怪人
目が覚めたら、怪物になっていた。
カフカという昔の人が書いた本に似たような話があったなぁと人事のように思いながら、僕は呆然と変わり果てた自分の体を眺めた。
怪物、というのは語弊があるかもしれない。眼球を動かす変わりに広すぎる視界の一部に意識を向ける。
すると今や三百度を越えているであろう視界に映るのは、生物的なキチン質の装甲を纏った巨大な虫の様な体だ。
有難くない事に、下についている腹部の側面に開いた穴から息を吸ったりはいたりしている感覚がリアルに感じられる。
違和感ばかりがあるのに、そんなものは無いと実感する感性。正直発狂できたらどれだけ幸せなことか。
あえて言うのであれば人間のような形態なのだが、各部の異様が相まって寧ろ特撮に出てくる怪人に近い。何せ理解不能なことに肺呼吸もしている。
肩の部分に二揃いついている太さや形態が違う腕と、股関節の部分に一揃い、ぱっと見鎧を着ているようにも見える逆間接の脚があり、尻の部分から昆虫の腹部が伸びており、それに覆いかぶさるように羽とその覆い(正式名称は知らない)が出ている感じか。
全体的に体の各部は白と黄緑っぽい色で統一されている。
「人の、手だ。」
肩からまるで工業用機械のアームのように伸びる腕の先についている硬い殻で鎧われた悪夢の様な鍵爪を持つ手。
それとは対照的に体のスケールに合わせたかのような、部分部分が殻に覆われていることを除けば極めて人に近いつくりをしている腕と手。
それらが何の為についているのか考えたくも無いが、自分が何をできるか理解しなければより悪夢的な状況になりそうだ。
眼こそ迫り出すような複眼になったがそれ以外は髪も鼻も耳もあり、人そのままの口を持つ頭部。
上半身は副腕(生物学的に正しいかは別として大きいほうをそう呼ぶことにする。主に精神的な意味で)と肩周りを除けば皮膚や骨、筋肉の存在する哺乳類らしい特徴を持っているが、下半身は完全に異形。
自然にはありえない、悪意を感じる造型だ。
そこまできて、僕は悪意、というイメージから急に悪寒がした。急ぎ意識を自分の肉体から周囲に散らす。
周囲は、簡潔にいうと巨大な植物が群生する奇怪な森だった。
僕は群生する植物の只中、少し広い場所に間抜け面で立ち尽くしていたらしい。
頭上に生い茂る、一枚一枚の幅が布団以上に大きい草の合間から空を飛ぶ巨大な何かが見えた気がしたが、スケールが違いすぎて正体がいまいちわからなかった。
そもそも、草といっても感覚的には五階建てのビルほどの高さがあり、それらが太陽の光を奪い合っているのだ、おそらく雲が無いであろう今でも周囲にはそれほど光が当たっていない。
自分を見下ろすようなスケール違いの植物に囲まれた僕は、自分は地獄に落とされたのだろうと思った。もし、これが畜生道という奴なのであれば、仏とやらはイカれてるか宇宙的悪意に満ちたドSに違いない。
自分が化け物になったからといって、それ以上の化け物が周囲にいないとも限らない。何しろ自分という前例がいるのだ。
だが、自分のような異形が普遍的にいるのであれば、文明があってもおかしくはない。それはこの状況下ではわずかな希望である。
何にせよ、せめて柔らかな人肌の多い上半身を守るために服か何かが欲しいところだ。鍵爪があるとはいえ、この手は葉を切り倒すのに果たして役に立つのだろうか。
そう思い副腕で車一台ほどはある太さの茎を軽く引っかいてみると、集中して観察しなければ判別できないほどの薄い爪跡が付くだけであった。
やわらかそうな緑色の茎のくせに恐るべき硬度である。それとも自分の腕が軟弱なのだろうか、どうにも先行きが怪しい。
茎に掌を当ててみると、感触はつるつるとしていてまるで竹のようである。竹特有の空洞が感じられず、みっしりとしているのが違いか。
どうやら見た目と違ってかなり頑強な植物のようである。
まあ、ビルほどの高さの葉を支えるのだから、よく考えればやわであるはずも無い。
ふと、脚も何かをつかめるような構造をしていることに気づく。
「そうか、人じゃないんだもんな」
僕は、大きく副腕と脚を伸ばして、茎にしがみついた。
開いた爪が、引き裂くよりもしがみつく事に特化している構造なのが確信できる。
どういう理屈か知らないが、四脚なら走るような速度でするすると登ることができるようで、下半身の脚だけで忍者漫画の如く、横に立つことすらできるのだ。重力はそれほど感じないが、筋力が高いだけだろうか。
人肌が出ている部分も、四つ脚で茎につかまって歩いていると迷彩になっているように思える。
自分の体の機能が解明されていくにつれ、当面行動する分には支障なさそうなことに対する安堵と、一見凶悪そうな外見の自分におそらくそれほどの戦闘能力がないという事実が浮き彫りになった絶望で、気を抜くと地面に落ちそうになる。
今自分を上回る異形に襲われたら、抵抗する術がないのだ。
身を守る道具が必要だと、本能的に理解する。あえて具体的に言うならば武器が。
そこまで思いついて、ふと始め自分が立っていた場所に何かが落ちているのが見えた。
「あっ」
それは、自分の身の丈を少し超えるほどの、明らかに何かを加工して作られた槍だった。状況的に見て明らかに自分の為の物であろうと思われる。
不自然極まりないが、そもそも今の自分を取り巻く全てが不自然だ。
周囲を警戒しながら、慌ててそれを回収する。
形状としては、ゲームで良くある安い槍といったところか。ひし形の穂先を持つ突き刺すことで真価を発揮するタイプで、逆に言えば刃物としての価値はとてもじゃないがなさそうである。
槍なんて使ったことがないし、一撃で目標を仕留める自信などないが、金属の重みが何ともいえない安心感を与えてくれた。威嚇する道具程度には使えるだろうし、無いよりは遥かにましである。
そんな暢気なことを考えていた為だろうか、身の毛もよだつ絶叫、断末魔の叫び声が響いてきたのは。