評価の檻
スーツの首元がきつい。けれど、それを口に出すのはみっともない気がして、真は黙っていた。
鏡に映った自分は、どこから見ても“正しい”大学生だった。清潔なワイシャツ、黒髪、控えめなネクタイ。鏡の中の男は、今までもこれからも、他人の期待を裏切らない。そういう顔をしていた。
就職活動は、順調だった。ESは落ちる気がしなかったし、面接でも「ロジカルでわかりやすい」と言われた。グループディスカッションでも、真っ先に司会役を買って出て、空気を読みながらまとめ役を演じた。
そのたびに、「やっぱ真はすごいよな」「内定出るの早っ」と、友人たちは賞賛をくれた。
真は笑って「いやいや、たまたまだよ」と返す。お決まりのやりとりだった。
けれど――それがうれしいはずだったのに、あるときから、違和感が消えなくなった。
誰かに評価されるたびに、心の奥で何かが音を立てて崩れていく気がした。
その「何か」が何なのか、真にはわからなかった。ただ、それは確かに自分の中にあって、いつもより少し深い呼吸をするだけで、その輪郭に触れられそうな気がしていた。けれど、触れたら最後、自分が壊れてしまいそうで、ずっと見ないふりをしていた。
「俺、ほんとにこの会社でよかったのかな」
大学のラウンジでぽつりとつぶやいた声は、誰にも届かない。隣でスマホをいじっていた友人は、「え? 何か言った?」と聞き返したが、真はすぐに「ううん、なんでもない」と笑ってごまかした。
“正解の人生”を歩いている。そう思われるように、自分で自分を形づくってきた。
でも、本当にそうだったのだろうか。
模試の判定がAだったから、行ける大学を選んだ。教授に勧められたゼミに入った。就活サイトの「人気企業ランキング」を見てエントリーした。
いつだって、誰かの「いいね」に合わせて自分を整えてきた。
そうすれば失敗はしないし、安心してもらえるし、自分も間違ってないと信じられた。
――でも。
「正しい」って、なんだ?
その問いは、真の中でずっと眠っていた。けれど、眠ったままでいるには、あまりにも静かすぎた。
就活が終わって、初めて時間ができたとき、真は気づいてしまった。
自分は何も「選んで」こなかったということに。
それは、誰かの人生の中で“最適化”された部品のような感覚だった。
確かに便利で、役に立つ。けれど――それが自分自身かと言われたら、言葉に詰まる。
帰り道、夕焼けがビルの窓に映っていた。
赤く染まる空に、真はふと、高校時代に美術室で描いた一枚の絵を思い出した。誰にも見せなかった、でも自分の好きな色で塗ったキャンバス。
あのときの自分に、今の自分はどう見えているのだろうか。
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