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素数たちの公約数  作者: さる
第二問 フィボナッチの罠
8/10

問八 死の螺旋

 植物園を後にした戸田の愛車は、湾岸エリアへと急行していた。助手席では、数凪がタブレットの地図上に、植物園を起点とした巨大な黄金螺旋を描き出していた。


「――間違いない。第6項、数字の『8』が指し示す座標はここだ」


 数凪が指差したのは、八角形の基部を持ち、八つの螺旋階段が絡み合うように設計された最新鋭の商業施設『エイト・スパイラル・タワー』だった。


「八つの螺旋、八つのフロア、地上八八メートル。数学的な符号が多すぎる。犯人が自らの『証明』を次の段階へ進めるなら、この建築美を利用しないはずがない」


 数凪の言葉には、確固たる自信があった。




 タワーに到着した戸田は、入り口を埋め尽くす群衆を見て顔をしかめた。週末のセールとイベントが重なり、施設内は数万人のノイズで溢れかえっている。


「……おい、ガキ。お前の数式には、この『人混み』って不確定要素は入ってるのか?」


 子供の泣き声、宣伝放送、不規則に動くエレベーター。数凪は眉間に皺を寄せ、ノイズキャンセリング機能の付いた耳栓を深く押し込んだ。


「……混迷が多すぎる。ですが、数学的真理は環境に左右されない。犯人はこの建物の『幾何学的な重心』を狙うはずです」


 数凪の誘導で、二人はタワーの心臓部、全螺旋階段が交差する吹き抜けの展望フロアへと向かった。そこには、犯人が用意した「偽りの正解」――フィボナッチ数列をデジタル表示する精巧な装置が鎮座していた。


「あった……! 刑事さん、これです!」


 数凪が装置の解読に没頭しようとした、その時だった。戸田の足が、華やかなフロアの影にある、薄暗い清掃員用通路の前で止まった。


「……待て、数凪。何かおかしい」

「何がですか? 計算通りです。この装置が『8』の爆弾だ」

「理屈じゃねえ。……さっきから、この奥から『嫌な風』が吹いてくるんだ。鉄錆と、火薬の臭いが混じった、現場特有の不吉な風だ」


 戸田が指差したのは、数学的な美しさとは無縁の、剥き出しの配管が通るバックヤードだった。


「そこは数列の軌道から外れています! 犯人がそんな『美しくない場所』を――」

「犯人が数学者ならそうだろうよ。だが、あいつは『人』を殺そうとしてるんだ。人は、綺麗な数式の上だけで死ぬわけじゃねえ!」


 戸田は、数凪の制止を振り切り、薄暗い通路へと踏み込んだ。そこにあったのは、埃にまみれた配電盤。その隅には、紋章などではなく、佐伯先生がかつて黒板の隅に書き残していたのと同じ、独特な「Q.E.D.」の筆跡が鋭く刻まれていた。


「……先生の字だ。いや、違う。あいつが、先生の真似をして刻んだんだ」


 数凪の声が、怒りで微かに震える。犯人は組織の兵士などではない。佐伯という太陽に焼かれ、その影に囚われ続けた一人の亡霊だった。

 数凪は絶句した。自分の計算が、自然界の法則が、たった一つの「人間の悪意」によって裏切られた。


「そんな……数列を、わざと間違えたというのか……?」

「ああ。あいつは、お前の『綺麗すぎる頭』を笑ってるんだよ。……だがな」


 戸田は爆弾の前に膝をつき、鋭い眼光でタイマーを睨みつけた。


「この爆弾、タイマーの進みが遅い。爆発させる気がないのか?」


 その時、タワー全体のスピーカーから、あの合成音声が響き渡った。


『正解です、戸田刑事。そこはただの「中継地点」に過ぎない。数凪君、君なら気づくべきだ。8は、13を生み出すための通過点に過ぎないということを』


 数凪の顔から血の気が引いた。脳内で、植物園の「5」と、この場所の「8」が結びつく。5と8。この二つを足した先に待つのは、より巨大な、より残酷な数字。


「……13。第7項、13か!」

『その通り。8の爆弾が解除される瞬間に、真の螺旋(13)が起動する。さあ、刑事さん。そのコードを切れば、ここより遥かに多くの人間が集まる「次の座標」が火の海に沈む。……君たちは、目の前の8人を救うか、見えざる1300人を救うか。どちらを割り切りますか?』


 数凪は、膝を突いた。数学的な正解が、初めて彼に残酷な二択を迫っていた。

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