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炎刀奇譚  作者: Sio
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第9話 彷徨う想い

翠子は……最季の翠子の形をとっている者は予期せぬ闖入者にまたもや狙いを外してしまった。

ギチギチと耳障りな音を立てて刃同士が擦れ合う。

「――翠子。刀を納めなさい」

短い脇差し一本で大刀を易々と受け流す男に彼女は一歩、後ろに跳ね退いた。すぐに体勢を立て直すと刀を構え直し、躊躇なく斬りかかる。

しかしまたもそれは弾かれる。

技量を同等と見ても、単純な力の強弱からくるものだった。

「きみは刀の扱いは決して素人ではないようだけれど、それでも真剣を扱うのは初めてみたいだね……。怪我をするよ」

「黙れっ」

らしくもない言葉遣いに翠子自身、驚いていた。自分の復讐劇に水を差す形で現れた静紗に怒り、そこから発生したものだと頭では理解できたが、けれどそれを冷静に受け止め首を捻る自己もいた。不快を伴う違和感が胸に生まれる。

脇差しと刀では得物が長物である自分の方が圧倒的に有利。

囁き声が脳裏に届く。

広がった距離を走り込むことでに一気に縮め、今度は左斜め下から切り上げる。けれどそれもかわされてしまう。

本来刀は男性の体躯に合わせて作られており、それは例え刀身の重さをどこかに置き去ることによりその刀を自在に振り薙ぐことが可能な翠子であっても、物質的な原型の――元の長さ――までも、その支配下にはおくことはできなかったからである。それとは対照的に静紗はと言うと、脇差しの重さなどは端から問題になるはずもなく、不利にとれるその長さを、自己の腕の長さや力で補い見事に立ち回っていたのである。

翠子はそれを感じてわけもなく腹立つ自分に気がついた。

さっきからずっとこの調子だと、物事を静観する意識がそこにはちゃんと残っているのに、止めることができない。今の翠子には自分が何をしているのか、何をしようとしているのかがわからなくなっていた。

刀を手に相手に斬りつけているが、それは意志によるものとは遠く隔たっていて、どちらかと言えば刀が意志であり、体が刀のような感覚で振り回されているのは自分自身である気がする。

空がひゅうっと啼く。

鍛え上げられた銀色の刀身が擦れ甲高い音を上げた。

「――漣蛇。お前もいい加減にしろ」

その言葉を合図に、翠子の四肢を何かが駆けめぐった。

ぐんっ!

刀の先端が降下する。

後方に飛びす去った静紗は脇差しを構え直すことなく、それどころか鞘に収めてしまった。

一方、そんな不可解で、けれど千載一遇の機会を失するべき手はないと刀を振りかぶろうとした翠子だったが、腕は中段の位置より上には上がらなかった。上げることができなかったのだ。

静紗が交わる刃の下で口にした言葉を契機に、彼女の手の中の刀は急に重量を増やしたのである。いや、単に元々の重さに戻っただけなのだ。

自分を持つ人物に力を貸すのをやめただけなのだ。

「っ!」

中段の位置で支えることで精一杯の腕も、瞬く間に疲労を訴えだし、その切っ先は小刻みに震えながら下がっていく。やがて重さに耐えきれなくなり、刀が畳に吸い込まれる。

ダンッ!とそこに突き刺さった。

静紗は駆け寄るなり、翠子の手から滑り落ちた刀を素早く引き抜き確保した。

刀の鞘は急いでいたので置いてきてしまっていたから、危ないことはわかっていても仕方なく剥き出しのままにするしかなかった。

「……?」

手にした柄に異様な滑りを感じ、反対の手に刀を持ち替えてから空いた手の平を見る。一瞬目を見開き、側で座りこんでしまった少女に静紗は無言で歩み寄る。その手を取ると、手の平が見えるようにひっくり返した。静紗の目が大きく見開かれる。

少女の両手の平は慣れない摩擦などで皮が破れ、そこから血が滲んでいたのである。

刀の柄には鮫皮が使用されていた。

「よく滑らなかったな……」

勢い良く何度も振り薙げば、血で滑った柄は手の中からすり抜けても何ら不思議ではない。ましてや柄と反対側にその重量、重さの支点がきているのなら当然あり得る事態である。

刀に扱い慣れない者が時としてやらかす危険な行為の一つであった。

「手当は戻ってからだ。――貴人様、今夜のことは貴方の嬲られた黒猫が運んできた悪夢とでも思って、深く考えないことです」

振り返ることなく彼は男に告げた。一つ息継ぎをしてから手中にある冴え冴えとした光を反射させる刀のような声音で続ける。

「ただし、貴方様が何をなされた末のことかはお忘れなきように、とは申し上げておきましょう。多少なりとも良心の呵責がおありなら、自戒してその咎を悔いる気持ちを持たれることです。か弱い生物の命一つを、ご自身のもので贖うお気持でしたら、別ですが……」

