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消えたもの

作者: T.M
掲載日:2026/05/24

異世界でも恋愛でも恋愛小説でもありません。


十五歳の冬、家と反対方向へ歩いた少女の話です。


父が亡くなって何年も経っていました。


それでも私は、昔住んでいたアパートへ帰れば、消えた何かを取り戻せる気がしていました。


もちろん、そんなことはありませんでした。


これは当時の記憶を元にした物語です。


noteにもayaで投稿しております。

冬は暗くなるのが早かった。


三年生は受験前で部活を引退し始めていて、グラウンドには下級生の声だけが響いていた。


私は校門を出て、家とは逆方向へ歩いた。


本当なら、家は学校から歩いて十分くらいの場所にあった。


でも、その日は帰りたくなかった。


理由なんて、今思えば曖昧だ。


怒られるのが嫌だった。


ただそれだけ。


でも当時の私にとって、それは峠道を歩いてでも逃げたいくらいのことだった。


冬の空気は冷たく、吐く息は白かった。


峠方面へ向かうバス通学の子は少ない。


だから私は、一人だった。


歩きながら、私は昔住んでいた町のことを考えていた。


父と暮らしていた頃のアパート。


近くにあった生協。


そして保育所。


そこへ行きたかった。


何故なのか、自分でもよく分からなかった。


でも、行けば何か戻る気がした。



終点


バスの終点近くには、大きな商業施設があった。


今ならイオンタウンみたいな場所と言えば近いのかもしれない。


蛍光灯が白くて、暖房が効いていて、人が沢山いた。


私はそこで灰色のトレーナーを買った。


安物で、何かプリントが入っていた。


何故買ったのかは分からない。


寒かったからかもしれないし、帰らないつもりだったからかもしれない。


店員は何も聞かなかった。


それが少し安心だった。


その後、私は都心の方へ歩き始めた。


学生鞄を背負ったまま。


今思えばかなり浮いていたはずだけれど、あの辺りは街場だった。


酔っぱらいも、怒鳴る男も、呼び込みもいた。


だから誰も私に構わなかった。


地下道に、小さな飲み屋が並んでいた。


私はそのうちの一軒へ入った。


店にはママが一人しかいなかった。


客はいなかった。


私は何を言ったのだろう。


帰る場所がないとか。


ここに置いてほしいとか。


働かせてほしいとか。


そんなことを言った気がする。


そのうち客が来た。


「何処の子?」


そう聞かれて、ママは笑いながら言った。


「親戚の子」


私は少し安心した。


カラオケを勧められて、私は『五番街のマリーへ』を歌った。


父が好きな歌だった。


テレビを見せてもらえなかった私は、同級生の流行歌をほとんど知らなかった。


アイドルグループの名前も分からなかった。


だから、カラオケ本を見ても歌える曲がそれしかなかった。


その夜、私は初めて人前で歌った。


店が終わると、ママは私を家へ泊めてくれた。


古いアパートだった気がする。


布団へ入ってうとうとしている時、娘さんが帰ってきた。


「何処の子?」


「雇ってって」


「やめなよ」


そんな会話が聞こえた。


私は寝たふりをした。


朝になると、ママは言った。


「帰りなさい」


私はありがとうございましたと頭を下げた。


外へ出ると、電柱に住所が書かれていた。


その時初めて、自分が何処にいるのか分かった。


財布の中には二千円くらいしかなかった。


それでも私は、昔住んでいた町へ行きたかった。


保育所の名前も覚えていた。


卒園アルバムには住所も載っていた時代だった。


だから行けると思っていた。


タクシーに乗り、昔のアパートの住所を言った。


でも運転手は首を傾げた。


「その住所、もうないよ」


再開発しているらしかった。


私は保育所の名前を言った。


でも、その名前も変わっていた。


運転手は無線で誰かに聞いてくれた。


私は窓の外を見ていた。


知らないビルばかりだった。


でも、生協だけは残っていた。


