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ある少年のリグレット 3

さらに薄暗くなった森の中、俺とユナは息を殺して獲物が来るのを待っていた。

 周りの音にのみ意識を集中して、いつ来ても良いように体にも緊張感を持っておく。

 しばたらく、互いの心臓の音のみ聞こえる中、異なる音が耳に届く。

 ユナの方に目を向けると、軽くうなずき、獲物が来たことを確認する。

 初めに話していた通りに行動を開始する。俺に役目は合図係だ。ここからでは獲物が見えない、もう少し近づかなくてはならない。ゆっくりと足をだし、前に進んでいく。

 獲物が見える位置まで来て思わず声が出そうになる。俺の目の前に現れた今日の獲物は、俺を散々な目に合わせた、桃色の猪だったのだから。

 この前の借りは返してももらうからな。こっそり心の中でつぶやく。

 桃色の猪はこちらに気づかず、我儘顔で森をのんびりと歩いていた。これじゃ、合図を出すことなんて意味がなくないか?というか、指定の場所を通るかすら分からなかった。なにせあいつは飛ぶのだ。別に空中にいるからと言ってどうかなることではなかったけど、全く違う方向に逃げられた意味がない。これは追い込むべきなのか?

 ユナの指示を仰ごうと振り返る。

「!!!」

 目の前にユナがいた。

 今度こそ声がでると思った。かなり危ない。

「走って連れてきて」

 耳元にそれだけ言い残すとユナは元の場所へと戻っていった。忍者にでもなったのかのような軽やかさで。

 さて、追い込めとユナは言っていたが、正確には追いかけられろということだろう。走って連れてくるのが確かに早い方法であることは間違いないはずだ。

 また走るのか。大変だな、今日の俺。

 ユナのオリジンに回復させてもらっているから、体はそこまで重たくない。これならいけると思う。よし、ちょっと頑張ろう。

 勢いよく飛び出し、桃色の猪がこっち体を向け始める。完全に振り向き終わるのを待たず、地面を蹴る。あいつの速さはすでに経験済みだ。後を振りかえらずに、目的地点をへと全力でダッシュする。足を止めたり、振り返ったりしたら瞬く間に追いつかれ、追い込むどころか、俺の命が追い込まれてしまう。

「はぁはぁはぁはぁ。」

走りだしたときは離れていて、俺のほうが先に走り出したにも関わらず、聞こえてくる足音は遠ざかるのではなく、着実に近付いてきていた。

 追いつかれるのが先か、逃げ切るのが先か。俺と桃色の猪の決着まであと5歩。

四歩。足音がすぐそこで聞こえる。

三歩。地面が揺れのが伝わってくる。

二歩。獰猛な息遣いが響く。

あと一歩。いつ貫かれてもおかしくない距離。逃げ切れるまでも同様の距離。

その距離を飛びながら叫ぶ。

「ユナぁぁぁ!」

 地面に相変わらず受け身も取れないで衝突する。でもそれから来る痛みは想像できた。想像通りの痛みを我慢しながら、後ろを振り向く。

「やっぱすげぇ」

 この周囲に散りばめられていたロープの切れ端が青く発光している。ロープ全部を包むその光は、さっきまで走っていた桃色の猪も飲み込んでいた。桃色の猪は何が起きたか分かっていないのだろう、足を動かし、地面を蹴ろうとしているが蹴るのは何もない空間だ。

