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炎刀奇譚  作者: Sio
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第6話 試される理由

がつん、と爪先が何かに引っかかってそのまま転んでしまう。

「……っ」

靴下で覆っただけの爪先に当たったものは固く、転んだ後にその箇所を手で押さえて脳天を突き抜ける痛みに耐えた。

小指でなかった分、まだましか。

そうだったなら事態はもっと喜劇的要素を含んだ悲劇だったかも知れないと、翠子は痛みに目尻に涙を浮かべながらどこまでも続く暗闇を仰ぎ見て思った。

暗闇。黒一色。

今も苦しみ悶えてるだろう愛猫と同じ色。

シロと言う名前は皆が拾ってきた仔猫を黒いからと不気味がったから名前だけでもと思ってつけた。

拾ってきたときは当時住んでいた家が借家であることもあって、拾ってきたことを秘密にしてこっそり飼っていた。それが露見したときには両親に激怒された覚えもあるが、それもすでに時の彼方のこと。

そのうち家が都の中心に移って、そこで家を買って結局飼うことを許してくれた親は仕事で家にはシロと二人だけ。家が移った頃と同時に両親の仕事も増え、帰宅しない日も珍しくなくなった。

気付けば自分で食事を作って戸締まりを確認して、一人で寝ることが当たり前の習慣になっていた。

一度だけ留守だと勘違いした夜盗に入られて、さすがにその時ばかりは飛んで帰ってきた二人だったが、それから半年もしないで帰りは深夜にずれこみだし、そのうちに元に戻っていた。

それに対して文句らしい文句は言えなかった。いつも距離を感じていた両親にそれを言える勇気もなく、ひとまずシロさえ側にいてくれればそれでよかったから。

親よりも長い間側にいて、時には守ってもくれたシロ。

自分に気付いて驚いた泥棒が咄嗟に掲げた包丁にも臆することなく立ち回り、異変を感じた隣の住人が憲兵を呼び寄せるまでの短くない時間を身一つで戦ってくれた。何が起こったかわからなくて寝間着姿で立ち尽くすだけの自分を守って。

「常識で考えれば、いつ死んでもおかしくなかったんだよね」

足場を確認して立ち上がると、汚れているかどうかも確認できない暗闇の中、一種の条件反射で服についたかもしれない埃を払う。

「何で人と同じ寿命じゃないのかなぁ……」

そうだったならどれだけ良かっただろう。

これからも一緒だと疑わない幸せは消えることはなかった。こんな気持ちも知らずにいられた。

道端に横たわるシロを見てからずっと胸にはぽっかりと穴があいている。それは決して閉じることなく、それどころか徐々に大きく広がっていくようでとても怖い。見えない恐怖が徐々にその輪郭を見せ始める。

字面だけの死ならばいくらでも知っている。けれど実際直面する死は知らない。ましてや側にいた時間が圧倒的に長い相手が急に失われる現実は見たいはずがない。目を背けたくなるのは当然ではないか。

同じくらいの寿命ならずっと側にいられたのに。

心の中で呟いてからその奥底でかま首をもたげたものに彼女は息を飲んだ。

――例え寿命が同じくらい長くなろうとも、本当に天寿を全うできるかどうかなどと言う確証はどこにあるのか。

そうなることは珍しくとも起きないとは言えない。我が身にこそ降りかからない保証はない。その脆さ、呆気なさを目の当たりにしただろうに。

サワサワ。

今も途絶えることのなく吹き続けている風が髪をさらう。額や頬に髪の毛先がちくちくとあたる。

翠子はその想いを振り切るように足早に歩いていた。

向かい風に早まる足。嫌でも髪が顔をなぶる。

早足はいつの間にか駆け足に変わっていた。息切れがするのも、脇腹が痛くなるのも構わず走る。

そうすることで彼女は芽吹いた想いを否定する。もしくは、一時でもそれを思ってしまった自分自身に追い立てられるように……。



この屋内であるはずなのにその限界を感じさせない不思議な闇の中をどれだけ走った頃か、翠子は再び何かに躓いた。ただし今度の躓く原因を作ったものは前回とは違い、爪先と接触した瞬間それは簡単に動き、しばらくしてからガシャンと硬質な音を立てて地面に落ちた。