「ここ知ってる」


私は思わず言った。


そこから記憶を辿った。


「ここ真っ直ぐ行って、歩道橋を右」


でも、その先に知っている景色はなかった。


私は急に分からなくなった。


そして言った。


「この近くの保育所へ行って下さい」


保育所はあった。


名前は変わっていたけれど、確かに私のいた場所だった。


私はタクシーを待たせたまま中へ入った。


「十年くらい前に卒園した者です」


担任だった先生へ挨拶したいと言った。


でも、先生はもう退職していた。


私は外へ出て、今度は昔住んでいたアパートの話をした。


近くの川。


建物。


古い景色。


運転手は言った。


「ああ、その辺は工場になったよ」


それでも私は諦められなかった。


工場が建ったなら、近くに知っている景色があるかもしれない。


昼から乗ったタクシーは、夕方になっていた。


そして私は、とうとうアパートを見つけた。


記憶のままだった。


私は階段を上がり、父と暮らしていた部屋の前へ立った。


ドアを叩いた。


返事はなかった。


もう一度叩いた。


誰も出てこなかった。


私は鞄をドアの前へ置いた。


私はタクシーへ戻った。


「叔父さんいたので、荷物置いてきました」


嘘だった。


私は地下道のスナックの住所を言った。


「後は、おばさんの所へお願いします」


もちろんタクシー代なんて持っていなかった。


私は地下道の近くで降ろしてもらい、「おばさんがいるから待ってて下さい」と言って地下道へ入り、反対側から逃げた。


私は走って繁華街へ出た。


灰色のトレーナー。


制服のスカート。


スキーウェア。


かなり目立っていた。


視線が怖くて、私は電話ボックスへ逃げ込んだ。


受話器を持った。


誰にかけるわけでもなかった。


ただ、電話しているふりをした。


******


電話ボックスには広告が沢山貼られていた。


女の子募集。


デートクラブ。


私はそれを、スナックの延長みたいなものだと思った。


ホテルから電話して下さい、と書かれていた。


でも私は、ホテルは大人が一緒じゃないと入れない場所だと思っていた。


だから公衆電話からかけた。


「公衆電話からなんですけど、ダメですか?」


電話に出た男は言った。


「今どこの電話ボックス?」


私は言われた通り、ボックス番号を読んだ。


「近くにピエールって喫茶店あるから、そこで待ってて。五分くらいで行く」


私は喫茶店で何も頼まず、「待ち合わせです」と言って座っていた。


スーツ姿の男が来た。


「面接希望の子?」


私は頷いた。


「幾つ?」


「もう少しで十八です」


嘘だった。


男はサンドイッチとコーヒーを頼んだ。


私は財布の中身を計算して、注文しなかった。


面接だから、ちゃんとしないといけないと思っていた。


今思えば服装から全部おかしかった。


サンドイッチが来ると、男は笑った。


「うわ、キュウリ入ってる。俺これ嫌いなんだよね。頼んで残すのも悪いし、良かったら食べる?」


私は頷いた。


食べた瞬間、思い出した。


私は丸一日、何も食べていなかった。


「雇ってくれますか?」


私は仕事内容も聞かずに言った。


男は頷いた。


「採用するよ。ただ基本十八歳からなんだ。聞かれたら十八って言ってね」


私はその時、やっと生きていけると思った。


******


前借りのお金で服を揃えた。


私は初めて美容室へ行った。


鏡の中の自分は、少し知らない顔になっていた。


「二日後から仕事始めてもらうから。それまではゆっくりしてて」


女性にホテルへ連れて行かれた。


私は安心した。


少なくとも、その夜の寝る場所はあった。


その後、私はタクシー会社へ戻った。


前借りのお金の残りで、タクシー代を払った。


女性は私の嘘に合わせて、「ちょっとこの子調子悪くて」と叔母みたいに頭を下げてくれた。


私は何度も謝った。


******


それから半年、その仕事を続けた。


次は年齢を誤魔化してキャバクラで働いた。


その頃には、少し擦れていたのだと思う。


