第3話 刀に魅入られた娘
「単刀直入に言うけど、刀を売って欲しいの」
そんな理由から刀を打っていたつもりのない彼にとって、当たり前にその件を受けることはできなかった。
「人殺しのために刀を造っているわけじゃない。勿論売るのもごめんだ」
御破談だとばかりに席を立とうとした静紗に、翠子は彼の弁の間違いを訂正することでこの部屋に引き留める。
「人殺しじゃないもん。動物殺しだもん」
不機嫌さを露わにした青年に、憮然さをありありと示す少女。
翠子の発言に、論旨がずれたなと自覚しながらも、彼はその疑問の答えを聞かないわけにはいかなかった。はっきり言って気になった。
静紗は件のシロなる者が人だと思っていたのである。まぁ、多少引っかかるところもあったが、シロと言うのがあだ名か何かでともかく生きている者には違いないだろうと思い、どちらにしろ生きている者を殺そうとするために刀を打っているわけではないので、それを突っぱねるのだが。
「はぁ?動物?」
自分らしくもない素っ頓狂な声を上げてしまったな、と彼は心の中で思った。
「おうとも。あたしの愛しのペットさ」
『愛し』に強いアクセントを置きながら、何がそんなに彼女を偉そうにさせるのか全くわからずにいる静紗である。
「シロって名前でね、ちょーっと大きめの体が枕にちょうど良い大きさでね、毛がフワフワのフサフサで、もー最高なの」
うっとりと自分の記憶に陶酔している翠子に、雲行きが怪しくなってきたことを禁じ得ない刀鍛冶屋。
白い毛並みの長毛種のイヌか、と一人ごちて卓の反対側に座る少女を見た。
「……そのイヌを殺そうとする理由がまったくわからないな」
髪の毛をかきむしりながらボソリとこぼした彼に、翠子は自分の世界から帰還を果たしてから言った。
「シロはワンコじゃないわよ。ニャンコさんよ」
静紗がずるっと脱力する。顔を引きつらせて、真面目な顔をしてこちらを見つめている翠子に一般論を語ってみる。
「普通、シロって名前は毛並みの白いイヌに付けるものじゃないのか?」
「うちのシロさんは真っ黒なニャンコさんよ。墨でも被ったんじゃないかってくらい、真っ黒けっけ」
「いや、だから一般的に」
この相手に一般論を語るのは非常に困難なことなのかも知れない、と咄嗟に思ってしまった彼に何の罪があろうか。
そんな静紗の心理などお構いなしに、視線を彼から斜め上に動かして、「へんっ」と鼻を鳴らしてから、自分のネーミングセンスについて少し補足などをしてみた翠子だった。
「人間って時たま人と違うことしたくなるよねぇー。思いっ切り反抗してみたりさぁ」
それが黒ネコに、白い毛並みのイヌにこそ付ける代名詞をあえて付けてみた理由だったりする。
では白いイヌを飼った場合、彼女はクロと名付けるのだろうか。そう考えて彼は頭を捻った。
自分――一般人の代表として――が、シロの名前とイヌを結びつけたがる理由は、名前がシロであるだけであって、それだからこそこの少女が黒猫にシロと名付けたことを変だと考えるわけである。けれどその逆――白犬にクロと名付けるにあたっては、それらとはまったく関係がないように思われる。だとすればそこには単なる変わったネーミングセンスがあるだけなのだから、こちらが口出しするいわれは皆無になってしまうから……。
そんなことをあれこれ考えること数秒。
存外に経過していない時間とは裏腹に、彼の頭の中ではくだらないと言われればそれまでの、単に気になったそれに対する試行錯誤が素晴らしい速さで一人議論されていたのだった。
急に黙りこんだ相手に翠子はその様子をうかがいながら尋ねる。
「ね、何、煮詰まってるの?」
「え……?あ、ごめん。少し考えることがあって」
はっとして我に返った静紗である。
それを見て翠子は目を瞑ってふぅと息を吐き出した。それから目を開けて、視線は卓に下ろして静紗を見つめることなく静かに語り始めた。
「これから言うことは独り言。だから聞き流しても構わないわ」
前置きが示すことを鋭く察して静紗が整った眉宇をひそめた。そこにはあからさまな不快感があった。
「独り言を他人に聞かせてどうする」
その真意はとうに知れていたにもかかわらず、彼はそれを問う。
声音にも不機嫌さを匂わせた彼に翠子は一度だけくすりと、人目にも艶やかな仕草で笑って見せた。
「同情を誘うため……と」
「と?」
捨ててはおけない言葉を聞いたはずだったが、彼にはその先に続く言葉が更に気になっていた。
「愚痴につき合ってもらいたいだけ」
顔を上げてにこり、と彼女は顔に満面の笑みを浮かべた。
何かを含んだ底知れない笑みではなく、いやに明るすぎる笑みだった。それに気付いた……気付いてしまった静紗はそこに隠れた寂しさの理由が気になり、結局彼女の話を聞かずにはいられなかったのである。
