商人と奴隷
十四歳まで後二日に迫った今日も夜を迎え、商人との約束の時がきた。
「御機嫌麗しゅうごさいます、ジュリアス様。毎度の事ながら御贔屓いただき感激の極みでございます」
「堅苦しいのはよせ。楽にしていい」
「ではお言葉に甘えて」
屋敷の一室で商人――ザックは口上をすると、一礼し指を鳴らす。するとザックの奴隷がこの密談用の部屋に商品を運び込み始める。それほど広くない部屋であるので少々手狭に感じる。
商品の中で一際大きな物が一つ。人一人が悠々入れる大きさだろうか。黒い布に包まれたそれを運ぶ奴隷達も大変そうだ。今回は随分と気合いが入っているようである。
「なあ、あれは何だと思う。アリカ?」
「想像し難いですが、美術品――彫刻の類いではないでしょうか」
側にはいつもと変わらず控えるアリカが。この部屋には、荷を運び終えたザックの奴隷が殆ど退出して見栄えする女奴隷が一人だけ残ったので俺含め四人居る。
では早速、とザックが奴隷に荷を取らせた所から商談は始まった。
「こちらはですね、天華国の更に東、白洛に伝わると言う物語を集めた物だそうです。生憎私は白洛の文字を読めないので確かめてはいませんが、信用できる商人から手に入れた物ですので品は確かです。ジュリアス様は白洛の物語はまだお知りになられていないようなので、いかがかなと思い手に入れた次第です」
そう言われ、渡された物は質のいい黒革で飾られた本だ。中を見てみると確かに白洛の文字が見える。
「確かに本物の様だな」
俺が金と権力を使い世界中から集めている物の一つに“本”がある。娯楽の少ないこの世界では貴重な暇潰しの道具だ。それに本にはその国の文化や国力が表れるので情報収集の一貫でもあるのだった。
「うむ、なかなかに良い品だ」
「お気に召されたようで何よりでございます」
ザックは慇懃な態度を取りながら、今回仕入れてきた他の本の紹介をしていく。内容は特に定まっておらず、俺が探していた物やアイカシアでは手に入らないものを中心に仕入れてきたようだ。
十数冊あったが俺所有の物と一つも被りが無かった。今回は運が良かった。下手すると全部持ってた何て事もあるからな。
では、と掴めない笑顔でザックは続ける。
「続いての品なのですが、こちらも天華国の物でございまして、四代程の前の天守様が愛妾に賜れただけある質の良い髪飾りでございます」
「簪か」
「流石ジュリアス様、博識でいらっしゃっいます」
一々笑顔がわざとらしい。
手の平大の細長い木に漆が塗装されており、詳しい名前はわからないが紅い花弁をつける花が描かれている。
そして耳かきの部分には魔力を帯びた青い宝石が付けられている。
「青薔薇水晶がついているのか」
「はい、その通りです。ジュリアス様が相手ですと、セールストークができなくて困りますよ」
ザックは全然困ってなさそうな笑みを浮かべる。本当にさっきから笑ってばっかりだな。
青薔薇水晶は水晶なだけあって魔よけの効果のあり、特に精神の平定を保つことに優れた人工護石だ。
天然の魔力を帯びた水晶に魔導士が定められた生み出されるのだが、既に製法が失われている。
「何と言うものか、今回は随分と気合いが入っているようだな。ザック」
「ええ、ジュリアス様もこの度成人を迎えられ、今後とも良いお付き合いをさせていただきたく存じております私は、全力を尽くした次第でありますから」
相変わらず真意の読めない表情をするザック。アリカとはタイプが違うが優秀であることは間違いないから困るな。
「あまり期待してもらっても困るのだが……」
成人を迎え、恐らく領地と男爵位か子爵位のどちらかを分けられると思うが所詮その程度だ。力があるのはあくまでもアルベル候爵なのだから。それに今後の事を考えると、今までは病弱だった事でかなり甘やかされていたが、これからはそうもいかないだろう。エルリック兄様はそう甘い人ではない。
「いえ、私は貴方様と良い関係でありたいと思っているだけですよ。ジュリアス様」
「買い被りだな。俺はただの道楽貴族だよ」
アルベル候爵家が目的ではない事は明白だが、わからないな。
「なぜそこまで?」
俺に期待する。
「ただの勘ですよ。ジュリアス様についていれば絶対に損はしないというね」
「…………?」
返答しかねていると、今までは商談の邪魔にならないように限りなく消されていたアリカの気配が揺れている事に気づく。
不審に思ってアリカを振り向くと、アリカにしては感情を露にしている。一般的に見れば無表情なんだが。
どうしたんだ? とアリカの瞳を覗き込むがアリカはこちらを気づく様子がない。
「アリカ?」
「…………!? 何でもございません」
アリカのザックを見る目は警戒しているようで心を許しているような微妙な色をしている。
なんだがな。と思いながら簪の存在を思いだす。ちょうどいい、と。
「アリカ少しじっとしてて」
