選べない日々
「朝倉くん、君はどうしてこの会社を選んだの?」
ゼミの教授にそう聞かれたとき、真は反射的に笑って答えた。
「成長環境があると感じたからです。若いうちから裁量権を持って働ける点に魅力を感じました」
それは、面接で百回ほど口にしたセリフだった。
表情も、声のトーンも、文のリズムも、面接官に“伝わりやすい”ように調整済みだった。
教授は「なるほど」とうなずき、何人かのゼミ生も頷いていた。
ただ、それが“本音”なのかどうか、自分でももうわからなかった。
ゼミが終わったあとの廊下。
陽菜が、教室のドアの前で待っていた。
「やっほ、久しぶり。就活おつかれ」
自然体で笑う彼女は、真の高校時代からの友人だった。浪人して一浪で入ってきた彼女とは、時々こうしてふらっと連絡をとる関係が続いている。
どこか他人行儀な今の友人たちと違って、陽菜の言葉には、装飾がなかった。
「内定、どこに決めたの?」
真がそう聞くと、陽菜は首を横に振った。
「ううん、やめた。就職。今のとこ行かないことにした」
その言葉は、冗談のように軽やかだった。でも真には、まるで銃声のように響いた。
「え、親とか、怒られないの?」
思わずそう返すと、陽菜は肩をすくめた。
「怒られたよ。めっちゃ。でも、私の人生だし。親に働いてもらうわけじゃないしさ」
「……でも、不安とかないの?」
「あるよ。でも、就職するのに不安がない人なんているの?」
真は返す言葉が見つからなかった。
不安は、いつもあった。
でもそれは、「選ばない」ことで消してきた。
答えがわからないものは、誰かが選んだ道をなぞることでやり過ごしてきた。
自分で道を決めて、責任を負うことが、ただただ怖かった。
「真ってさ、自分の意見あんま言わないよね。昔から」
唐突に言われて、少しムッとした。
けれど、図星だった。
誰とでも合わせられる。空気が読める。気が利く。
それは、褒め言葉だったはずなのに、今は重荷だった。
「本当は、何がしたいの?」
陽菜の問いに、真は答えられなかった。
その問い自体が、自分には不相応なもののように思えた。
ずっと、与えられた問いに、正しい答えを返すことしかしてこなかったのに。
自分で“問い”を持つことが、どうすればいいのか、わからなかった。
陽菜はそれ以上なにも言わず、手を振って去っていった。
その背中を、真は何も言えずに見送った。
まるで、自分にできなかった選択を軽々としてみせる彼女が、別の世界の人間に見えた。
大学に入ってから陽菜は変わったと思う。
高校の頃は、やたら口が悪くて、俺のことを褒めてるのかけなしてるのか分からないような言い方を良くしていた。
でも、大学に入ってからのひなは、そういう言葉をあまり言わなくなった。
代わりに、少しずつ俺の前から距離を取るようになった。
大人びていて、すごく落ち着いて見える。
でも、その目は、俺のことを見てる気がした。
たとえば、俺が少し疲れてるとき、ひなは何も言わずに小さな差し入れを置いていったり、俺が話しかけても笑顔で流すようになったり──。
そして、気づけば陽菜は、自分のやりたいことに真っ直ぐ進むようになっていた。
舞台の裏方を手伝ったり、ローカルのイベントを自分で立ち上げたり。
いつも忙しそうにしていて、でも、その目はすごく澄んでいた。
「ひな、最近すごいな。やりたいこと、いっぱいやってるって感じ」
俺がそう言ったとき、ひなは少しだけ間を置いて、
「うん、まあね」とだけ言った。
あのときの顔が、なんだか印象に残ってる。少しだけ、切なそうだった。
その夜。いつもなら家に帰ったらすぐ寝るようにしているのだが、その日はなぜか眠気がなかった。
だからなんとなく、ノートに何か書いてみようと思った。
「どこで間違えた?」
でも、その文字はすぐに線で消された。
部屋の中には誰もいなかったけれど、見られているような気がしたからだ。