カラスと黒猫は古くから縁起の悪いものとされる。
この国では、いつ頃からか、そういう言い伝えが幼い子供にも良く言われることだった。
それは古い昔から、何の根拠もなく語り継がれる迷信だと彼は思うものの、そうとすっぱり割り切れない思いというものが心のどこかに存在していた。
晴天の空を我が物顔で飛ぶ漆黒の鳥は、たった一瞬でもその姿を見とめてしまえば、空の青さに魅入った清々しさは彼方に消え去り、微妙な不快感をそこに埋めこむ。長年の根底にあるイメージは、そうではないと思っていても易々にはなくならないものである。
「元々、結構な歳だったの。年齢はあたしと大差ないみたいで十七、八。あたしが小さい時に拾ってきた野良だから、詳しい歳はわからないけど多分それくらいだって獣医さんは言ってた」
犬猫で十年も生きれば彼らの世界では十分な長寿だろう。それの二倍ならばそれは大往生。元が野良猫であったのを思えば随分幸せな生涯を生きたネコに違いないと彼は思った。
「天寿なのでは?」
ふるふると首を振った。息を深く吸いこんでから唇を引き結ぶ。数瞬の沈黙の後に口を開いた。
「違うの。まぁ、少なくともあたしの前ではずっと元気だったし、ちゃんとネズミも追っかけて、イヌから逃げもした。縄張り争いで余所のネコともケンカした。獣医さんだって、『この歳で信じられないほど元気なネコだ』って言ってた。獣医さんの言ったとおり歳の割にも元気で、今まで怪我も病気もろくにしなかった。もうヨボヨボのおじいちゃんのくせに、眼だって正常だし、自分の足で飛んだり跳ねたりしてた」
なのに。
黒猫が前を横切ると縁起が悪い。
偶然だったのだとシロの主に部屋を貸す家主である女性は言った。
まるで人の言葉でも解するように利口な黒猫は、たった一人で店を切り盛りする糸紡ぎで機織部でもあった彼女の籠から落ちた糸玉を、ネコ故の習性か、それを追って道を横切ってしまい、その時にシロはある者達の前を横切ってしまったのだった。
「貴族様の乗った馬車だったんだって」
薄い微笑みの後に歯軋りをする音が聞こえたような気がした。
長くもあり短くもある不思議な時間が横たわる。重苦しさとは対照的に、稀薄な何かがそこにはかすかに漂っている。
「馬車を横切った後は……?」
興味本位の残酷な問いかけだと、それを口にしてから静紗は深く後悔した。
それを容易く感じ取った翠子は少しだけ唇を噛んでから、明るく話すことに務めた。そうでもしなければ、すぐにでもこの仮面は剥がれ落ちてしまうと思ったから。しかし自分ではもう少しは……せめて目的の物を得るまではと堪えた堰は、彼女が想像しているよりも遙かに脆かったのである。
「あたしね、ちょうどシロのご飯を買いに行っててね、その場にはいなかったんだ。ほらさぁ、よく考えてよ。普通居合わせてたらさ、助けるなり何なり……」
言い終わる前に翠子の視界は揺らいでいた。水の中にでもいるかのように定まらない視界に、そのあたりに熱を感じた。
熱い……、と感じた時にはすでに両目から涙が溢れ、次々にその跡を頬に刻んでいた。
翠子の間借りしている宿の主は、自分が糸玉を落としたことに気付かず、その場を離れようとしてそれを聞いたのだという。
何人ものざわめき声。馬のいななき。
それらのすぐ後に、周囲の音にかき消されつつも聞こえたネコの声。それに彼女は振り返り、そして自分の足元を、構って欲しそうにまとわりついてきた黒猫の姿が消えていることに気付いた。
異変を察して人垣をかき分けた彼女が見たのは、御者席から降りてきた男が地面に横たわるネコに唾を吐きかけ、同じく馬車から降りてき杖をついた主人の機嫌取りをしている様子だった。その先のことを彼女は知らない。彼女は翠子を呼びに自宅に走ったのだから。
翠子は始めシロが馬車に掠めでもして、そうなったのかと思ったが、その場に居合わせて見物していた者達は誰もが首を振って否定した。彼らの見た限りでは、シロは馬車を掠めることなどなく、かなりの余裕をもってその馬車の前を、糸玉を追って横切ったのだと言う。
利口なネコだったから、距離を見定めるくらいのことはシロにはわけない。
その時彼女はそう思った。
「シロは、何もしてない、のにっ。その人達、シロが黒猫で、自分達の前をよ、横切ったからって、縁起が悪いって、シロをっ……シロをっ!」
杖をついた貴族らしい身なりの男は御者の男に進路を横切った黒猫を痛めつけるように命じ、御者の男はそれに素直に従ったのだという。
翠子は邪魔で仕方ない涙を服の袖で何度も拭った。この涙は悔しさの涙だった。
人垣がまばらになった頃になって翠子は家主の女性を伴ってその場に到着した。肩で息をする彼女の前には、道の反対側にこちらに背を向けてぐったりと横たわるシロがいた。