 やがて光が収まればそこにはロープを木にめぐらせて作られた、宙に浮かぶ網が桃色の猪をなかに取り込んで悠然と佇んでいた。

「お疲れ様。すごいでしょ、これ」

「うわ!ってなんだユナか」

 青く光る右手を後ろから俺の肩に置くユナ。いつのまにかこっちに来ていたらしい。足音ぐらい立てろって。

「これって、初めに網を作って、それを壊しておいたってことか?」

「正解!ついでに言うと心葉に走ってもらったのはこれを作るために周りを見張ってもらうためでした」

「走ったかいがあったよ。それで?次はどうするんだ?」

「ん?息の根止めて、村で捌くけど」

 さらりと怖いことを言う。ここで息の根を止めるのか。

「んじゃ、ちゃっちゃと息の根止めちゃうね」

「あ!ちょっと待てって!」

  腰からナイフを抜き、猪に向けたナイフを伸ばすユナをあわてて止める。

いきなり目の前でグロイのもの見せられたらたまらない。そういうのは得意じゃない。

「どうしかした?早くしないと逃げられちゃうかもなんだけど」

「いや、だな。えっと……そうだ!野菜いるだろ野菜!タケノコとか!肉だけじゃ寂しいだろ!それじゃ、行ってくるわ」

「そうだね。いってらっしゃい」

俺の様子には何も言わず見送ってくれる。ユナのことだから気づいていなそうだ。

 ああ。そうだ。ついでにあそこにもよっていこう。少し帰ってくるのが遅くなってしまうけど、ユナなら許してくれるだろう。

「なんだよ、それ」

 森に消えながら、一人で勝手に納得している自分思わずツッコむ。でもそんな自分が嫌いじゃなかった。



もうすっかり日も沈んだ夜の中、無数の星々が、自分の存在を証明するかのように煌めく空の下、村の近くの浜辺に俺は一人座りながら、海を見ていた。

 こんなところまで来ても海は全く変わらない。生命が生まれた母なる海は、人間のほとんどがいなくなったこの世界でも、力強さと、すべてを包み込む広大さは変わらない。

 砂浜を侵食して戻っていく波を見つめていると、最後に海に来たときを思い出す。海にはたくさんの人がいた。そのなかには俺と、父さんと母さんと双葉がいて、みんな笑ってた。あの海は今もまだ変わらない景色を描いているのだろうか。そうであってくれたらうれしい。俺の家族は変わってしまったから、もう二度とあの日を取り戻せないから、せめてなにかはそのままでいてほしい。

 背後から、ジャリ、ジャリと砂を踏む音が聞こえてくる。森の中とは違って足音を消せないのか、わざと消してないのか。

「隣いいかな?」

 なにを喋るでもなく、ただ頷く。

「何してたの?」

「海を見てた。久しぶりに見たくなって」

「海って綺麗だよね」

「ああ。綺麗だ。でも俺は怖いよ。海が怖い」

 波がまた砂浜を侵食してく。こんどは俺の足首まで濡らして帰って行った。

「怖い?どうして?」

「海ってさ、どこまでも続いているだろ。俺にはそれが、終わりがないって思えるんだよ。どんなものでも終わりにむかっているはずの世界なのに、終わりがない。どんな物語だって、終わりにむかっているに終わらない。永遠に終わりがないってまるで暗闇だ」

「でも楽しいことも終わらないんだったらいいことじゃないのかな?」

 嫌なことよりも、良いこと。ユナらしい考えだ。でも」

「いいと思うよ。でもね、俺はもう、楽しいことで始められない。永遠の始まりはもう変えられない。俺は嫌なことで永遠が始まちゃってるから。」 

「……それは私もだよ。私も変わらない。心葉に何があったのかは分からないけど、私も悲しい永遠が続いてる」

 低いトーンの声だった。明るいユナの声に聞きなれていたからか、その声はひどく悲しそうなのに、それだけじゃない何かが含まれていた。ユナにも自分の闇があるのかもしれない。言葉に含まれる何かを知る前に、ユナの闇について知っていなければならないのだろう。だったら聞くしかない。幸い、気になることはある。

「それって、ユナがここにいることと関係ある……よな。もっと正確に言うなら、ユナが生き残った理由。ユナが霧にのまれても助かった理由」

「それは、だから、オリジンで助かったって」

 だったらなんでそんなに悲しい声を出す。

「オリジンで助かったか。それは嘘、だよな」

「どうしてそう思うの?」

「疑問だったんだ。ユナの話だと他に生きている人がいるかもしれないだろ。オリジンで治す、それってユナだけができることじゃないはず。なのに、ユナは他に生きている人はいないって言い切った。それってつまり他の方法で生き延びて、他の人達が助かっていないことを知っていたからじゃないのか?それだけじゃない、オリジンで本当に助かるとは思えないんだ。正確に言うなら、オリジンを使えたとは思えないかな。自分の体が消える。そんな状態で発動できるなら、病気で倒れたりしないはずだ」