爪先に残る感触にまさかと思った翠子は慌てて、音のした方向に足を運んだ。周囲は相変わらずな黒一色だったためにそれを見つけるのは一苦労だった。

まさに暗中模索。

洒落にもならないことを思って、思考が脇道にそれたのを修正する。今は蹴り飛ばしてしまったものを探しているのだ、と。

仕方なく膝をつき、手探りで探す中、手の平の埃っぽさに不快感に覚え始めた頃になってそれは彼女の指の先に触れた。

指先だけでは頼りない感覚に手を大きく開いてそれを握った。

ひんやりとして滑らかな手触り。なぞる輪郭は緩やかな弧を描く。

握ったあたりから左右に手を滑らせる。片方は途中で終わっていた。もう片方は何かとぶつかり、その進行を遮られた。

そこに手を引っ掻け、持ち上げるとずっしりとした質感が手の平に伝わる。

それに触れられたことに胸を撫で下ろす。当面の大きな問題が一気に瓦解していくらか心の余裕ができた気がした。

四つん這いの姿勢を改め、その場に正座する。その体勢から腰を上げ、右足を前に左膝を折ったまま脇に握ったものを鞘から引き抜く。

鞘から抜くには少しばかり力が要ったが、その後はするりと容易く滑り出る。

重さは鞘から出るにしたがって右側に傾く。抜けきるときには初めて手にした瞬間よりも鞘がなくなった分だけ軽くはなったが、やはり片手で持つには重すぎて鞘を床においた手を添わせなければとてもではないが持ち上げることはできなかった。

片膝をついた姿勢から立ち上がり、刀身を見つめるがそこには何も見留めることができない。

光源一つないここでは無理からぬことだった。

「これが、魔刀……?」

鋳門宗家刀家の頭領である久地の源永の秘蔵っ子と、彼に親しい者達にのみ密かに伝え聞かされた彼の打った刀。

想像していた神々しさは感じられなかった。他を圧倒する選ばれたものとか言われる存在感もなかった。

けれど。しかし。

「魔刀、なのかな」

火精が憑いていると彼は言ったはずなのに、熱気一つも感じられなかった。そう言えば、「時折」と言う注釈付きだった気がする。となると、彼が打った刀のすべてに火精が憑くわけではないのだとする推論が成り立つ。

と、それを横においておくとしても翠子には、鋼とは無骨で近寄りがたいものと言う先入観に近いすでに固定されたイメージがあった。

心の片隅でそんなことを感じていたはずなのに、この手に馴染むような感覚は何なのだろう。

これが彼の打つ刀に秘められた力なのだろうか。

鋼は冷たく無機質で、生きている人とは到底相容れないもの。なのにこんなに側まで引き寄せられその生がそこにあることを疑えない。

この刀は確実に生きている。

「――うん。やっぱりこれだわ」

噂に違わず彼は魔刀鍛冶屋だと翠子は思った。でなければこんな不思議な刀の存在は説明できない。今にも呼吸しそうなほどの生に溢れた鋼。

妖刀魔刀。

その名はいくらでも嘘の利く外見の壮麗さではない。

自分の目は間違っていなかったのだと言われているようで彼女は嬉しかった。

何年か前に招かれた刀家主催の展覧会で、同じく招待客であった辰沙に「特別だよ」と手を引かれ連れて行かれた控えの部屋に隠されるようにおかれた脇差しがあった。

剥き出しの刀身は刃物であるはずの鋭さを見せながらも、何故か柔らかさ……温もりがあった。拵えに下がる房もそれに一役を買っているようにそこに違和感なくある。

その側におかれた鞘はそれらの心遣いとは別の次元にあるらしく無愛想さを漂わせるただの漆塗り。目を引く飾りもなければ漆塗りでは珍しくない沈金すらもされていない質素な塗りであったが、しかしその質素さは逆に技巧のまやかしが利かないために腕前が知れる。

これは本業の漆塗師にでも頼んだのだろう、と何となく気付いて笑ってしまった。手抜きなのか手抜きでないのかまったくわからない。

合作という点では滅多に並ぶべきものはないと思われるが、本当に意図した合作か言い切ってしまうのも疑問に残る作品だった。

『おやおや。お嬢は何を笑っておいでかな』

突然笑い出した彼女にその理由を是非とも聞かせてくれと迫る辰沙に翠子は思ったことを素直に話した。

『なるほど。お嬢は素晴らしく目が利く。――これはな、お嬢の言う通り不思議な作品でなぁ、今回の展覧会の目玉になるはずだったのだよ。かく言うわたしも楽しみにしていた』

悲しそうな眼差しでその小刀を我が子のように撫でる辰沙に翠子は躊躇いながらも尋ねた。普段のどこかふざけた彼の姿はなく、そこには一人の芸術を愛した老人がいた。

『理由を教えて頂けますか?』

『ああ、いいとも。聞いておくれ。少なくともこれの良さをわかったお嬢ならば、わたしの気持ちもわかってくれるだろう』

今も一人の陶芸家としてその健在ぶりを知らしめる彼にこんなことを言われる価値はまるでないのに。

そんなことを思いながら彼女は辰沙の言葉に耳を傾けた。

『人々はわたし達の造る作品は魂が宿ると言う。それは造る段階から命を持つものとするわたし達からすれば当然であり、それを感じとってもらえることは何にもまして嬉しいことなのだ』

