◇夜会
細かい敬語は気にしないでください。お願いします。
図書館ではあれ以上情報は見つからないと判断したので、翌日からは王都の観光をし始めていた。
ぶっちゃけ暇なのだ。娯楽の少ないこの世界では読書は貴重な暇潰しの手段だが、王立図書館にある本は大体が読んだことが物だった。もっとも読書を暇潰しだと考えているのは俺だけだろう。この世界全体で見ても識字率はかなり低い。農民、平民では読み書きできる人間はかなり少ないし、貴族でも文盲が割といる。読み書きができると言うだけで就職は有利になるし、平民でも下級官僚ぐらいなら成れる。
だったら勉強すればいいじゃないかと疑問に思うかも知れないが、勉強するのが大変なのだ。まず第一に紙がかなり高いこと、製紙技術がかなり遅れているアイカシアでは羊皮紙と、東から入ってくる和紙のような物しかなく、羊皮紙は文字の練習に使うには躊躇われる値段だし、和紙に至っては薄い紙の束でも家が一軒立つ価格だ。
第二に時間がないと言うことも挙げられる。この世界では十四歳が成人だが、八歳を過ぎたころから親の仕事を手伝い始めるのだ。
話しが反れたが結局、この時代に読み書きできると言うことは、家に余裕があるか、立身出世を目指している人物に限られる。故に純粋な娯楽小説はかなり少ないし、質も良くない。
でも人間本当に暇だと学問に打ち込んでしまうものだ。結果として俺は特に何かを目指していた訳ではないが、大陸中から本を買いあさり日々本に埋もれて過ごしていた。たぶんアルベル家じゃ無かったら破産する額だ。まったく父上様様である。
閑話休題。
と言う訳で読む本があまり無く、せっかく王都に来ているので観光をしている。ちなみに家族は皆多忙なので一昨日のように家族が揃い事は滅多にない。
水上をアリカを含め数人の護衛と供にゴンドラで移動し、向かうのは骨董市だ。
明後日のパーティーの贈り物は既に父上が用意している様なので、特にどうこうする訳ではないが、個人的に贈りたい物が見つかれば買ってもいいとの事だ。そのための軍資金も結構な額を貰っている。
骨董市は王都の南西にあるそれなりに大きい広場で開かれており、全国から集められた珍しい物で溢れているらしい。
区画に着くと、思わず酔いそうになるくらいの人混みが。
「賑わってるな」
「ええ、王都でも一二を争う人気のある市ですから」
口から出た言葉に、生まれも育ちも王都らしい付き人の一人が嬉しそうに答える。何か犬みたいな奴だ。
犬に導かれて露店を巡る。俺達が近づく度に半径四メートル程が空白になるが、廻り易いので気にしない事にする。
大体が明らかに贋作な物や、興味が惹かれない物だったので、正直期待外れだったかなと思い始めた時、明らかに気色の違う雰囲気が漂う店を発見する。
目深に被ったフードを着た店主は浅黒い肌をしていた。
俺達がその店の前に立つと、店主は顔を上げ琥珀色の瞳で俺を見据え、
「いらっしゃい」
と、異国的な訛りのある声で挨拶する。おそらくはマケドニアの人間だろう。
並べられた品物はどれも珍しい天華国の物だった。実は凄い優秀何だろうか?
疑問に思って尋ねると、何でも天華国とアイカシアを往復しながら行商をしているようだ。
店主に一品一品丁寧に紹介してもらっていると、アリカの視線が一点に集中している。魅入られているようだ。
アリカの視線の先に在るものを見ると、それは刃渡りが一メートル以上ある、美しい輝きを放つ反った刀で、巨大な包丁のようだ。
店主にそれの説明を求めると、天華国で仕入れた品で、天華国より更に東の国の物らしい。値段を聞くと高かったが買えくはなかったので買うことに。
「じゃあ、これを。後、これとこれも頼む」
「合計金貨百五十枚になります」
付き人の一人に代金を払わせると、店主はほくほく顔になる。包丁は重過ぎて売れずに困っていたらしい。おまけに硝子の玉を貰った。
犬がとても物欲しそうな目で見ていたので硝子の玉はやる事に。尻尾を振りながら喜び、家宝にするとまで言われた。ちょっと引く。
アリカを近くに呼び寄せると期待した顔をする。
「アリカにはいつも世話になってるからな」
「ありがとうございます。ジュリア様」
包丁を渡すとアリカは軽々と受け取り、殆ど見ることのできない年相応のわくわくした、遠足前の子供の様な顔をする。ちなみにアリカは高度な技術である身体強化が使えるので重い包丁が持てるのだった。
そして、アリカの吐息が感じられる程に近づき、白い華が描かれた紅く独特な光沢を放つ髪飾り――簪でアリカの淡い金髪を飾り付ける。
「後、これも」
「あっ……ありがとうございます……」
僅かに頬を染めるアリカに嬉しくなる。昔だったら絶対に受け取らなかっただろうな。だんだんとアリカとの関係が良くなっているから嬉しい。
その後、機嫌の良い犬に連れられてぶらぶらしたがめぼしい物はなかった。
