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傘〜宝物〜

人には誰にでも自分だけの宝物がある。


小さなビーズの指輪、昔の絵本、ミニカーのおもちゃ、手編みのマフラー・・・。


他人にとってはガラクタに見えても、そこには本人にしかわからない思い出がつまっている。


父の宝物は、多分、あの古い、壊れかかった黒い折り畳み傘だ。

いつから使っているのだろう。

すでに持ち手のところにあるメーカーの名前は薄れて読めず、真っ黒だった布地の色も持ち主の髪と同様になんだか薄れてしまっている。

骨の部分は、雨で濡れた後きちんと乾かされていたために、なんとか錆びから守られていた。



「夕方から雨か・・・」

今日も天気予報を朝からしっかりチェックした父が、かばんに古びた折りたたみ傘を入れて行こうと下駄箱の扉を開ける。

「いいかげんに新しいの買ったら?」

いい加減くたびれてきた感じのするそれを見て、私が言うと

「ん?そのうちな」

と結局いつものセリフが返って来た。

「先に行くぞ」

靴を履くと、それ以上の私の言葉を遮るかのように、傘を手にして父は家を後にした。



そんな父の傘についに別れの日がやって来た。

業を煮やした母が、誕生日のプレゼントという名目で新しい黒の傘を父に送ったのだ。

プレゼントだから使わないわけにもいかず(何せ母は恐い)次の雨の日、しぶしぶ父は古い傘を家に置いて行った。


その日は夕方から雨が降り出し、私は折りたたみの傘を持って出たことに少し優越感さえ抱きながら、駅舎を出ようとした時だった。

かばんを頭の上に掲げながら走っていく父の姿が目に入った。

今朝は、父が雨が降るからと言って私に傘を持たせたのに、どうして?と思いつつ慌てて傘を差して追いかけた。

「お父さん、傘は?」

後ろから声を掛けた私を、ちょっとうれしそうに父は振り返った。

「ちょうどよかった。一緒に入れてくれ」

そう言って肩をすぼめながら私の傘に入って来た。

「傘はどうしたの?今日持って行ったんじゃないの?」

「や、持って行ったんだけど。ちょっとな、貸してあげたんだ」

「誰に?」

「ん。女の人に」

驚く私に、父はそのいきさつを話してくれた。


昼過ぎから薄暗かった空から、ついに雨が降り出した。

「天気予報当たったな」

娘にも傘を持って行くように言って正解だった。

と彼は満足そうに空を見上げた。

駅を出て、この間妻からプレゼントされた傘を早速かばんから取り出し、広げようとした時だった。

急の雨に困り果てた表情の若い和服姿の女性が、薄暗い雨空を見上げていた。

その様子を見て彼は、思わず尋ねてしまった。

「傘お忘れですか」

突然声を掛けられて、彼女は少し驚いた顔をする。

「あ、ええ、そこまでなんですけど、着物が・・・」

確かに晴れ着を濡らすのは嫌だろうと思われた。

「傘、お貸ししますよ」

心の中で妻に謝りつつ、まあ、貸すだけだからと自分に言い訳する。

「でも、いいんですか?」

嬉しい申し出にためらいながら彼女は尋ねる。

「もうすぐ娘も帰って来ますから、一緒に入れてもらいますよ。遠慮なさらずどうぞ」

そう言って傘を差し出すと彼女は「すみません。ありがとうございます」と頭を下げた。

「また駅員さんにでも預けておいて下さい」

彼の方に何度かお辞儀をしながら彼女は傘の群れの中に消えていった。



「それがね、若い頃のお母さんにそっくりだったんだよ」

照れながら父は言った。

母になんと説明しようかとその日はふたりで話し合いながら帰った。



「いってらっしゃい」

「うん」

そして結局、父は今日もあの古くなった傘を持って家を出る。



母にふたりで必死に言い訳をしたあの日、逃げるようにお風呂に入って行った父をちょっと可哀相に思いながら、私は、母に父がいつからあの傘を使っているのかを尋ねてみた。

「あれはね、実はお父さんとお母さんが出会うきっかけになった傘なの」

頬を赤く染めながら母は話してくれた。

「20うん年前の話なんだけどね・・・」



その日まだ20代の初めだった母は親戚の紹介である人に会う予定があって(いわゆるお見合いだね)その帰りにどうしてもその日に必要な本があったので、本屋に寄ってから帰ろうと思っていたのだそうだ。

でも、駅を降りると急に雨が降って来たので、どうしようかと母が困っていると、傘を貸してくれた男の方がいた。

で、次の日に、傘を返そうと駅に来た時、若かりし頃の父に出会ったのだと。


「だってね、絶対親子か親戚だと思ったのよ」


次の日、何故か急いでいた母は、父を昨日貸してくれた男性の知り合いだと思って傘を渡し、御礼を言うと、そのまま彼の話も聞かずに立ち去ったのだそうだ。

母の思い込みで、無理やり傘を渡された父は、また、それを母に返そうと次の日駅で待っていたのだと・・・。



「傘はちゃんと返せたの?」

「いいえ。返せなかったのよ」

「どうして?」

「貸して下さった方に、ちょうど今のお父さんくらいの年齢の方だったと思うんだけど、とうとう会えなかったの。会ってお父さんに出会えたことの御礼も言おうと思ってたんだけどね」

その人は何日待っても現れなかったのだそうだ。

仕方なく駅員さんに預けたのだが、結局半月ほどして「来ませんでした」と母に返されてしまったのだそうだ。

「でも、あれだけ大事に使ってるんだからいいわよね」

下駄箱の上の父の傘を見つめながら、母は微笑った。



今日は昼過ぎから雨が降るらしい。

「傘持っていけよ」

玄関で靴を履きながら父は言う。

そして、いつもの愛用の黒い傘を手に、駅への道を歩いて行った。















私は不思議な話が好きです。恐いものではなく、日常の中にそっと含まれている非日常のような。「彼岸花」もそうでしたが、これも前から暖めていた話です。読んで下さった方がふんわりとした気持ちになってもらえれば、いいなと思います。よろしければご感想お願いいたします。

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