不意にどこからともなく立ち上った薄紫色の陽炎が静紗と翠子を包みこむ。

ふわり。

この世のものとは思えぬ現実を何度も目の当たりにしてしまった男は、歯の根のかみ合わない震えに苛まれながらも、若い男女が消えたあたりに向かってそれを誓ったのである。



〈お放しっ、この愚か者めが!姉である妾を斯様な目に遭わせてただで済むと思うておるのかえ!?〉

上品な態度は彼方に捨て去った火精が一人。不可視の荒縄に縛され、唯一自由な口でもって罵詈雑言を浴びせかける。

〈赤子の折りに、うぬの下の世話までもしてやったのは誰だと思うておるのだっ〉

〈五月蝿い……と言うか、常識的に考えて不可能にございましょう〉

頃同じくして生まれた相手の下の世話――おしめの交換――をすることはどう考えても無理である。

ジタバタと深夜に余所様の迷惑などお構いなしに暴れるレンカに冷ややかな視線を投げるアカリ。本来ならその力関係は歴然としているのだが、今回ばかりはアカリ側に他方からの助力があったために、その構図は見事にひっくり返ってくれたわけである。

その奇特な手助けをしてくれたのは誰あろう、嵐の精達であったりする……。

一種の復讐行為に駆られた彼らはまるでどこかの誰かがしたように、嬉々として凶悪な有害火精の捕縛を快く同意し、彼女の弟である火精に手を貸したのであった。ちなみに、そんな彼らの頭の中に復讐の復讐……つまるところの『復讐返し』と言う言葉はなく、どこまでも楽天的な向こう見ず風潮が蔓延しているのはこれから先の彼らの未来に暗い影を落としたかどうかは知れない。

〈そこな木偶の坊っ!主も傍観なぞせぬと妾を助けぬか!〉

木偶の坊扱いされ、心象を良くする者はない。まあ、例外として万に一つ心を動かされたとしても、それはどちらかと言えば……。

「ああ、わかった。俺も嫌だが仕方ない。クソ親父のツテで俺も水精を召喚しよう」

こんなものであろう。

〈――!静紗殿は何処におられるかっ〉

身内に見捨てられ、傍観者はあくまで傍観者。とすれば後に期待できるのは結縁を結んだそれは綺麗な面差しの青年だけ。

〈姉上……っ〉

「そこの火精……っ」

ほぼ同時に突っ込みをしたくなったアカリと冬胡の両名である。

あれだけ勝手に暴走をしておいて、一番の被害者と言える彼に助けを求めるとは、いったいどういう精神構造をしているのか疑いたくなるのも実に仕方のないことであろう。

〈姉上。先に申し上げておきますが、貴方の行為は……〉

渋い顔をして自分に話しかけるアカリにレンカが声を荒げる。

〈やめよっ。説教なぞ聞く耳持たぬわ!〉

〈いったいどなたのせいと思うておられるのですかっ〉

態度を改める気配のない身内に、いい加減怒り心頭で、こちらも語調を荒げることになった。

「騒がしい姉弟……」

精霊の姉弟喧嘩と来れば、いい見物には間違いないのだが、いかんせん今の彼は気分的に疲れていたので面白がる気力もない。無駄なまでに騒がしいだけに、こちらの生気を抜かれているのではとさえ、尋ねたくなるほど体は疲労を訴えている。

いっそ同僚の一人に頼んで、姉弟そろって消し去ってやろうか。

傍目で溜息をつきながら冬胡は人の家の軒下から空を見上げた。

父親が水の精の結縁者だったツテでもって嵐の精に協力を仰いだのだが、嵐の精は水に属すが同時に風にもその属性を有するので行使するにはそれなりに勝手が違った。ましてや。

ほんの少し前まで、高位火精を二人も従えた結縁者が側にいたのだから、半ば邪魔されていた分もかなりある。

つまるところ、色々な方面に気を遣わなければならなかったので、その疲労は実に素晴らしいものだったのである。しかも大前提に、彼自身は結縁者でも何でもないのだ。

彼の人生遍歴でも結縁を結んでいない相手を使役するなど、人生でもそう何度もないほどの危険でスリリングな、貴重な体験の一つになったのである。

「――大分、落ち着いてきたなぁ」

雨足はともかく、風は落ち着きを見せ始めている。こんな夜遅くに、しかも雨の日に都の大路でいつまでもたむろっている気はなかった彼だが、友人である――少なくとも、自分はそうだと思っている――人物の様子が気にならなくもなく、その二つがいい具合につり合ってしまった為に、今もこうして雨降る寒空の下、雨除けの外套の下に薄手の室内着姿でいるわけである。いくら外套と言っても、季節がら薄くもなければ暑くもない。昼間に着ている分ならまだしも、外套の下は外行き用に重ね着をしているわけでもなく、しかも時刻は夜中ともなればそれなりに肌寒く感じる刻限である。

「あ、そういやぁ仕事が残ってたんだっけか。確かあれの提出期限て明日だった……って、もうほとんど今日じゃんかっ」

文机の上に放りっぱなしでおいてきた仕事を思い出して冬胡は慌てた。提出だけならまだしも、彼は仕事の途中で引っ張り出されたので、それは完成の日の目を見ていないのである。

有るか無いかわからない友情をとるか、納期延長不可の仕事をとるか。

彼の頭は瞬時に彼のすべきことを弾きだしていた。

自分の上司は決まり事に五月蝿い。更に言うと説教好きとくる。

はっきり言って、それしか生き甲斐にしてないのではないかと尋ねたくなるほど、細かく要求し、少しでも欠落があるのならそれはそれは嬉しそうに、長々と説教をするのだ。

冬胡はがりがりと頭をかいた。それから。

「帰るべ、帰るべ」

友情がどうのと言って、ついさっきまで律儀に待っていた自分を馬鹿らしく思いながら、冬胡は風のやんだ雨の中を帰路についた。

人の家の軒下で今も続く火精達の喧嘩など、友情より上司の説教怖さの仕事をとった彼の感知するところではなかったのである。



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