怖々と辺りを見回した。室内には高級そうな絵や壷などが飾られていた。何だか

席に着いただけで金をとられそうな部屋だった。しかし、今更、帰るわけにもいかな

いので椅子に腰をおろす。智遊も席に着いた。

「凄い部屋ですな」

「そうですか?それよりも先生は何を食べます?私はこのAセットっていうのにしよ

うかな?」智遊はメニューを見ながら言った。

 藤本教授もメニューを開いた。Aセット一万五千円、あまりの金額に目を丸くさせ

ると慌てて違う料理を探す。えっ?一番安いラーメンが三千五百円?ラーメンすら食

べられないじゃないか。全身から汗が噴き出てくるのを感じた。どうしよう、とんで

もない所に来てしまった…。

「先生はどの料理にしますか?私はもう決まりました。フカヒレのスープが付いてる

Bセットにします」智遊は藤本教授の内心をよそに楽しそうに言った。

「いや、わしは…」

 慌てふためいてメニューに目を走らせた時だった。光り輝く文字に目をとめた。

『チャーハン・二千七百円』これだ!と藤本教授は思った。そして、この店にチャー

ハンがある事を神に感謝した。

「わしはチャーハンにするよ」

「先生、やめて下さい。先生にチャーハンなんて注文されたら私が料理を食べにくく

なるじゃないですか。もっと別の料理にして下さい」智遊は笑いながら言った。多分

冗談だと思ったのだろう。

「か、可額さん?」藤本教授は意を決して口を開いた。

「何です?」

「実は…その…申しわけないのですが、わしはこんな店に連れて来られるとは知らな

かったもので…つまり…その…」

「ごめんなさい。やはり」

「えっ?」

「先生は中華料理が苦手なんですね。私、てっきり冗談だと…」智遊は申し訳なさそ

うにうつむいた。

「いや、何て言うか、その…」

 藤本教授は智遊にションボリされて慌てた。

「本当にごめんなさい。私、馬鹿だったわ。先生の気も知らずにひとりで浮かれて」

「いや、可額さん。そうじゃなくて」

 藤本教授は更に慌てた。

「実はですね…」

 と、途中まで言いかけた途端に朝の出来事を思い出した。そう言えば!そう言えば

今日の朝、女房から小遣いを貰ったんだ!藤本教授は何だか急に目の前が明るくなる

のを感じた。智遊は怪訝そうな表情をしている。

「可額さん。実はですね、チャーハンと云うのは冗談なんですよ。わしは滅多に冗談

など言わないものでして、何と言うか照れてしまって…」

「冗談?」智遊はキョトンとした表情で言った。

「そう、冗談。もちろん可額さんと同じセットを頂きますよ」

それを聞くと智遊は明るい表情をした。

「もう先生の意地悪」智遊は笑いながら言った。藤本教授もつられて笑った。しばら

くの間、二人は何がおかしいのか顔を見合わせたまま笑い続けた。

「それじゃあ、お腹もすきましたし注文しましょうか」

 智遊はテーブルの上にあるボタンを押した。すると先ほどの青年ウェイターが部屋

に入って来た。

「このフカヒレスープの付いているBセットを2つお願いします」

 智遊はメニューを指で差さしながら、ウェイターの青年に言った。ウェイターの青

年は「かしこまりました」と言うと頭を下げて部屋を出て行った。智遊は藤本教授の

顔を見てからニコッと微笑んだ。

「ところで可額さん。先ほど言っておったお願いというのは」

 藤本教授は恐る恐る切り出した。期待と不安が激しく交差する。結婚など申し込ま

れたらどうしよう…。

「先生はご自分のされた研究をどれくらい記憶していますか?」智遊は内心をよそに

サラリと言った。

「え、それは自分のやった事ですから大体のものは」藤本教授は少しガッカリしなが

ら答えた。それを聞くと智遊はカバンの中から煙草と写真のような物を2枚取り出し

た。そして煙草を1本口にくわえて「失礼します」と言ってから優雅に火をつけた。

写真はテーブルの上に裏返して置いた。藤本教授は智遊が喋り出すのをジッと待った。

「先生。これから私が話す事は一切、他言無用でお願いします。話が漏れると少々、

面倒な事になるかもなので」

 智遊は煙草を吹かしながら真顔で言った。藤本教授は智遊の迫力に気押されて黙っ

て頷いた。智遊はニッコリと微笑んでから2枚の写真の内の1枚を表返した。そして

灰皿に灰を落とした。

「この写真に写っている鍵を先生はご存じですね」

 藤本教授は写真を眺めた。良く知っている鍵だった。

「もちろん、知っておりますよ。わしら研究者の間では『無用の鍵』と呼ばれておる

物ですな。この世に存在するどの鍵穴にも合わないと言う文字通り全く約に立たない

ただの飾りです。もちろん、考古学上の価値は無視できんが」

 智遊はその話を聞きながら煙草を吹かしていた。

「さすがです。私、改めて先生を見直しました」智遊は言った。

「いやいや、こんな事くらいは誰でも知っておる事ですよ」

