ある少年のオープニング 3
□さらに二時間後□
「……出てきてよ……お願いだからさ……」
「もし出てこられない事情があるならさ……せめて何か喋ってよ」
「……私とは喋りたくないのかな」
「……何か答えてよ……」
恐るべきことに彼女は三時間たった今でもまだ俺に話しかけてきていた。
想像をはるかに超えている。三時間も話続けられた経験なんて。親ですらなかった。
いやむしろ親だからなのか。親というの案外、子を甘やかしてしまう。俺の場合は甘やかされていたというよりも、見放されていただけかもしれないけれど。
彼女はまだ俺となんの関係もない存在だ。それ故に彼女にはなんでもできる。俺の直しようもない腐った引きこもり魂を知らない彼女はもうそろそろ俺が出てくるとでも思っているのだろうか。
もしくは一人でつぶやき続ける自分を憐れんで話かけてくるとでも思っているのか。
どちらにせよそれは考え違いも甚だしい。
俺からしたら、後どれだけ呟かれても同情はしないだろう。
俺はもう誰かが自分を助けてくるなどという幻想には囚われない。だから話しかけ続ける少女がいたとしても別に、彼女が俺を助けるつもりがないことぐらいは分かっている。
彼女が俺にここまで執着しているのは一時の好奇心だ。
初めて出会った同じ年頃に人が突然小屋に籠ったのだ、興味のわかない人はいないだろう。
もしかしたらそろそろ誰かを呼んでくるのかもしれない。
ここが何処かなんて検討もつかないし、どうしてここにいるかもわからないが、それを考えたところで意味はない。けれど、まさかこの島に彼女だけで住んでいるということはないだろう。
好奇心から俺に話しかけ続けるならば、その内、飽きて親でも呼んで無理やりにでも俺をここから引きずり出してもおかしくない。
なら、せめてそうなるまではここに引きこもろう。この安心する暗闇で隔離された世界に。
□さらに二時間後□
「…………リンゴ……いる?……」
「……話聞こえてる?……いる……よね?」
「リンゴいらないの……か、な……」
「ねえ……そろそろ……反応して……よ」
「……おね……が……い」
「……………………」
「………………………………」
ようやくか。
彼女の声がやっと聞こえなくなった。
時計に目をやると、時刻は六時をすぎたあたり。
つまり五時間にも渡ってここに残り、俺に話しかけていたとになる。
もはや尊敬を通り越して呆れていた。
ほかに何かすることないのかよ。
俺に構いすぎだ。五時間ってそれなりに長い時間のはず。俺のことを諦めればなんだってできただろうに。
そういえば誰も呼びにいかなかったんだな、と遅れて思いあたる。
遅かれ早かれいずれか行くものだと考えていたけれど結局、最後まで呼びにどころかドアの前から動くことはなかった。
どうしてだろう。
そんな率直な疑問が頭を埋め尽くす。
彼女はどうして、五時間にも渡って俺をここから出そうと、俺と話そうとしたのだろうか。
考えても考えてもその答えは見つからない。
「聞いてみたいな」
ぼそりとそんな言葉が口からこぼれた。
もうどこかに行ってしまったであろう彼女。
そんな彼女と今更になって少し話したいと思う。
こんなふうに思うなんて。
いつのまにか俺は彼女に心を許し始めていたのだろうか。
「まっ、いまさら気付いたとこ」
ドォンと。
俺の言葉が言い終わる前に背中になにかがぶつかる感触が伝わる。
正確に言うならば、背中に何かがぶつかったわけではない。ぶつかったのはドアだ。
今俺が寄りかかっているドアに何かがぶつかった。
いったいなにが?そんな疑問はすぐに解決される。
「なんだ居るじゃん!居るじゃん!居る居る居る居る居る!!幻覚じゃない!ちゃんと居る!よかったぁ。頭おかしくなったと思ったぁ。居るなら返事してよ!あぁぁ怖かったぁぁぁ」
ドンドンドンと言葉に合わせて背中に衝撃が伝わる。
それは紛れもなく彼女がずっとそこにいたという証明。
まだ……いたっていうのか?
五時間も反応していないのに?
しかも彼女の言い方から察するに俺がいるかも実際わかっていなかったようだ。
にも関わらず彼女は俺に話しかけ続けてたってのか?
ずっといてくれた。その覆せない事実が俺の中に暖かい気持ちを生じさせる。
それがなんなのか最初は分からなかった。
でも気づく。
あぁ、俺は喜んでいるのか。
見ず知らずの人が俺なんかのために行動してくれたことに。
彼女になら、彼女となら、しっかり向き合って話せるかもしれない。
俺はそう感じた。
なら、話してみようか。
うん居るよ、無視して悪かった。
そう言って外に出ようとして。
だがそこでまた、双葉の微笑みが頭をよぎる。
その微笑みが、『許さない』そういってる気がして。
俺にはやっぱりダメなのかな。
人と仲良くなんてしちゃいけないのかな。
俺のそんな独白は胸に消え、誰も答えてくれなかった。
俺は引きこもり。暗闇から出ることは出来ない。
「居ると分かったからにはもう譲らないから。君が出てきてくれるまで私もここから動かない。早いうちに降参しちゃいなよ」
彼女がそういうと背中に今までの衝撃とは違う“重さ”が伝わる。
俺と彼女はドアを挟んで互いの背中に寄りかかっていた。
ここからは二人の根競べ。
俺も彼女もここから動かない。どちらが先にしびれを切らすか。どちらが先に空腹に耐えかねるか。そんなどちらにもメリットのない不毛な根競べの幕が上がった。
「あっそうだ。私ユナ。ユナ・テメテス。出てくるっていうまでどかないからね」
「筒木心葉。 俺は出ないよ。ここから」
不思議なことに、背中に意識を向けたら自然と言葉を発していた。