「自分の体で何が悪い」


「誰にも迷惑かけてない」


そんな風に開き直っていた。


でも本当は、生きていくためだった。


それしか働ける場所が見つからなかった。


十六歳で保護された。


警察では、軽犯罪なら保護者が引き取れば帰れると言われた。


でも祖母は、「連れて帰る気はない」とはっきり言った。


私は言った。


「帰るくらいなら鑑別所でいい」


******


鑑別所では女子用の部屋が満室で、男子側の個室へ入れられた。


その時、一人の看守が笑いながら言った。


「売春してたやつが男子部屋の個室か。ここでは出来ないぞ」


私は二日ほどハンストを起こした。


その後、看守は別の人へ代わった。


児童相談所で保護される話も出た。


でも保護者の認可は出なかった。


私は少年院へ行くことになった。


******


少年院には短期と長期があった。


短期は半年。


長期は一年から成人まで。


私は長期だった。


院の中は年齢や処遇で二つに分かれていた。


十二歳から十五、六歳までの「れんげ」。


十六歳から十八歳までの「白椿」。


私はれんげだった。


年齢だけではなく、罪名や処遇でも分けられていたのだと思う。


中学生で殺人の子もれんげにいたし、同じくらいの年齢でも薬物だと白椿へ行く子もいた。


院では四、五人ごとに担当教官がついていた。


女子院だから担当は女性だった。


その上に主任教官がいた。


五十歳くらいの男性だった。


******


入院して最初の二週間は観察期間で個室だった。


その後、集団部屋へ移される。


集団部屋へ入る前、私は土下座をさせられた。


「よろしくお願いします」


院の決まりだから、と言われた。


でも後から知った。


そんな決まりは本当はなかった。


院の中では、虐められてきた側と、虐める側だった子が何となく分かった。


口調や態度で分かるのだ。


私はどちらに見られていたのだろう。


でも不思議と、私はそこに疎外感を感じなかった。


皆、最初から何か抱えている前提だったからだ。


掃除も洗濯も平等だった。


下着は各自手洗い。


支給服は週に一度、係がまとめて洗濯する。


******


お風呂は冬は週一回、夏は三日に一回のシャワー。


周りは足りないと言ったけれど、私には十分だった。


家では、その半分だったからだ。


支給のリンスが足りなくなる子へ、自分の物を分けたりもした。


家ではリンスなんて無かった。


なんならシャンプーも買ってもらえなかった。


月に一度、小さな紙袋に入ったお菓子が配られた。


皆すぐ食べてしまう。


でも私は長く残した。


時々、同じ部屋の子へ分けたりもした。


私は物欲が無いわけではない。


ただ、目の前で困ってると渡してしまう。


後先考えずに。


そして後で自分が困って泣く。


それを何度も繰り返していた。


******


院で一番きつかったのは、毎朝三十分のマラソンだった。


でも退院前には慣れていた。


あの頃の私は、耐えることには慣れていたのだと思う。


院では色々な子がいた。


傷害。


薬物。


窃盗。


でもオリエンテーションで、犯罪別に反省を促す時間があった。


だから、何で入院したのか自然と分かった。


そして気付いた。


ほとんどの子が、家出から始まっていた。


最初から犯罪者になりたかった子なんて、たぶんいなかった。


帰れなかった。


それだけだった。


******


友達を庇って殺人で入っていた子もいた。


虐待されている友達から「親を殺したい」と相談され、その家へ行った時には既に親は死んでいたらしい。


泣いている友達を見て、「一緒にやったことにしよう」と自首した。


でも友達は途中で証言を変えた。


自分は協力しただけで、主犯はその子だと。


友達は児童相談所へ。


その子は院へ。


私が入った時には、もう一年以上いた。


中一で入り、十五歳で出る予定だった。


それでも、その子はよく笑っていた。


******


院の中は、どこか女子高みたいな空気もあった。(多分入ったこと無いから分からないけど)