「先生は過去にこの鍵の事についての論文を書いてらっしゃいますよね。その論文の

中で先生は無用の鍵に合う鍵穴を持った扉が何処かに存在するのではないか、と推測

してます」智遊は言った。そして、灰皿で煙草をもみ消した。

「ええ、確かに。学生の中で読んでくれている人がおるとは知りませんでした。興味

を持って頂けたのならば感謝しますよ」

「私があの論文に目を通したのにはわけがあります。学会で誰も相手にしなかった論

文に私が目を通した理由に先生は興味がありますか?」

 智遊は藤本教授が忘れ去ろうとしていた事実をケロリと言った。確かに、あの論文

に賛同してくれる考古学者は誰もいなかった。

「まあ、興味が無いと言ったら嘘になりますな」藤本教授は傷付きながら言った。

「私の祖父は骨董品のコレクターでした。一昨年の春に亡くなりましたけど」

 智遊はそう言って言葉を切った。

「祖父は自分の死期が近いのを感じていたようで私宛に遺書を残していました。そこ

には今までに集めた全ての骨董品のコレクションを全て私に譲ると書かれていました。

総額で数億にものぼる程の物を」智遊は言った。

「それは凄いですな」

「こんな事を言うと嘘かと思われるかも知れませんが、私は数億の遺産よりも祖父に

ずっと生きていて欲しかった。だけど、人はいつか死んでしまうものです」

「それでは…」

「ええ、お察しの通りです。あの当時の私は祖父が死んでしまったショックで、もう

全てがどうでも良くなっていました。それで、コレクションの中でも祖父が特に大切

にしていた物を2、3だけ抜き取って残りの相続権を両親に譲りました。両親はその

当時、事業が上手くいっておらず方々から借金をしていましたから。それにあれだけ

数が多いと管理も大変ですし。ですから、私は少ない品物だけ貰ってそれを大切にし

ようと思ったんです」智遊は言った。

「いや、感心ですな」

 藤本教授は目をウルウルさせた。なんて良い子だ…。

「結局、私が祖父から譲り受けた品物は次の3点です。ひとつは戦国の武将が愛用し

ていたと云われている日本刀、もうひとつは良く分からないのですが、キレイな彫刻

がしてある木槌。そして、残るひとつがこの写真に写っている鍵です」

「なっ、何ですと!可額さん、あなたは無用の鍵を持っておられるのですか?この鍵

は確か第一次世界大戦の後から行方が分からなくなっているはずですが」

 藤本教授は言った。何と言う事だ。もし本当ならば、とんでもない人と知り合った

事になる。

「私も偶然、知ったんですよ。この鍵がそんな大層な物だって事を。祖父がどのよう

にして鍵を手に入れたのかは知りませんが、いつも大事そうに布で磨いていました。

そして私にだけ見せてくれました。智遊、これは魔法の鍵なんだよって」

「それで、無用の鍵は何処に?」

「いつも私が肌身離さずに持ち歩いています」

 智遊は胸元のボタンをひとつ外すと首から下げていた太い銀のネックレスを服の上

に出した。その先には金色に輝く大きな鍵がぶら下がっていた。藤本教授は言葉を失

って鍵に見入った。実物を見るのは初めてだった。やがて智遊は鍵を再び服の中にし

まった。

「私の祖父も先生と同じように鍵について色々と調べていました。残念ながら、その

資料の大半は祖母が処分してしまいましたが」

「それは惜しい事を…」

「先ほど先生が言われたように、この鍵は無用の鍵などと呼ばれていて価値はあって

無いようなものとされています。そうですね?」

「さようです」

 藤本教授は頷いた。智遊は新しい煙草を口にくわえると火をつけた。そして、もう

一枚の方の写真を手に取るとチラッと見てから差し出した。

 古めかしいその写真には一枚の扉のような物が写っていた。しかし白黒でボロボロ

の写真の為に良く見えない。藤本教授は胸のポケットから老眼鏡を取り出すとかけた。

「古い扉のようですな」

 目を細めながら見てみる。しかし更に良く見ようと顔を近づけた時、智遊が手を伸

ばして写真を取り上げた。

「先生はこの扉を何処かで見た記憶はありますか?」

「いや、残念ながら」ぷっちー教授は言った。

 その時、部屋の扉が開いて料理を乗せた車を押した青年ウェイターが入ってきた。

智遊は写真をサッと鞄にしまった。

「大変、お待たせいたしました。注文の料理をお持ちしました」ウェイターは言った。

そして、テーブルの上に料理を並べると頭を下げて出ていった。

「わあ、美味しそう」智遊は感嘆の声をあげながら両手を合わせた。「先生、難しい

話は後にして先に食べちゃいましょうか?」

 智遊は箸を取った。藤本教授は料理よりも写真の扉の事が気になったが、素直に頷

いた。



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