問九 不完全な解
配電盤の奥、赤く点滅するタイマーが、非情なカウントダウンを刻んでいる。戸田の指先が、青と赤のリード線の前で止まった。
「……数凪。どうすりゃいい。こいつを切れば、次の『13』が爆発するんだな?」
数凪は答えられなかった。彼の脳内では、膨大な計算式が火花を散らしている。5+8=13。これは数学的真理だ。だが、爆弾の回路がその真理をどのように実装しているかまでは、外部から読み取れない。犯人は数凪の「予測」を逆手に取り、解除という行為そのものを起爆スイッチに設定したのだ。
「刑事さん、待ってください。まだ計算が……。犯人は黄金螺旋の収束点(特異点)を狙っている。もし『8』を解除せずに放置すれば、このタワーの配電盤が爆発し、螺旋階段にいる人々が……」
『残り、六十秒です。数凪君、君なら「期待値」で計算できるはずだ。目の前の少数を犠牲にして、未来の多数を救う。それが最も合理的な解法ではないですか?』
スピーカーから流れる合成音声が、数凪の矜持を嘲笑う。数凪は震える手でタブレットを操作し、次の座標――『13』に該当する場所を特定しようとした。だが、ノイズが多すぎる。タワーの周囲には公共施設、駅、病院、あらゆる「13」にまつわる変数が散らばっている。
「くそっ……計算が、収束しない……!」
その時、戸田が低く、重い声を出した。
「俺は馬鹿だから、お前の数式は分からねえ。だがな、犯人の言ってることはもっと分からねえ。どっちを救うか選べだと? ふざけるな。……俺の仕事は、目の前で泣きそうなガキがいる場所で、そいつを守ることだけだ」
戸田は、数凪の計算を待たなかった。彼は迷うことなく、コンパスの紋章が刻まれた黒い箱に手をかけた。
「刑事さん、やめてください! 爆発する!」
「爆発させねえよ。――俺の『嗅覚』が言ってる。あいつは数学を愛してるんじゃねえ。数学を使って、お前を『絶望』させたいだけだ。……なら、正解はその逆にある!」
戸田はリード線を切るのではなく、配電盤そのものを力任せに引き剥がし、中の基盤を素手で握り潰した。数学的な手順を完全に無視した、あまりにも野蛮な破壊。
一瞬、すべての音が消えた。
タイマーが「0:00」で止まる。爆発は、起きなかった。
『……ほう。論理を捨てて、暴力を選びましたか。戸田刑事』
犯人の声に、微かな驚きと、それ以上の愉悦が混じる。
『ですが、残念ながら「8」は止まっても、螺旋の成長は止まりません。数凪君、君が計算を放棄した代償は大きい。……第7項、数字の「13」。それは、君が最も大切にしている場所、かつて佐伯先生と歩いた「あの橋」に仕掛けられました』
数凪の顔が、氷のように凍りついた。『13』。それは座標や建物の数ではない。佐伯先生が愛した、全長130メートルの古びた吊り橋。
「……先生の……」
「数凪! ぼーっとすんな、走るぞ!」
戸田が数凪の肩を掴み、力ずくで走り出す。
「刑事さん、今のは……」
「あとで説教ならいくらでも聞いてやる! 今はあいつの『美意識』をぶち壊しに行くんだよ!」
二人はタワーを飛び出し、夜の街へと駆け出した。黄金螺旋の終着点。そこには、数凪の過去を焼き尽くそうとする、真の罠が待ち構えている。




