豪州陸軍ロードトレイン部隊
現代の日本人のほとんどにオーストラリア・豪州大陸と言えば、何を連想するだろうか?
コアラやカンガルーを連想する人々が、ほとんどだろう。
日本人の大多数にとっては、オーストラリアは平和な観光地としてのイメージが強いだろう。
だが、日本はオーストラリア本土を豪州大陸を直接攻撃した唯一の国家なのだ。
太平洋戦争における日本軍の豪州進攻作戦。
歴史を少しでも学んだ者には、その過程と結果については当たり前の知識であろう。
日本軍は豪州大陸北部に海軍の支援により、陸軍部隊を上陸させた。
その作戦の目的は豪州を降伏させることで、米国と豪州を遮断することであった。
豪州大陸で繰り広げられた戦闘には、戦車・航空機など様々な兵器が使用された。
だが、筆者はこれまであまり取り上げられることのなかった豪州陸軍のある部隊について書きたいと思っている。
読者の皆様は「ロードトレイン」、日本語では「路上列車」をご存知だろうか?
ロードトレインとは、大型トラックに複数のトレーラを連結して、大量の貨物を運ぶための物であり、長さが百メートルを超えることもある。
その姿はまさしく路上を走る列車である。
ロードトレインはもともとは、豪州大陸における鉄道網が整備されていない地域における大量輸送のための物である。
日本の常識では、百メートルを超える車両が路上を走ることはあり得ないが、豪州大陸においては道路に直線がずっと続くため、百メートルを超える車両が高速で走ることが可能なのである。
ロードトレインは民間の輸送会社の物であったが、太平洋戦争が開戦されると、車両と運転手は豪州陸軍に徴用された。
そうして編成されたのが、豪州陸軍ロードトレイン部隊である。
ロードトレイン部隊は前線と後方の輸送に活躍した。
武器・弾薬・食糧・兵員を輸送した。
日本軍は豪州軍の兵站線を破壊するために鉄道を空襲したが、ロードトレインの存在に当初は気づいていなかった。
日本軍の偵察機が道路を疾走するロードトレインを見て「列車が道路の上を走っている」と報告したが、当初は日本軍の司令部では信じなかったほどである。
ロードトレインは基本は民間の貨物輸送用のロードトレインに、そのまま迷彩塗装をした物であるが、次のような様々なバリエーションの車両が存在した。
人員輸送用に座席を設けた車両。
前線へ新鮮な食糧を届けるための冷蔵車。
手術室まで備えた病院車。
前線の将兵にもっとも人気のあった車両は、レクリエーションのために車体にステージまで備えた車両で、野外映画の上映や歌手や劇団の公演が行われた。
筆者は豪州大陸における日本軍の敗因の一つは、豪州軍のロードトレイン部隊にあると考えている。
日本軍は豪州大陸における鉄道未整備の地域では、普通のトラックで細々と輸送するしかないのに、豪州軍はロードトレインで遥かに大量に輸送できたのであった。
双方の輸送力の差は明らかであった。
日本軍は戦場で鹵獲したロードトレインを自軍のために運用しようとしたが、日本軍の基準からすると常識はずれに巨大な車両であり、まともに運用することはできなかった。
結局、攻勢限界点に達していた日本軍は豪州を降伏させることはできず、豪州大陸から全軍を撤退させることになった。
第二次大戦において、豪州軍は太平洋や欧州の戦場にも部隊を遠征させたのだが、ロードトレインは豪州大陸以外では運用が難しいため、ロードトレイン部隊は豪州大陸以外では活躍していない。
そのため、ロードトレイン部隊が存在していたことを知る者は豪州人以外では少数である。
戦後、軍に徴用されていたロードトレインは、すべてが民間に戻され、耐用年数が過ぎるとスクラップにされたため、大戦時のロードトレインは一両も残っていない。
戦時のロードトレインの映像はほとんど残っていないが、ネットで「ロードトレイン」で検索すると、現在の豪州大陸を走るロードトレインの画像や動画を見れるので、当時に思いを馳せることはできると筆者は思っている。
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