問六 最後の一手
瓦礫の山の中で、友部は力なく座り込んでいた。完璧だったはずの計算が、戸田という「数式外の暴力」によって崩されたことを、まだ受け入れられないようだった。
「……なぜだ。なぜ佐伯先生を殺した」
戸田が問い詰める。数凪もまた、静かにその答えを待っていた。
友部は自嘲気味に笑い、震える手で壁に書かれた「496」をなぞった。
「先生は……美しすぎた。そして、優しすぎた。それが罪だったんだ」
友部と愛川は、かつて佐伯の教え子だった。孤独で、誰からも必要とされない「1」という数字のような存在だった二人に、佐伯はかつて言ったのだ。――『数学は、孤独な魂を繋ぐための言葉だ。君たちは一人じゃない』と。
「先生は、僕たちに『友愛数』という概念を教えてくれた。自分たちを除いた約数の和が、互いの数になる特別な関係……。僕と愛川は、その言葉に救われた。だが、世界は違った。社会に出れば、僕たちはただの代替可能な『1』に戻された。数学の美しさなど、誰も、何一つ理解しようとしない!」
友部の瞳に、どす黒い情念が宿る。
「だから、証明したかった。僕たちの絆は、先生の教えを超えて、もっと純粋で、もっと完璧な『完全数』になれるのだと。先生を殺したのは、僕たちの出発点である彼を『過去の記念碑』として固定するためだ。第一の事件は、僕たちの誕生の儀式だった」
佐伯先生の「数学は心を磨くもの」という教育への献身が、孤独を深めた二人にとっては、逆に「自分たちの特別さ」を裏付ける呪いへと反転してしまったのだ。
一ヶ月後。事件は解決し、数凪への疑いも晴れた。友部と愛川は逮捕され、九条蓮もまた、リハビリを受けながら再び数学と向き合い始めている。
夕暮れの校舎。数凪が一人、屋上の時計塔の下で計算ノートを開いていると、背後から無遠慮な足音が近づいてきた。
「おい、数凪。また難しい面してんな」
戸田だった。手にはいつもの微糖の缶コーヒー。彼はそれを一つ、数凪の隣のベンチに置いた。
「……刑事さん。以前も言いましたが、黄金比からズレた位置に座るのはやめてください」
「うるせえよ。俺のケツが決めた場所が、俺にとっての黄金比なんだ」
戸田は豪快に笑い、コーヒーを喉に流し込んだ。数凪は、隣に置かれた缶コーヒーをじっと見つめ、それから小さく口を開いた。
「刑事さん。友愛数は、220と284。互いの約数の和が相手になる、完璧な共依存です。……でも、僕たちの関係は、そうじゃない」
「ああ? 当たり前だ。俺とお前が『溶け合う』なんて、想像しただけで虫酸が走る」
「そうですね。僕たちは、2と3。双子素数の一つです。近いが、互いに割り切れない。……でも、素数同士を掛け合わせれば、それは新しい、もっと巨大な数を作るための『鍵』になる」
数凪はノートを閉じ、初めて微かに、本当に微かに微笑んだ。
「……割り切れない未来も、たまには悪くない」
戸田は少し驚いたように数凪を見、それから照れくさそうに頭を掻いた。
「……フン。なら、その割り切れねえ未来に、飯でも食いに行くか。割り勘でな」
「……割り切れないのは、嫌いなんですがね。」
二人の影が、夕闇に伸びていく。完璧な完全数(496)はもうどこにもないが、そこには確かに、新しい数式の予感があった。
(第一問 Q.E.D.)




