彼女の存在が残酷だということを俺は知っていた
勇者sideです。
彼女は俺の大切な幼なじみ。彼女がやりたいこと、好きこと、嫌いなこと、全部知っていた。彼女とは兄妹のように育ってきたから、何でも話せた。
だけど、一つだけ言えなかったことがあった。俺が彼女をーーしてしまったことを、彼女は知らない。
「ごめん、アルファード。もう、終わりにしよう」
燃える炎、魔物が人を食らう音、賑やかだった村は今では不気味なくらい静かで誰も居ない。
頭の中が真っ白になり、全てが嘘のように分からなくなった。彼女の言葉の意味さえも分からない。
「…まお?」
「私はマオって言う名前じゃないよ。だって、私は…」
泣きそうな顔が歪む。
それで笑っているつもりなのか。口角をただ上げただけで、彼女は今にでも声を上げて泣き出しそうだ。
「私は魔王だから」
彼女の言葉が理解出来なかった。いや、頭では理解をしている。そのことを心が受け入れない。
彼女の隣に居る長い銀色の髪の男は、この世の者とは思えないほど端整な顔立ちをしている。
なぜ、村に居るはずのない男が居て彼女と一緒に居るのか。
答えは簡単だ。彼女が魔王というならば、男は魔族なのだろう。
ただ、その事実を受け入れられなくて首を振り続けた。
「行きましょう、魔王様」
男の問いかけに彼女は無言で頷く。
マントがバサッと彼女と男を包み込む。その次の瞬間には、もう二人の姿は存在してなかった。
ただ、彼は一人だけ残された大地を血が滲むぐらい強い力で殴った。乾いた土は何事もなかったように前と変わらず存在していた。
「…本当に、お前が魔王なのか?」
空は次第に曇っていき、元々暗かった新月の夜は更に暗くなる。
ぽつりと地面を雨が濡らした。弱かった雨は段々と強くなり、彼の身体に激しく打ちつける。
今日買ったばっかりの金と青の首飾りが地面に落ちる。それを数秒間見つめ、片手で拾い上げた。
「マオ、ウ……そう、俺は魔王のもとに行くんだ…」
雨に濡れた前髪を鬱陶しそうに掻き上げ、優しげな青の瞳は雨のように冷たく冴えきっていた。
「絶対に」
ひどく冷たい瞳をして、彼は村の近くにあった森の中へと導かれるように入っていった。
木々は枯れ、森は存在をなくした。森の中にあった綺麗な泉は干からび、そこから剣を見つけた。
なぜかは知らない。だけど、はっきりと彼には分かった。この剣は自分のものだということを。
神聖な剣を胸に抱くと、脳裏に自分が魔王の心臓をこの剣で刺す場面が見えた。
驚きで手から剣がドサッと落ちる。
「ころす?誰を、誰が殺す?」
落ちた剣をスッと撫でる。冷たい感触が彼女を思い出させた。
人よりも低い体温でいつも温かさを求めていた。どこか寂しそうに笑う姿に心が揺れた。抱き締めたら微かだが、確かに感じるぬくもり。全て、愛しいと感じた。
「俺が殺すのか?あいつを、マオを殺す?」
殺せ、と剣は囁く。それに首を縦に振ることが出来ない自分が居る。
彼女は嘘を付いて側に居た。生まれ育った村を滅ぼされた。大切だった者達を殺された。騙された、傷付けられた。凄く恨んでいる。
それでも彼女を愛しいと想っている。
「なぁ、マオ。俺は…俺は」
見えない月を仰ぎ、彼は想いを馳せた。
「愛してるんだ。お前を、お前だけを愛してる」
見えない月を見つめる彼の心ない冷たい瞳が一瞬だけ狂気の色に染まった。
目元まである深いフードを被り、彼は聖剣と呼ばれた剣を振るっていた。
彼と対峙していた男性は手先や足を無惨に斬りつけられ、地面に倒れ込む。
トドメだというように彼は男性の首もとに剣先を添えた。
「お前達にとって魔王とは何だ?」
鼓膜を震え上がらせるほどの低い声に男性は息をするのも忘れるほど恐れた。
ガタガタと小刻みに震えるのは、彼の低い声の所為だけではない。男性は彼と対峙して分かってしまった。
彼は殺すことを躊躇わない。殺すことを生きがいとしている。殺すことを楽しんでいる。
勝ち目がないと分かって逃げたが、追いかけっこの始まりだ、とでも言いたげに笑う姿に恐怖を覚えた。
魔族は冷酷非道の言葉が似合うと言われている。男性も彼と出会う前は冷酷非道といった行いを平気でしていた。だが、男性は出会ってしまった。彼という恐怖の象徴に。
男性は自分より魔族らしい彼に屈伏した。
「答えろ」
「まおう、魔王様は我らがお守りする存在」
「なぜ、守る必要がある?」
「あのお方は弱い、弱くて我らのお守りしないと生きていけない。あ、あのお方は魔族が持つ力を持っていない。人の世を穢す力も魔力も丈夫な身体も、何一つ持ってない。人と何にも変わらない」