「……そっか。分ってたんだね」

「……話してくれないか?なにがあったのか。どうして人がいなくなって、どうしてユナは助かったのか。本当を、真実を」

 静寂が周囲を包むなか、波の音が時間が動いていることを知らせてくれる。まだ聞くのが早かったかもしれない。でも今聞かないと後悔していたと思う。聞いて間違いはないはずだ。だから、答えてくれ。ユナ……。

「……分かった。話すよ。でもそのかわりに条件を一つだけ。……私からの質問にも一つ答えること。何を聞くかはまだ内緒だけど」

「いいよ。話してくれるならそれぐらい」

「あともう一つだけ。これは条件でもなく、ただのお願い。今からする話が終わっても私のこと嫌いになりでほしいな」

 話を聞かないと正直分からないことだ。でも、すぐに断言できる。

「もちろん」

 迷う必要がない。当たり前ことだ。そんなこと。

「……ありがとう」

「ん?」ユナがなにかを呟いた気がしてけれどよく聞き取れなかった。

「今、なんて言」

 言い終わる前にユナが立ちあがったことによって中断を余儀なくされる。ユナは立ち上がったまま、近くの小石を取って、海へと投げた。ぽちゃん、と小気味のよい音を立てて、小石は海へと消えて行く。

「ちょっと移動しない?近くにお気に入りの場所があるんだ」

 海に沿って浜辺を歩く。砂を踏む音が会話のない二人の間に響く。そのまましばらく歩いていくと海の方へと続く浅瀬が表れる。浅瀬には海水があるため足首あたりを濡らしながら渡ると、その先には海の中に浮かんでいるかのように出来上がった円形の陸地が幻想的に存在していた。

「すごいでしょ。ここはね、いつもは海の中で見えないんだけど、この時期は海が浅くなるから出てくるの。この時期にしか来れないんだよ」

「……海の一部になったみたいだ」

 どこを見ても海海海。

 今までに体験したことのない解放感に包まれている。何も束縛するものがない。どこまでも自由だ。

「座ろっか。この辺なら濡れてないから」

 真ん中ちかくに案内され、言われた通りに並んで座りこむ。

 再び二人の間の沈黙が流れる。俺に出来ることは待つことだけで。ユナが話してくれるのを今はただ待つしかなかった。

「心葉」

 やがて沈黙は終わりを迎え、ユナが静かに話しだす。

「いいよ。話してくれ。どんなに長くても全部聞くから」

「うん。でもね、話すことはそんなに多くないんだ。この前話したことに嘘は一つしかないから。ただの付けたし、みたいなとこかな」 

 一つの嘘というのは、オリジンで助かったことのはずだ。それ以外は全部本当の事。

 つまり。

「他に人がいないっていうのは真実で間違いないってことか」

「そうだよ。それが嘘だったらいいのに……」

 ユナはまだどこか迷っているのかもしれない。話すことを先延ばしにしている気がする。でもここで俺が焦ったらだめだと思う。それはやっちゃいけない。ユナは話してくれるって約束してくれたから、信じるしかない。

「……。……。……。……どうして私が助かったのか。それはね、私が門を開いたから、私が改変の霧を解き放ってしまったからなんだ」

「なっ!それってつまり……」

 世界からい人が消えたのは霧によるものだ。その霧は門を開けたことによて現れた。なら世界から人が消えたのは……。

「そう。私のせい。私のせいでみんな消えちゃった」

 ひどく悲しそうなユナの声に、思わず体の向きをかえ、ユナを覗き込む。

「ユナ……」

 震えている。両腕で形を抱くようにしながら震えてうずくまるユナは、触れたら壊れてしまいそうなほど弱弱しくて。いつもみたいな元気な姿はなかった。

「わたしがみんなを消しちゃったんだ。わたしが、わたしのせいで」

「ユナ。どうして?なんで門をあけたんだ?全部話してほしい。そうじゃないと俺からはなにも言えない。俺はユナが優しい人だって信じてる。だからユナが開けたのには、理由があるんだろ」

