淘汰
後から考えるに文字がどうの、という話をしたのが決定的だったのだろう。
僕は三人で話した何日か後に、急に部署異動が決まった。文字が分かるなら別の仕事を担当しろ、ということらしい。
この中世の農奴みたいな生活も終わりということだ。
「そう、またしばらくは新人待ちになるでおじゃるな。」
畑では最後となる晩餐で、赤さんは相変わらず安定しない口調で残念そうに言った。
思えば、畑はこの体になってから最も過ごした場所なので、多少の愛着もある。
苦手とか言っておきながら指定席は決まって配給カウンターの前、エリーさんと三人で話せる場所であったあたり、僕自身も彼女たちとのコミュニケーションを楽しんでいたのだろう。
エリーさんは仕事の関係で無理だそうだが、赤さんは作業前に見送りするから来いといっていた。
来いって、普通逆なんじゃないだろうか。
「起きてくれ、ファーブル。起床の時間だ。」
目を覚ますと、最早顔なじみである巡回兵士が僕の方を揺すぶっていた。
「配属先の工房に行く前に食堂へよってほしいと作業監督が言っていたぞ。私も君の案内の後に任務があるので急いで欲しい。私はここで待っているから。」
「あ、はい。」
寝起きの霞がかった頭のまま気の抜けた返事をすると、僕はそれきり壁に寄りかかって黙ってしまった兵士を尻目に、食堂へと向かった。
食堂には、部屋一杯の赤さんがいた。
混乱する僕に、一番手前に立っていた赤さんが苦笑気味に話しかけてくる。
彼女だけが、なぜか初めてここに連行された時の僕よろしく糸で拘束されている。見れば他の赤さん達も微妙に距離を置いていた。
「やっぱり気づいていなかったんでありますね、ファーブル。私達は日替わりで交代して話していたんだよ?」
後ろにいるのは私の姉妹たちであります、と赤さんは畑のもう一つの役割について説明してくれた。
それは、凡そ今までのお気楽な毎日が嘘のような重要な話であった。
『ここは外部から新人を迎え入れた時に、病気や寄生虫の類にかかっていないか調べる為の隔離施設であります。』
『エリーさんは触診を、我が姉妹は会話の理解力に異常が出ていないかの調査を受け持つであります。』
異常が体にあれば、一ヶ月もすれば兆候が現れるものだと症例を踏まえて苦笑する赤さん。
そういう意味では、赤さんから見て浮世離れした話ばかりをする僕は見るからに危険だったのだそうな。
『他の男性もそうでありますよ。外部で活動したアントマンは一定期間の畑で隔離されるのが昔あった事件以降の慣わしであります。』
事件があったということしか私も知らないでありますが、と淡々と話す様子はいつもとあまり変わらない気がした。
衝撃の事実を知らされたことによる知恵熱と、彼女の語尾でゲシュタルト崩壊を起こしそうになってくらくらする僕に、彼女は時間を惜しむかのように話を続ける。
『狩猟が食料の主な源だったかつてと違って、今やクランは必要のない限り地上の探索を行わないように統制されているであります。詳しくは正式な部署で聞くといいであります。』
毎日飲んでいた甘い水は、エリーさんの一族が近年になって生み出した気休め程度の薬であるらしい。
初期症状であればそれで回復する可能性もあるそうだ。
更に言えば、キノコとわずかな肉という栄養の低い食事を続けることで、寄生虫の類がいた場合、発見を早める為それの活動を促すそうだ。万一僕に何か反応があった場合は、兵士が部屋ごと処理する予定だったとのこと。
どうりで狭いわけだ。正に墓穴か。
寄生虫や菌の類は下半身の腹部や頭部に潜む為、生まれながらの外骨格が災いしてクランの技術を持ってもまず救いようがないらしい。末端であれば切断するだけでもいいらしいが、今まで前例はないという。
今回の狩猟でも何人かの犠牲者は出てしまったのだそうな。それでも、狩猟は取引の為ある程度決まった範囲で行わなくてはならないらしい。
寄生された者は、狩猟でも使っていた糸の代償として支払いに当てられる場合が多いという。
恐らくは蜘蛛関係の何かとも共生環境にあり、毒で相手の内部をドロドロに溶かす蜘蛛ならば安全に処理できる、ということなのだろう。実際はどうだかしらないが、大体あっていると思う。
『わたしも、感染しているであります。』
赤さんと始めてであった頃より、少し大きくなった腹部。
彼女の黄色いはずの甲殻におおわれたそれは、ぴんと張った隙間の膜の下に白い物が浮かび上がっていた。なるほど、確かにこれは一目で分かる。
ワーム、と彼女は言っていた。人だった頃に聞いたことがある、線虫とかいわれる奴が寄生しているのだろう。
内部で育ったそれは、そのまま放置すると彼女の体内の栄養を吸い上げて成長し、やがて内部から突き破って現れ産卵するのだという。
そうなる前に彼女は対価として処理されるのだそうな。
僕はもうなんと言っていいのか分からず、そんな話をされた後に
「お達者で、であります。」
と、とぼけた台詞を言う彼女が僕の後ろから入ってきた兵士に連行されていくのを黙ってみていることしかできなかった。エリーさんたちの体色が薄いのも、食品を扱う上で異常がすぐに発見できる種族が生き残ったという淘汰の果てなのかもしれない。
あるいは、彼女たちも。
ここは楽園などではない、彼女達の戦場なのだ。
気がつけば僕は呆然としたまま、ふらふらと槍に縋り付くようにして兵士の後について歩いていた。
その先にあるのが、少なくともここよりは平穏な場所であるといいのだが。
だが、とてもそんな場所があるとは僕には思えないのであった。