自分の
「君って、無難だよね」
その言葉を向けられたのは、インターン3日目のフィードバックだった。
言ったのは、30代前半の社員、木崎。鋭い目をした人だった。
「無難にこなせる」ことは褒め言葉だと信じていた真にとって、その一言は妙に冷たく感じられた。
「えっと……どういう意味でしょうか」
思わず聞き返すと、木崎はコーヒーに口をつけながら言った。
「失敗しないように動いてるのが見えるってこと。
でも、それってつまり、自分の責任で決めてないってことだよ。
“これで怒られないだろうな”っていう動き方。俺、そういうのすぐ分かるから」
冗談っぽく笑ったあと、木崎はそっぽを向いた。
「ま、別に悪いことじゃないけどね。君がどうしたいか、だよ」
“君がどうしたいか”。
またその言葉だ。
会社の中は、思っていたよりもずっと「個人」に委ねられていた。
上司に言われたことをこなすだけじゃダメで、自分なりの意見を持ち、動き、責任を持つことが求められる。
なのに真は、それができなかった。
「こうしたら怒られない」
「こう言えば、評価される」
そんな読み合いばかりしている自分に、ふと気がついてしまった。
社内の同期インターンの一人、井川は対照的だった。
年下のくせに堂々としていて、プレゼンでも自分の意見をガンガン出していた。
その姿を見て、真は何度も羨ましいと思った。
でも、それ以上に悔しかったのは、自分が“できない”というより、“やろうとしてこなかった”という事実だった。
その夜、寮のベッドの上で、真は天井を見上げたまま動けなくなった。
ずっと、こうして生きてきた。
正解を探し、評価されるように振る舞い、リスクを避け、他人に嫌われないように、波風立てずに。
でも、そんな自分がいま、「何も残ってない」ことに気づいてしまった。
どれだけ優秀なESを書いても、どれだけ笑顔で面接を乗り切っても。
心の中に、「本当はどうしたいのか」という問いに答えられない限り、自分の人生は誰かの答えのコピーのままだ。
“自分で選ぶ”ということは、間違える可能性を引き受けることだ。
だから怖かった。
でも、選ばないまま進み続けることのほうが、もっと怖いと、今は思う。
寮の薄暗い照明の下で、スマホを手に取り、陽菜にメッセージを打った。
――「俺、何したいんだろう」――
送信ボタンを押したあと、数秒の間、画面を見つめる。
返事は、すぐにはこなかった。
けれどその静けさの中で、真は少しだけ、自分が「問い」を持てたことに、救われていた。