教会
いざ王国内部に入ってみると、構造の奇妙さを除けばそこはいたって普通の町だった。
街を行きかう人々も体の一部分に蟻の特徴を残すだけで、どうやら案内人たる彼、ヤブと似たような特殊技能を持つ上流階級のアントマン達らしい。
時々、それとは間逆に上半身まで完全に甲殻に包まれた直立歩行する蟻を見つけてぎょっとするものの、聞けばそれらは指示をしなければ食事すら取らない肉体作業用の働き蟻でなのだと、めんどくさそうなヤブの説明があった。横着なアントマンは荷物ごと背負って運ばせたりしているようだが、下半身が蟻である僕はそれを見て何ともいえない疎外感を感じる。
「正直、今回の人事には疑問が尽きないんだよね。王国の言葉や文字を理解できるとはいえ、王国の外で見つかったような素性の知れない存在を受け入れるなんて。」
どこに案内しているかなんてことは説明しないまま、振り返りもせずヤブは言った。
彼の態度からして、入国の時の言葉とは裏腹に歓迎されていないのは明白だ。まあ、理由は今言ったことが全てであろう。
思えば隊長にも不審人物としか捉えられていなかったのだし、曲がりなりにも歓迎されていた畑がおかしかったともいえる。
「まあ、僕自身不審人物であるとは思うけど、ね。ここに入りたいといったわけじゃなく君達が自分の手で迎え入れたんだろう?そんな言い方はないと思うな。」
「遠慮がないのは結構だけど、これから拷問なり何なりで目的を引き出されるとは思わなかったのかい?」
反論が苛立たしいのか、ヤブが中々過激な発言をする。聞こえていたのか通りすがりの人がぎょっとしてこちらを振り返っていた。
「外に出ればどの道生きていけないさ。狩猟なんてやったことがないし、まさか草を食べるわけにも行かないだろ。」
これは、正直な話だ。
僕にあるのは地球で生きていたごく普通の青年の記憶だけで、僕を僕たらしめているそれには現実的なハンティングの記憶なんてものは存在しない。それはつまり今の僕にそれらの技能がないということでもある。
ピタリ、と足を一瞬止めてヤブが妙な反応をする。
「それは残念だ。」
嫌な予感がする。こんな反応を見せるって事は、まさか僕に外で何かさせるために、ここに招き入れたのか?
おい、と肩をつかもうとしたところで丁度よく、あるいは間の悪いことに目的の場所に着いたようで、ヤブは足を止めた。
二人の目の前にある建物は、教会に見えた。
「教会?ここが工房なのか?」
「違うが、そうであるともいえる。……まあ、黙って着いてきたまえ、すぐにわかるさ。」
両開きの大げさな造りの扉を押し開け入っていくヤブを、僕はあわてて追いかけた。
内部は絵に描いたような教会であった。十字架を描いているステンドグラス、豪奢なパイプオルガン、並べられた長椅子に、神父か牧師が立つであろう壇上。
いや、異様なものがある。
きのこだ。至るところから色とりどりなきのこが生えている。長椅子にも、演台にも、室内に薄っすらと漂っているのはそれらの胞子だろうか。
本来偶像が貼り付けられているべき十字架すら菌糸覆われ、あまつさえ貼り付けになっているのは人のような姿勢をとらせたオリジン、要は巨大な蟻の死体であるようにも見える。
「何だよこれは。悪趣味な上に肺にまできのこが生えそうなほど湿気っているぞ。」
あまりのおどろおどろしさに、僕は入るのを躊躇ってしまう。
歓迎したのは生贄にする為だといわれても、今なら信じられそうなほどだ。
「安心するんだね。気分が良くなりこそすれ、悪くなることはないはずだ。」
振り返ってそういうと、ヤブはそれらが無いかのように平然と奥へと進んでいく。
歩くたびに揺れ動く空気が見えるほど胞子が漂っているというのに、咳の一つもしないその様子はまるで幽鬼のようでもある。
実はこの都市に住人がきのこに支配された傀儡の街だと言われても今なら素直に信じられそうな気がするほどだ。
「一向に安心できないがね。」
そういってみたが、ズンズンとヤブは僕を無視して奥に入り込んでいく。仕方なくカードの入った袋で口を覆いながら、教会の内部に入る。
ヤブは中にある何やら彫刻のなされた電話ボックスのような、証明写真製造機のような奇妙なボックスの扉を開けて僕を待っていた。所謂懺悔室というものなのだろうか。
「中に入ったら机に向かって座って待っていてくれ。」
そういわれて中に入ると、確かにその中にはもう一つの部屋のほうにむかって置かれた机と椅子があり、机の前には障子のような白い紙らしきものが設けられていた。
「新人に説明するためのプロジェクターだよ。出力機も貴重品でね、街には1つしかないんだ。」
「機械があるのか?」
部屋の扉を閉めようとするヤブに思わず振り返る。
「決まりだからね、全部説明してあげるよ。僕らが何なのか、なぜこんな事になっているのかをね。」
そういうと、ヤブは扉を閉める。
すると部屋の中は薄暗くなってしまった。思えば地下に入って以来、明かりらしきものはないのに天井がある程度の光を放っていた気もする。
見かけ以上に王国の技術力は高いのかもしれなかった。
しばらく投影幕の向こうでがさごそと何かを動かしている音がした後、幕に真っ白な光が投影された。
「今となっては、正確な月日など誰にもわからないのだが……」
ヤブが、真実とやらを語り始めた。