◆少女
とりあえず商人をササの街の憲兵に突き出し、山賊の処理を任せた後、魔眼の少女を引き取る手続きをした。名目上、違法な奴隷は解放しなければならないのだが、この少女の存在は極めて危険なのでアルベル家が身元を預かる事にする、と言えば問題なかった。権力とは使うものだ。まあ実際あまり守られていない法律なので憲兵も特に気にはしなかったのだが。
そんなこんなで少女を引き取った後、予約していたササの街で一番ランクの高い宿に入る。
最初に薄汚れた少女をアリカに風呂に入れさせる。風呂があったのは僥倖と言うべきか。この時代は大抵庶民は街に一つはある共同浴場に入り、貴族は自宅にある浴場に入るのだった。
アリカと少女が風呂に入っている間、俺は部屋の一室で刺繍をしていた。
白を基調とした清潔感溢れる部屋はなかなか広く、キングサイズのベッドはふかふかとしていて気持ちが良い。
今刺繍をしている理由は、およそ俺の五十倍の魔力を持つ少女は今直ぐにではないだろうが、魔力が抑え切れずに暴走す事がほぼ確実なので、少女の魔力を制御するための眼帯を作る為だ。
黒い眼帯の裏地に魔力を纏わせた銀糸で魔力を制御を補助する魔法陣を形作っていく。ついでに言えば、銀は魔力との親和性が良く、よくアミュレットなどの魔導具に使われる金属だったりする。
魔力を操作しながら眼帯の裏から表に糸を通し一定の間隔を空けて今度は表から裏に糸を通す。
それなりに難易度の高いこの動作は今では手慣れたもので、手早くかつ精確に行う事ができるようになった。昔は魔力の制御練習の為によく護符とかを作っていたなぁと、懐かしく思う。
魔法陣の完成にはたいして時間がかからなかった。
アリカ達が風呂から上がるにはまだ時間がかかるだろうし、眼帯の表面に何の模様もないのは少し寂しい。まだ何か刺繍をしよう。
どうせなら凝ったものが良いかなぁと考えていると、前に一度刺繍の先生が教えてくれた刺繍を思い出した。
よしそれにしよう。そう決めて必要な糸の色を侍従に用意させる。
ああ、あれは綺麗な真紅の薔薇だったな。あの少女も髪が綺麗になれば、きっと綺麗な赤だろうしちょうどいい。
早速刺繍に取り掛かった。
気がつけば完全に太陽は落ちて、窓の外には黄金色の月が昇っていた。
結構時間がかかったな。手に持った薔薇の刺繍を見て、俺は達成感に包まれながら笑う。
同じ場所を何度か縫う事によって刺繍に立体感を出した真紅の薔薇は、本当にそこに存在するかのような会心のできだ。
長い間集中していたせいか空腹も特に気になっていなかったが、一部集中が途切れれば空腹が気になる。
珍しく俺の側にアリカが控えていなかったようだから、食堂で少女に食事を与えているのだろう。あの少女は見るからに栄養が足りていなかった。
ドアノブに手をかけて扉を開ける。廊下を通り抜け食堂へ向かうと、予想通り食事を取っている少女とアリカが居た。
「アリカはもう食事を取ったのか」
「いいえ、ジュリア様より先に食事を取らせて頂く訳にはいきませんから」
アリカは素面で予想通りの回答をする。何と言うか、融通の効かないとこ有るよな。
先に食べていて良かったのに。とは言わない。昔は普通に先に食べていたのに、ある時から急に融通が効かなくなり、何度か言ったが無駄だったからだ。たぶんアリカに取って譲れない一線なんだろうなと思う。
「そうか、なら給仕に二人分の食事を頼んできてくれ。メニューは軽い物なら何でも良い」
「了解致しました」
アリカはうやうやしく頭を下げて、給仕にメニューを取りに行く。
食堂は夜が遅い為か人がアリカ含め三人しか居ない。
風呂に入りこざっぱりとした少女は慣れない手つきにでゆっくりと食事を取っている。弱った体でも食べれる消化がよく栄養価の高い物だ。
アリカが食事持ってくるにはしばらく時間がかかりそうなので、少女を観察することにする。
アリカが薬品を使い手入れしたであろう髪はまだ少し艶が足りていないが、最初よりはましになっていた。
視線を下げると、骨が浮き出る程痩せこけた小柄な体には無数の傷がついているのが見え、とても痛々しい。
「…………」
俺の視線に気づいたのか少女は金色と翡翠の瞳で見上げる。その表情には怯えと警戒が混じった色が見て取れる。
不躾だったな。金色を見据え、少女を安心される為に優しく微笑む。
「僕の名前はジュリア。君の名前は何て言うのか教えてくれないかな?」
「…………ユグレイン」
数秒の沈黙の後、少女はぽつりと囁くように答える。
「名前を教えてくれてありがとう。ユグレインちゃん。よろしくね」
自分でも虫ずが走るような話し方だが、できる限り安心させる為だ。
「……」
ユグレインはこくっと頷く。
頷いたのを確認すると、刺繍が終わった眼帯と他の制御ようの魔導具の指輪を渡す。
「これは僕からのお近づきの印だよ。ユグレインちゃんはこれをつけないと死んじゃうし、それに……友達もできないよ」
「……友達?」
「そう友達」
「これをつけると友達ができるの?」
あどけない顔には、僅かに希望の色が見える。間違えてはいないはずだが、決定的に何かを間違えた気がする。
「そうだよ。ほら、僕と友達になろうよ。ね?」
自分で誘導しておきながら、恐る恐る眼帯を手に取る少女に、僅かな後悔を覚える。
眼帯の付け方がわからない少女を見て苦笑を浮かべながら、今後の教育計画を頭の中で反芻するのだった。