時間は流れて翌日の夕刻。空が茜色に焼けた頃。
貴族街の中でも一際立派な屋敷の中に夜会が始まる。本来ならもう少し遅い時間に始まるのだが、名目は誕生パーティーなので仕方ない。勿論それも理由の一つではあるのだが、もっと政治的な理由がある。一言で言えば派閥をより強固にするための会合だ。
多少この国の政治に明るい者ならわかる事だが、アイカシアは二つ――正確に言えば三つ――の勢力に分裂している。まあこれは大国になればある程度は仕方のない事だ。
一つはメディル公爵家、アルベル辺境伯家を中心としたシャルロッテ王女を次期国王に推す王女派。
もう一つは現王妃と宰相を中心に、齢三歳のアストリア王子を次期国王に推す王子派。現王妃はシャルロッテ王女の継母に当たる人物で、王に毒を盛ったと噂され、宮中の権力を掌握している。また、王子も床に臥している王との子でなく宰相との子だとされているが、これは噂の域をでない。後一つはどちらにもまだついていない日和見派だ。
王妃と宰相の仲がどうであれ、実際問題この政争に敗れる訳にはいかず、もし、敗れてしまえばいずれ家は没落してしまうだろう。
だから政争に敗れないように、大人の利害関係だけでなく、派閥の未来の担い手の関係を構築するためにも今夜のパーティーは利用されていると言うことだ。
つまり俺は本当のところは兄上の名代として夜会に参加することよりも、公爵家の長男であるアルフレッド様を中心とした子供達の会合で良好な関係を気づく事が求められていたのだった。ちなみに三男である俺が選ばれたのも他の兄弟が忙しい事と、一番この会合に適した年齢だからだろう。
夜会は通常爵位の低い人間から入場するので、この会合で公爵家の次に身分の高いアルベル家はしばらくしてから入場することになるから、現在は待合室で時間を待っている。
「ジュリア。夜会は初めてだろうから落ち着いて臨みなさい。」
紳士服を着た父上に声をかけられる。
「はい。父上」
「ジュリアなら大丈夫よ。普段通りに振る舞いなさい」
黒いドレスを着た母上はとても四十近くには見えず、豊かな黒髪が印象的で若々しい。
「そういえばジュリア、何か贈り物は見つかったかい?」
「ええ、昨日の市で天華国の興味深い物を見つけました」
「そうかそれは良かった。喜んでもらえるといいな」
父上は父上でアルベル家からメディル家に祝いの品を贈っているので、俺の贈り物が気に入られようと入られまいがあまり関係ない。けれど折角買った物だから気に入ってもらえると嬉しいものだ。
父上との会話の内に時間がきたらしく、公爵家の使用人が呼びにきた。
使用人に案内され、会場の中に入ると既に大勢の人間が。俺と同じくらいの年齢の子どもも結構な数がいる。
俺達が入場したのを確認して、メディル公爵が壇上に現れる。
「本日は娘の為にお越しいただき感謝す
る。挨拶はこれぐらいして、今日と言う日を楽しんでくれ。乾杯!」
メディル公爵の口上が終わると、会場が賑やかになる。
最初に公爵に挨拶に行く。公爵夫妻の隣にはカトレア嬢とアイリス嬢、それとアルフレッド様と思われる人物が居る。
「公爵閣下、ご機嫌麗しゅうございます。私はアルベル辺境伯エルリックの名代のジュリアと申します。本日はお招きいただき誠にありがとうございます」
「こちらこそ、わざわざ遠路遥々娘の為に訪れて下さり感謝する。アルフレッド、カトレア、アイリス。お前達もジュリア殿に挨拶しなさい」
メディル公爵に促され、俺より少し年上の貴公子然とした少年が前にでる。
「私はアルフレッドだ。宜しく頼む」
差し出された手を握り返し、握手を交わす。
言葉に力強さを感じる。生まれもって人の上に立つ資質とはこういう物だろう。
「私はカトレアと申しますの。宜しくお願いしますわ」
「私はアイリスと申します」
深紅のドレスを着たカトレア嬢は全体的に高飛車な印象を感じ、実年齢よりも高めに大人びて見えた。対するアイリス嬢はカトレア嬢よりもおっとりした印象だ。二人とも明るい茶色の髪をしていて、目鼻立ちが整った美少女だった。
「こちらこそ宜しくお願いします。本日はお二人に贈り物がありまして」
「あら、何ですの?」
「こちらです」
待機していた侍従から手の平に乗る大きさの筒を二つ受け取り、二人に渡す。
「これは天華国の品物でして、筒の中を覗くと美しい星が見える、万華鏡という物です」
「星が見えるのですか?」
そう言って二人は片目をつぶり万華鏡の中を覗き込む。
「まあっ!」
「綺麗です……」
感嘆した二人を見てほっとする。気に入ってもらって良かった。
「ありがとうございます。ジュリア様」
「お気に召したようで何よりです」
「ジュリア殿、二人も喜んでいるよ、ありがとう」
メディル公爵がそう言うと、父上が目配せしてくる。子供の時間は終わりのようだ。