 なるべく優しく言ったつもりだ。今のユナには厳しいことかもしれない。けど、聞く。俺は踏み込む。それが俺を暗い部屋から引っ張りだしてくれたユナへの恩返しだと信じて。

「……よく覚えてないんだ」

「覚えていない?どういうことだよ?開けたことのはユナなんだろう」

「うん。開けたことか覚えてるけど、それ以外はほとんど記憶がないの。なんで記憶がないのかも、何をしたのかも覚えてない。この前の話で全部なんだよ。覚えていることは」

 話に隠していたような所があったのは、隠していたわけじゃなくて、知らなかったから。納得できなくもないか。ユナがここまで来て嘘をつくとも思えない。

「そう……か。じゃあまだ何があったのかは分からないってことか」

「どうして?私が門を開いた、それで終わり。悪いのは私ってことじゃないの?」

「だって分からないじゃないか。本当にユナが開けたのか。もしかしたらユナの記憶が違うのかもしれない。記憶が曖昧ならなおさらあり得ることだろ。それに、さ。ユナが開けたことが真実だとしても理由があったはずだろうし。あと、えっと……俺はユナを一番信じてるから。他に信じる人もいないしな」

「信じるって私、嘘ついたんだよ」

「でも信じる。本当のこと言ってくれたから」

「私のせいでみんないなくなったんだよ」

「ユナのおかげで俺は部屋から出れた」

「でも」

「私のせい」

「私のせい、はもうおしまいにしようぜ。そういうのはさ、全部わかってからにしよう。そうじゃなきゃ、何の意味も無い。だから」

 だから……なんだ?お前は悪くないって言えばいいのか?いやそれは違う気がする。じゃユナが悪いって言うのか?それこそ論外。だったら、

「今はどうでもよくないか?」

「どうでもいいっ!?ふざけ」

「ふざけてない」

 怒っても当然か。殴ってくることも考えていたけれど、やっぱり優しいやつだよ。

「俺が言ってるのは‘今は’ってことだよ。ユナが何をしたのか分かってから考えよう。今は考えても答えはでないだろ?だったら考えない方がいい。どうでもいいんだよ今の俺たちにとっては」

「そんな簡単に済ませないでよ!私が悪いんだよ。どうして門を開いたか分からないけど、ろくな理由じゃないに決まってる!」

 感情を今まで見たことがない勢いで爆発させている。まじりっけなしの本音だ。だからこそ俺の言葉も本気だって分かってもらえる。

「だからさ、そういうことも全部含めてどうでもいい。そう思えって言ってるんだよ!人がいなくなって自分のことをずっとせめてんじゃないのか?見てないけど分かるよ。ユナはそういうやつだから。……少しは自分を許せよ」

 声のトーンは平気か心配だ。ユナを責める言い方になっていたらどうしよう。俺はユナを責めたくはない。ただユナを休ませたいだけなんだ。

「許していいのかな?」

「いいに決まってるよ」

 当然だよ。そんなのは。俺にはそんな権利はないだろうけど、ユナ自身には自分を許す権利が当然ある。

「許しちゃだめなのは―――俺みたいな奴だよ」

「えっ?」

「ユナが俺に聞きたいこってのは俺が引きこもっていた理由、最初に会ったときに俺が逃げ出した理由、だろ?」

「う、うん。そうだけど……」

 やっぱりか。まあそうだよな。まったくそうだと思っていたけれど、いざ言うとなると体が重くなる。ああ、だめだもうこらえられない。

 浜辺の砂へと背中から倒れ込んでしまう。背中にあたる砂の感触が思いの他、気持ちい

い。おお、すげぇな。見上げることになってしまった夜の空は、視界いっぱいに広がる星空で、自分の小ささを実感させられる。俺なんてこの広い宇宙じゃ本当にちっぽなんだな。

「……」

なんだか気持ちが楽になった。これなら話せなくもない、か。

「それじゃ、聞いてくれ。あと、途中で質問とかは無しにしてくれよ」


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