その気持ちはとても理解できた。とてもどころか、思い知るほどこの胸に克明に刻まれている。

自分は作品が作れない。

作れない。これには語弊がある。

魂の宿ったものを作品と呼ぶのなら、自分はそれを産み出すことはできないのだ。

限界を見てしまったから。

そんな残酷なものは見たくもなかったのに見えてしまった。

人々が賞賛する類い希なる美しき作り物達をこの目は多く見過ぎてしまっていたのだ。

強い光は時として目を焼く。

そう。この目は焼かれたのだ。不可視の光に。

号を持ち、作品なし。作品よりも号多し。

影で囁かれる自分のことを知らないわけではない。

作れないものは作れない。偽物を作るに甘んじるほどこのプライドは低くない。

しかし容易く作品を作っていく彼らが羨ましくないはずもなく。

作りたい、けれど作れない。

才能がないのにさも有るように、作品を作るだろう自分を想像すると反吐が出る。だから作れない。

作りたくない。

このもどかしさと癒しきれない飢餓は、狂いおしいほどにこの身を焼く。かつて自分の目を焼いたときのように。

『何か、あったのですか』

『お嬢も聞き及んでいよう。十日ほど前の通り魔事件のことは』

『え……シノで起きたあれですか?』

都東に属すシノの町。そこで白昼起きた通り魔事件。

人通りの多い道のど真ん中で、ある男が手にしていた長物を――刀を突然振り回して、周囲にいた通行人達を次々に斬りつけた事件。

百年ほど前に短い期間にも関わらず三度も政変があったことで、それに関係する人斬りが日夜横行した物騒な時期があったことから、今では都で大きな刀を持つ者はその旨をその所有する刀と共に役所に届け出なければならない。だがそれは刀を持ち歩くことまでは禁止されてはいない。

刀を所持するこは周囲に対する暗に身分を提示することであり、かつては帯刀を許されることによって身分の高さなどを示した貴族など上流階級者などでは、今もその風習を捨てきれずにいる者達などがそれらの進言をことごとく拒否しているのであった。

『あの時に使われた刀を打った刀工と、この脇差しを打った刀工は同じ者なのだよ』

ぱちん、と漆塗りの鞘に鋭く輝く刀身を納め、それを手の中であらゆる角度から眺める老人。その目、その声にはやり切れなさが宿っていた。

『源永をはじめ、周りの者達もわたし自身も、事件はまったく別のものだと言って出展を勧めたのだが、当の刀工の者が頑なに拒んでな。結局これは人目に触れることを避けてここにいるのだ。刀には何の罪もなかろうに……。余程の衝撃だったのだろう』

ああ、と翠子は暗闇の中で一人ごちた。

自分がこれからすべきことは間違いなく彼を傷つけることなのだろうと、今更に気付いたのである。

ネコとは言え、生きている者には変わりない。その生きた者を彼の刀で殺そうと言うのだ。

彼は刀を貸してくれると言った。けれど、それには殺さずと、条件付きで。

手にした刀が急にその重量を重くしたように感じられた。まるで彼女の心の中でせめぎ合う二つの相容れない想いを表したように。

静紗の刀で殺してあげればシロは痛みの呪縛から解き放たれる。

けれどシロをこの刀で殺せば彼が傷ついてしまう。

時は待たない。待ってはくれない。

刻一刻と時間は過ぎる。

どちらか一つを選ぶしかないのだ。どちらか一つしか選べないのだ。

静紗を傷つけてまでシロを殺す?

それとも彼を傷つけないために痛みにのたうち回るシロを見ているだけ?

殺し。その行為そのものにさえ疑問を覚え出す。迷いがいくつも重なる。

苦しい、息ができないほど苦しい。

胸の奥が痛い。

「そんなの、やだよ。選べないよぉ……っ」

刀を下ろして翠子は泣き出した。手は刀で塞がっていて、その涙を拭うことはできなかった。

――何を迷う。

どちらも選べず焦燥し、苛立つ自分と呼応する何かの存在に翠子はまったく気付かなかった。そして周囲の情景が一変していた事実も。

それがなされた瞬間に我に返った頃にはすでに遅かったのである。

瞬き一つの時間。

わずかだが手の中の刀が熱を帯び、小さく鍔を鳴らした気がした。



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