その後ろ姿は一歩一歩近寄る度に、愛猫に起こった変事を教えてくれた。
不自然に曲がった背骨。
へこんだ脇腹。
少し離れた場所からでも聞こえる、「ヒュウー、ヒュウー」と言う奇怪な息遣い。
呆然と見下ろす彼女に気付いて、シロは苦しいだろうに首を巡らせてニャアと一声啼いた。
くりくりとした綺麗な黒い目で自分を待っていたのだと語りかけるシロ。
独りぼっちの家で父や母の代わりにずっと側にいてくれたのはシロだけだった。
「そのシロをきみは殺すという。その理由が今一つぼくは理解できないよ」
ふわりと包まれた温もりに驚いた翠子は、自分を優しく抱きとめてくれる人を見つめた。
立ち上がり、卓をまわった静紗は彼女が知らずに握り締めていたハンカチをとると、それで涙を拭ってやった。
「きみの話を繋ぎ合わせると少なくともシロは存命していることになる。なのにきみはシロを殺すという。それは変だと思うのが普通だろう?」
未だこぼれ落ちる涙を拭ってやると、その小さな背中を何度もさすって落ち着かせてやる。
何度かさすってやると、翠子の方からそれを不要とする意思表示があり、彼はそれをやめた。けれどその腕の中から彼女を放すことはしなかった。
胸の奥には可哀想に思う気持ちと本人にも不可解な、しかし前者とは確実に違うと言い切れる別の気持ちが揺らいでいた。
翠子は狭まった距離に無理に声を大きくすることなく喋れることにほっとした。泣いているために自然と上擦る声では話しづらいことは頭で理解していても、それをどうこうできるほど器用ではなかった。
「獣医に連れて行って診てもらって、……手の施しようがないって言われたの。それでも痛みだけは和らげさせることができるって、薬をもらってね、四時間に一回あげないと駄目だって言われたけど、ちゃんと約束を守って飲ませたよ」
静紗の服に顔を押しあてながらくぐもった声で翠子は話す。静紗はそれを黙って聞くだけだった。
四時間に一度の投薬。
恐らく、彼女はろくに睡眠を取っていないのだろう。否、飼い猫に対するこの執着ぶりを見れば、睡眠を取ることさえ忘れて看病していたかも知れない。
「でもね、二日も保たなかった。今は薬をあげても一時間も保たないの。すぐにね、苦しいって啼くの。そのうちにね、体はボロボロなのに暴れ出して」
薬を飲ませても痛みから逃れられるのはほんのわずかな時間だけ。すぐに痛みにのたうち回る。
彼女はそんなシロを寝床に押さえつけて、暴れてこれ以上傷が広がらないようにするしかなかった。
ほんの少し思い出しただけで止まりかけた涙が溢れ出す。何とかこれだけはと思ってた嗚咽すら、漏れてしまう。
「だ、から、あたし、は……っ、シロが痛みでく、狂う前にあたしのこの、手で殺して、あげないといけないのっ!」
あの苦しみから解き放ってあげるにはそれしかないと。他でもない自分自身の手で。
「だから、お願いっ。貴方の、刀を譲って!」
静紗を見上げる。
この時になって彼は翠子の目が赤かった理由に突き当たった。
「刀を譲って下さいっ!」
貴方の打つ刀が魔刀と呼ばれる傍ら破邪の一振りと呼ばれるのなら、シロの中に宿る痛みという魔を打ち払って欲しい。これ以上、シロを苦しめないで欲しい。
少女の心の底からの叫びに、彼はしばしの間、彼女を見つめて沈黙するだけだった。
こぼれ落ちた涙の跡が乾き、その筋の残るあたりにかさつきを覚える頃。
彼女を優しく抱きとめる刀工は翠子の耳元で小さな声で言った。
「きみの事情はわかった。……けれど先にも言った通り、僕は生きる者の命を奪うための刀を打っているわけじゃない。それだけははっきりさせておく」
「……」
声が出なかった。力無く頭が俯く。
当然予想していたことだったが、落胆を隠せなかったことも真実。こちらの融通でどうにかなる問題ではないと頭では理解していた。けれどそれが是だと告げられる衝撃は予想を遙かに超えていたのだ。
拒絶に翠子は落胆と自身の不甲斐なさを痛感した。乾いた頬にまた一筋の涙の線ができた。
「――とは言え、僕も簡単に突っぱねられるほど何も感じないわけでもない」
静紗の言葉に弾かれるように顔を上げ、相手の顔をのぞきこんだ。
「一つ、条件がある。その条件を守るのなら、刀を一振り、きみに譲ろう」
「条件を守る……?」
刀を得るのにいったい何の条件があるのか。翠子にはさっぱりわからなかった。
「約束、と言った方が正しいかな。詳しいことは工房でしよう。僕についてくるといい」
そう言うなり、刀工の青年は手灯籠を持って廊下に出てしまった。翠子も慌ててその後を追う。
廊下は変わらずひんやりとした冷気が漂い、外も変わらず、嵐のようだった。