「……」
簪を片手にアリカの髪を掬い上げる。さらさらとした髪は細く、照明が暗くても光輝いて美しかった。
こんな感じか、と留めてみる。女官がしてるようにはいかなかったが、元がいいからよく似合っている。金に黒がよく映えていた。
なんとなくアリカの髪が名残惜しくてしばらく頭をなでいると、アリカの少し困った視線を感じたので手を離す。
横目ではザックが思案顔をしていた。
「似合ってる」
「ありがとうございます」
慇懃な態度だが俺にはわかる。微妙に視線が合わなくて、注視して見なければわからないが、頬が僅かに朱く染まっている。
照れてる。
「アリカ、似合ってるぞ」
「……!」
何て言うか、基本俺の側に控えてあまりそう言うことに耐性がないからな。アリカは。
が、ちょっと楽しくなってきた所で、ザックがわざとらしく咳をしる。
「続けても」
どうぞ。アリカを見てもすっかり元通りに。
その後商談を続けていると、不意に運命の出会いが訪れる。
あまり運命と言う言葉は好きではないけれど、今回だけは信じてもいい。出逢わなければ、朽ち果てるだけの人生だった。
「こちらはアルバロンに住む島森の民の霊薬でございます」
差し出された銀の器に入れられた黒い液体は、かつて見た“チョコレートの歴史”にある物そのままだった。
「なんでもこちらはですね、万病を癒す薬でありながら、強壮効果も期待できると言うものでして、こちらの品を森の民から手に入れるのは大変苦労致しました。味の保証は致しかねませんが、効果の程は確かです」
銀の器に口を付け、一口飲む。
「苦いな」
だけど懐かしい味だった。甘味が感じられないビターチョコ。甘い甘いチョコが欲しい。
「これはアルバロン島に自生しているのか?」
ザックは俺の質問を好意的に解釈したようで、
「はい、詳しい事はわかりませんが、交渉に当たった森の民は、カオカの実は森の恵み、だと言っておりましたのでそうなのでしょう」
「そうか……」
「お気に召されたようでなりよりでございます」
喰えない笑顔を浮かべるザックの顔はどこぞの俳優だよと思える程嘘臭いが、今はその笑顔さえ、労いたいぐらいだ。
「欲しいな……」
意識することなく出た言葉に、何故人間がどこまでも欲深かくなれるのか、権力を追い求めるのかを理解してしまった。
「そうございますか。では次も――」
「その必要はない。俺はね、本当に欲しい物は自分で手に入れる性だからね……、わざわざ交渉にいく必要はないよ」
言葉を遮られたザックは、急に欲に塗れただろう俺の瞳を見て、引き攣った顔をしている。アリカを主の知られざる姿を見て驚いているようだ。
冷めているようで熱に浮されたこの何とも言えない気持ちは、まるで恋のようだった。想えば想うほど、相手が欲しくなるこの気持ち。
「とっておきがあるんだろう?」
ザックに問えば、思い出したように笑顔を取り繕って、お気に召されますよ、と言う。
今まで贈られた品とそれの大きさから考えれば、想像はついていた。
「布を」
ザックが奴隷に命令し、布を取らせ、現れたのは、世にも珍しい者だった。
処女雪の如き肌に、どんな夜よりも暗き長い髪。そして金色に輝く瞳は満月のようだ。天華の国の紅い着物が良く似合う、人形のような少女だった。
別に驚く事ではない。権力者に献上されると言うのは古今東西問わず良くあることだ。
それに今更どうこうするほど擦れていない訳ではないことだし。
それにしても聖眼持ちの少女、しかも美しい、を一介の三男坊に献上するとは、こいつ実は馬鹿なんじゃないかと思う。
したり顔のザックを無視して、少女に問う。
『俺はジュリアス。君の名は?』
天華の言葉で話しかけるが通じていないようだ。もしやと思い白洛の言葉で話しかける。
今まで虚空を見つめていた少女が僅かに反応するが、質問の意味がわからないと言う風に首を傾げる。
『名前だ』
『名前……?』
相も変わらず少女はぽやんぽやんしている。
『わからないのか? まあいい』
どんな夜よりも美しく深い夜。自分でも安易だと思うがこう決めた。
『本当の君の名前が何であろうと、君はここでは美夜だ』
『みや?』
『そう、みやだ。他の何者でもない、ね』
少女は理解しているのか怪しいが、みやみや、譫言のように反芻していた。
「流石でございます。白洛の言葉を解しなされるとは」
「そういうことはいい。今回はかなり有意義だったよ。アリカ袋を」
アリカに金貨の入った袋を取らせると、その中から白金貨を三枚取りザックに渡す。
「ありがたき幸せでございます」
一介の行商に渡すには過ぎた金額だ。下級貴族の屋敷ぐらいなら建つ。諸経費を差し引いても充分な額になるだろう。
ザックが帰った後。
「どこまでついてきてくれる?」
とアリカに聞けば、当然のように、
「墓場まで御一緒いたします」と。
さもあれ運命の歯車は動きだす。
秘めたる野望を胸に。