静かで大きな揺らぎ
窓の外から虫の鳴き声が聞こえていた。
実家の部屋は、大学の寮と比べて妙に静かで、息をする音すら大きく感じた。
机の引き出しを開けると、教科書の下から、古い通知表や賞状が出てきた。
「努力家」「優秀」「模範的」──
どの紙にも、似たような言葉が並んでいる。
それは、褒め言葉のはずだった。
でも、今の真には、それが自分に貼られた「ラベル」に見えた。
どのラベルも、自分を肯定してくれるけれど、自分を自由にはしてくれない。
高校2年の夏に描いた水彩画が、ファイルの奥から出てきた。
夕暮れの川沿いを歩く人の後ろ姿。構図は稚拙だったが、色使いには、今よりも確かな「好き」が込められていた。
誰にも見せず、部屋の隅にしまったあの頃の作品。
「こんなこと、役に立たない」と思って、見なかったことにした過去。
けれど今、その色合いだけが、真の心にやけに鮮やかだった。
静まり返った夜の部屋。
ベッドに横たわりながら、真はふと、父親の声を思い出した。
「ちゃんと頑張ってて、安心だよ」
「周りを見て行動できるのは、お前の強みだ」
優しい言葉だった。責めるものなんか何一つなかった。
でもその裏には、「期待」があった。
「真なら失敗しないはずだ」
「間違わないはずだ」
そして、それに応え続けた自分がいた。
誰のせいでもない。
でも、誰の人生だったんだろう――と、思った。
選ばなかった夢。
言わなかった本音。
捨てた感情。
全部、間違いじゃなかったはずなのに、どこかに「自分」が抜け落ちていた。
スマホの画面に、陽菜からの未読メッセージが光っていた。
「なんかあった? 急に連絡来たからちょっと心配した」
「でもさ、そういうのって、案外大事な時かもよ」
読んだあと、真はスマホを伏せた。
画面の光が消えると、部屋は再び闇に戻った。
布団にくるまりながら、真は初めて「泣きたい」と思った。
けれど涙は出なかった。
代わりに、胸の奥が、静かに、痛んでいた。
何も語らず、誰にも見せず、ただ沈黙の中で、自分と向き合う夜だった。