問五 素数たちの共鳴
数凪がホテルのメモ帳に書き殴った数式は、二つの緯度と経度を導き出していた。
「496という数字は、2の4乗(16)と、31(素数)を掛け合わせた数だ。犯人はこの構造を利用している。……一つ目の現場は、かつて九条が数学の夢を絶たれた廃校。そして二つ目は――」
数凪は一瞬、言葉を詰まらせた。
「僕が子供の頃、一度だけ数学を嫌いになりかけた場所。……今は閉鎖された、市立の科学館だ」
犯人たちは、数凪と九条という二人の天才の「過去の傷跡」を、最後の舞台に選んでいた。二つの場所の距離は、車で三十分。同時に爆発、あるいは何らかのトラップが作動する仕掛けであれば、一人で両方を回ることは物理的に不可能だ。
「……分かれよう、刑事さん。僕が科学館へ、あなたが廃校へ」
「バカ言え! お前は容疑者なんだぞ。一人で行かせてたまるか」
「友部たちの目的は、僕たちの『選択』を見ることだ。一人で一つしか救えない状況で、僕たちが何を優先するか……。二人で別々の場所を同時に制圧しなければ、九条も、そして仕掛けられた『何か』も救えません。信じてください、戸田さん。僕たちは、バラバラの素数ですが、掛け合わされば496という答えに届く」
戸田は、数凪の真っ直ぐな視線に、初めて「相棒」としての覚悟を見た。
「……分かった。死ぬんじゃねえぞ、ガキ。コーヒーの借りがまだ残ってるからな」
科学館の地下ホール。数凪を待っていたのは、無数の数式が投影されたスクリーンと、その前に静かに座る友部だった。
「ようこそ、数凪君。ここにあるのは、九条君の心臓の鼓動と連動した爆鳴気装置だ。彼が恐怖し、心拍数が一定の計算式を超えれば……ドカンだ。君はこれから僕が出す難問を解き、彼の心を鎮めなければならない」
一方、廃校の教室。戸田は愛川と対峙していた。愛川は、複雑に張り巡らされたレーザーセンサーのスイッチを手に、薄笑いを浮かべている。
「刑事さんは、頭を使うのは苦手だろ? だから、単純なルールにしよう。このセンサーを一本でも切ったら、あっちの数凪君がいる部屋にガスが流れる。君が動かずに、僕の拷問に耐えられれば、数凪君は助かる……どうする?」
数凪は極限の知能戦に、戸田は肉体と精神の限界に。二人は物理的に引き離されながら、互いの無事を確信して戦う。
数凪は、友部が用意した超難解な数論の迷宮を、驚異的な速度で切り裂いていった。友部の顔から余裕が消えていく。
「なぜだ……! なぜこれほど早く解ける! 君は孤独な素数のはずだ、誰の助けもないはずなのに!」
「……僕の隣には、僕の計算には入っていない『不確定要素』が常に寄り添っている。それは数式では説明できないが、僕の思考を加速させる。――それは、信頼という名のエネルギーだ!」
しかし、友部は最後のスイッチを入れた。
「だが、解いたところで間に合わない! 物理的なシャッターはもう閉まった。九条君を救い出すには、君一人では重すぎる!」
数凪が絶望に目を見開いたその時。轟音と共に、地下ホールの分厚い壁が「物理的に」粉砕された。
土煙の中から現れたのは、血を流し、息を切らせた戸田だった。
「……計算、終わったか? 数凪」
「刑事さん……!? なぜここに。廃校のセンサーはどうしたんですか」
「ああ、あんなもん、あいつ(愛川)を壁に叩きつけてから、センサーの根本を引きちぎってやったよ。理屈は知らねえ。俺の体が『間に合う』って言ったんだよ!」
数学的には不可能なタイミング。論理的にはありえない合流。完全な数式が、一人の男の「泥臭い執念」によって、無惨に、そして美しく崩れ去った。