変な噂。


先輩後輩。


くだらない話。


そして時々、本当に重い過去。


全部が混ざっていた。


******


面会や手紙は苦痛だった。


面会の時は教官が呼びに来る。


差し入れが沢山届く子もいた。


でも私は、あまり呼ばれなかった。


一ヶ月に一度、必ず手紙を書かなければいけなかった。


それも苦しかった。


一度、面会中に私は祖母へ泣きながら怒鳴った。


「ヤクザの方がよっぽど良い!」


面会は途中で中止になった。


今思えば、あれが初めての爆発だったのかもしれない。


それまで私は、ずっと空気を読んでいた。


甘えない。


迷惑をかけない。


怒らせない。


そうやって生きてきた。


でもあの時は、もう無理だった


その後、教官から言われた。


「受け入れが整わないと退院は難しい。貴女から折れたら?」


「年を取ると、自分の考えを変えられない人もいるから」


私は頑固だった。


でも主任教官は言った。


「お前を俺の養子に出来れば何の問題もないんだがな」


その言葉が、本当に嬉しかった。


なれるなら、なりたかった。


主任教官は、私にとって初めて「ここに居てもいい」と言ってくれた大人だった。


退院前には、私は四段階目まで上がっていた。


本来なら、もう退院間近だった。


でも家の受け入れが整わず、私は周りより長く残った。


院の中での評価ではなく、帰る場所の問題だった。


******


主任教官は、その頃から体調を崩していた。


退院の時も休みだった。


後に担当教官との文通で、亡くなったことを知った。


担当教官は手紙に書いていた。


「年若く若輩の私では、貴女のおばあ様には対抗出来ませんでした」


そして最後に、


「主任教官がいなければ、今の貴女はいません」


とも書いてあった。


本来なら、退院した生徒と文通することもグレーだったらしい。


でも担当教官は笑いながら書いていた。


「貴女は厄介な生徒だったから、私も忙しいのよ」と。


「老人は過去に生き青年は未来を生きる」

主任は良く自分を年寄りのように言っていたらしい。


私は、その二人に救われた。


今でも、人生で一番の恩人だと思っている。


******


第八章 普通の友達


退院してから、初めて普通の女友達が出来た。


祖母の家より、その子の家の方が居心地が良かった。


少し汚かったけれど、気を遣わなくて良かった。


私達はいつも一緒にいた。


テレビゲームをしたり、町へ出たり、仕事終わりにボウリングへ行ったり。


誰も車の免許なんて持っていなかったから、移動はタクシーだった。


一度町へ出ると、なかなか帰らなかった。


私は、その子に執着していたのかもしれない。


一人になるのが怖かった。


その子の紹介で男性と遊ぶようにもなった。


今思えば、ようやく「普通の青春」をやり直していたのだと思う。


******


その後、私は結婚した。


普通の家庭を作りたかった。


自分には無かったものを、今度こそ作れる気がした。


楽しかったことも沢山あった。


でも旦那は車が好きで、昔は毎年のように買い替えていた。


義母との関係も、少しずつ苦しくなっていった。


私は、物理的に離れれば影響を受けずに済むと思って引っ越した。


でも変わらなかった。


影響を受けなくなったのは私だけで、旦那は相変わらず義母に振り回されていた。


そして私も、上手く甘えられなかった。


何でも一人で抱え込んでしまった。


******


八年で離婚した。


決定的だったのは、義母の問題で喧嘩した時だった。


売り言葉に買い言葉だったのだと思う。


旦那は言った。


「流石、院に入ってただけはあるな」


私は、その言葉で終わった。


楽しかった時間も沢山あった。


でも、その一言が無ければ、もう少し頑張れていたのかもしれない。


離婚後、義母の横領が発覚した。


そして自殺未遂をした。


私は相変わらず、人の問題へ飛び込んでいた。


困っている人を見ると、放っておけない。


それで自分が傷付く。


でも、そういう生き方しか知らなかった。


******


今でも時々、冬の空気を思い出す。


峠道。


灰色のトレーナー。


生協。


消えた住所。


ドアの前へ置いた鞄。


あの頃の私は、ずっと帰る場所を探していた。


でも最後に私を救ったのは、家族ではなかった。


少年院の教官達だった。


「お前を養子に出来ればな」


あの言葉を、私は今でも忘れられない。


帰る場所は、最初からあるものじゃないのかもしれない。


誰かに「ここにいていい」と言われて、初めて出来るものなのだと思う。





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