怯えた表情で男性は彼を見上げる。何かを考えている彼に今なら逃げれるのではないかと思い、小さく身動きした瞬間に彼は口角を上げた。
「そうか、なるほどな。礼を言うぞ」
「…ひぃ」
小さく漏れた声は肉を裂く音にかき消された。
魔族は人の世で死ねば灰になる。さっき首を斬り落とした男性も直に灰になることだろう。
剣にこびり付いた赤黒い液体は灰になり、彼はその灰を落とすように軽く振って、鞘に収めた。
もうすぐ、違う魔族を倒しに行った仲間が駆け戻って来るというのに、彼は高まった気持ちを抑えきれずにいた。
「そうか、マオは人と何一つ変わらないんだなぁ」
考えてみれば分かることだった。彼女は十年間も人の世に居たというのに、彼女の周りは穢れることはなかった。
彼は嬉しそうな笑みを零した。
「勇者っ!」
名称を呼ばれ、彼は違う魔族を倒しに行った仲間がついに帰ってきたと分かり、今まで上機嫌だったのに瞬時に顔をしかめた。
「勇者、怪我はないか?」
「ない」
素っ気ない彼の態度に仲間は顔を強ばらせる。
仲間からすれば、彼は腕は確かだが信頼に欠けるものがある。気を抜けば、後ろから刺されそうと感じる時が仲間にはあった。
目を合わせれば震え上がるような冷たい瞳。目元まである深いフードを被らせたのは、紛れもない彼の仲間だ。
そっと彼は空を見上げる。直に日が落ち、月が昇るであろう空を見つめた。
「魔王城も近い。もうすぐだ…もうすぐで、やっと」
「…ゆう、しゃ?」
仲間の内の誰かが恐怖で震えた声で彼の名を呟いた。
それもそのはずだ。普段は戦闘狂と言われるほど、戦っている時にしか笑わない彼がこの場で笑みを浮かべているからだ。
戦っている時に見せる薄っぺらい笑みだったら、まだ良かった。だが、彼の笑みは優しくて、嬉しくて、愛おしくて、そんな感情が籠もっていた。
何がそんなに嬉しくて愛おしいのか、仲間には理解が出来ない。
仲間の気持ちを悟ったのか、彼は不機嫌そうに息を一つ吐いた。
「……行くぞ」
鼓膜に刺さる彼の低い声。
仲間は返答することも頷くこともせずただ黙って、そうまるで操り人形のように彼に付いていった。
それから数日後のこと。
やっと魔王城へとたどり着いた彼の仲間は信じられないものを見ることになった。
玉座に座るのは、まだ十代後半の少女。漆黒の長い黒髪に庇護欲をそそる肌の白さ。儚げなに揺れる髪と同じ色の瞳は何を思ってか、自分達を寂しそうに見つめていた。
「あれが、魔王?」
誰かが呟いたと同時に彼は魔王の隣に居た男に斬りかかった。
男も来ると分かっていたのだろう。魔王の側を離れ、彼と対峙する。
一瞬だけ呆けてしまったが仲間は気持ちを切り替え、彼の援護へとまわった。
しばらくすると戦いの決着がついた。
崩れ落ちるのは男の方だ。彼の聖剣が心臓に一突き。ゆっくりといたぶるように男から聖剣を抜く。
その時、確かに見た。彼が嬉しそうに笑みを浮かべていたことを。
玉座に座っていた少女が既に灰になりかけている男に駆け寄る。バッと彼の仲間は武器を構えるが、それを彼は手で制した。
彼女は灰になった男の側に座り込み、灰を握り締めた。
「嘘吐き」
その姿が痛ましくて見てられなくなった。本当に自分達がやっていることは世界の平和のためなのか、そう疑いを持ってしまうほど仲間にとって彼女の存在は脅威だった。
彼は久しぶりに見る彼女の存在に嬉しさを覚えるが、同時に醜い嫉妬の渦を感じた。魔族の男にここまで肩入れするなんて、と。
「気は済んだか?」
声をかけると彼女はビクッと身体を跳ねさせ、怯えた瞳で見つめてくる。
「ある、ふぁーど?」
彼女が自分の名を呼んだ。嬉しくて、嬉しくて、彼は堪えきれずに笑みを零す。
「あぁ、アルファードだ。再会を喜びたいことだが、ここには部外者が居るからなぁ?」
笑みを浮かべたまま、彼は最早邪魔な存在となった仲間の方を振り向く。戸惑いを隠せないままの仲間の一人が一歩と近付いた。
彼女に近付くな。そんなつもりは仲間にはないのに、彼は無意識にそう思った。
「勇者、どういうことなんだ?魔王と知り合いだったのか!?」
「うるさい」
知り合いとか、そんな安っぽい言葉で彼女との関係を表せたくない。それにどうせは死ぬ予定の一人だ。
彼は聖剣で近付いてきた仲間の首を斬り落とした。辺りが血飛沫で視界が悪くなる。
自分に飛び散った血を拭いもせず、彼は呆然としている仲間に向かって剣を振るった。抵抗することも忘れ、ただ突っ立っている仲間に呆れがこみ上げてくる。
あれほど警戒していたというのに馬鹿な奴ら、彼はそう思いながらも剣を振るうのを止めはしない。
最後の一人を殺そうと彼は剣を振り下ろす。やっと現状を理解した最後の一人は瞳に恐怖の色を浮かべたと思ったら、やっぱりとそう言いたげな視線を送ってきた。
分かっているのなら、最初から魔王討伐なんてしようと思わなければ死ねずに済んだというのに。
最後の一人の首を斬り落とし、彼はフードをとり彼女の側に近寄る。
目線を合わせるようにしゃがみ込めば、彼女に大分血が付着していることが分かった。
「汚してしまったな」
「あっ…」
頬に付いた血を拭き取ると、スッと彼女の瞳から涙が溢れる。
その涙ごと彼女を抱き寄せたい。抱き寄せて、もう一人じゃないと囁きたい。
「泣くな。すまない、遅くなったよな?これでも頑張ったんだ」
「…っ」
「お前をこの手で抱くために」
それでも泣き続ける彼女をたまらず、抱き締める。
冷たいけど、確かに彼女が存在しているというぬくもりを感じた。
「なんで…なんで、私を殺さないの?」
震えた唇で発する言葉に彼は不思議そうにした。
「お前を殺す?何で俺がそんなことをしないといけない?」
「だって、私は‥!」
「魔王だから?そんなの今になっては誰も知らないことだ。俺とお前以外、誰も知らないことだ」
彼女は言葉の意味が分からないといった感じで首を少しだけ傾げる。その可愛らしい仕草に彼は声をたたて笑った。
「馬鹿だなぁ、マオは。何のために俺がアイツらを殺したと思ってるんだよ」
チラッと仲間だった者の死体を視界に入れる。その視線を追って彼女も死体を視界に入れる。
「俺はお前と一緒に居るために魔族を殺し、仲間だった者も手にかけた。お前が力が無いということは知っている。お前は人にとって害はない」
まぁ、あったとしても問題ではない、と言い彼は狂気を孕んだ瞳で彼女を見つめた。
言葉の意味を理解したのだろう。彼女はなぜそこまでするのか信じられないといった表情で見つめてきた。
「なんで…」
「なんでって、それを聞くのか?答えは一つしかないだろ?」
本当に気付いてなかったのか、馬鹿で可愛いよ。彼はそう思うと自然に笑みが零れた。
「お前を愛しているからだ」
柔らかそうな彼女の唇を強引に奪った。
「やっ、やだ」
「やだ、と言っても止める訳ないだろ?ずっと好きだったんだ。ずっとお前に言いたかった」
柔らかくて甘い彼女の唇を何度も求めるように合わせる。
唇を合わせる度に身震いをする彼女が可愛くて、止まらなかった。
やっと唇を離せたのは、あることを思い出した時だった。
「あの時、言っただろ?俺が何かを成し遂げた時には言うって」
彼女は小さく頷いた。
「俺はお前を愛しているんだ。魔王とか勇者とか、そんなの俺には関係ないずっと一緒に居てもらう」
震える身体で彼女は頷いた。それが嬉しくて、彼は目を細めて笑った。
柔らかい頬を一撫でし、金と青の首飾りを付ける。金と青の首飾りを付ける彼女は自分のものだという独占欲にかられた。
「あの日、隣街で買ったんだ」
「私に‥?」
「あぁ、あの日はお前と出逢って、丁度十年だったからな」
形を確かめるように彼女は首飾りを撫でた。
似合っている、まるで囚われて逃げられない愚かな蝶だとしても。
彼は捕まえたというかのように笑い、彼女を腕の中に閉じ込めた。
「好きだ、好きなんだ。お前だけをずっと想っていた」
「……アルファード」
悲しいのか、寂しいのか、それとも諦めたのか。彼女は泣きながら笑っていた。
もっと壊れればいい。抱き締める力を強くして、彼は優しく囁いた。
「もう、絶対に離さない。例え、お前が魔王だとバレても俺が守ってやるから」
もう逃がさない、と呟けば、彼女は腕の中で小さく身震いをした。
彼女は魔王で人々の恐怖の象徴、俺は勇者で人々の救世主。
哀れな魔王は勇者に愛され、永久に囚われる。逃げることを赦されず、永遠に俺のもの。
「……お願い、私を殺して」
そんな言葉はもう、聞き飽きた。
震えた唇を優しく指の腹で撫で、そのまま唇を合わせた。
「お望み通りに殺してやるよ。お前が何も考えられなくなるぐらい、生きたまま殺してやる」
透き通るほど綺麗な漆黒の瞳が恐怖の色に染まる。その瞳の色さえも美しいと感じられた。
彼女の存在は俺にとって毒と同じ。蝕まれて、彼女が居ないと生きていけない。
彼女しかもう、いらない。
「俺がお前以外の存在を一人残らず消したら、お前は俺のものになるだろ?」
お読み下さって、ありがとうございます。