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街から外れた村、その村からさらに外れた森の中、1軒の大きな石造りの家があった。
家は大きな書庫となっていて、大量の本棚が並んでいる。
書庫の中、腰に剣を差して薄汚れたフードケープを着た男は棚から1冊の本を取った。
革の装丁には金字で『神話調査隊 不死の試練 記録1』とある。
机に本を置くと、別の棚へ移動した。
男はもうひとつ革の装丁が施された本を取る。
こちらはタイトルが書かれておらず、本を持って椅子に腰を下ろす。
タイトルのない本を開く男は、優し気に笑みを浮かべていた。
その本は男の日記だった。
『ヘメロカリス王国暦800年、暖かい四の月、狼倒月。ギルド受付嬢のシャーリーに呼ばれて、王都冒険者ギルドへ向かった』
文字列を追っていた男は机にある木製のコップに手を伸ばしたが、中身は空だ。
コップ近くの水差しの中をのぞき見た男は、カラカラになって久しい状態だと知り驚いたような顔になる。
「まあ、いっか」
笑顔で椅子に腰を下ろすと、男は日記を再度読み始める。
これが書庫の日常だった。
○
ヘメロカリス王国暦800年。暖かい四の月、狼倒月。
年始からずっと王都は騒がしかった。
その理由を知ったのは、冒険者ギルドで俺を担当しているシャーリーに呼ばれたことからだ。
5年は王都で生活しているけど、その年は今までにないくらい賑やかだった。
あまりにも賑やかだから、俺も楽しくなっていつもニコニコしていた覚えがある。
「タクアンさん、別室へ」
「うん」
王都に来て冒険者を始めて以来、担当をしてくれている一番の知り合いだ。
別室へ入ると、シャーリーは持っていた依頼用紙を机に置いて座った。
指名依頼がある時はここに通されて、話をするのはいつものことだ。
「タクアンさん、王国の宰相様から指名依頼があります」
「見せてもらえる?」
「はい」
冒険者として上から2番目くらいの地位にいると、国から指名依頼を受けることがある。
あまり戦闘を得意としていないから、こまごまとした国からの依頼を受けていると、指名依頼が増えていった。
今回はどういう依頼なんだろう、いつもは村をまわって状況を報告すること、畑の大きさを測って報告すること、だったけど。
依頼用紙を見ると、宰相から俺に向けた指名依頼であることの後に内容が書かれていた。
『神話調査隊 記録員』
「シャーリー、これは?」
「神話調査隊を知らないんですか?」
「うん」
「去年の九の月、大土長月にへメロス王が神話調査隊を身分問わずに募集したんです」
「だから、賑やかだったのか」
「はい、国を問わず、身分を問わず、強さだけを求めて募集しました」
破天荒な王だと聞いたことはあるけど、神話調査隊か。
ここ、ヘメロカリス王国には神話の内容を記した石板があって、神話は1100年も前の話として残されている。
色々な話があるけど、主となっているのは英雄ヘメロが試練を乗り越え、不死となって神の座に引き上げられる話だ。
「神話調査隊は何するんだ?」
「不死の試練を突破して、不死の泉を求める勇気と強さを持つ者を集めたいようです」
「報酬は要交渉となってるけど」
「はい。報酬は交渉可能とのことです」
「期間は不明だって」
「不死の試練を突破するか、突破不可能になれば終わるそうです」
シャーリーは仕事中とてもキビキビしているけど、仕事以外で会うと割とだらしない。
それを知っているから、仕事中のキビキビしているのは、普段とあまりに違いすぎて面白い所でもある。
「報酬の交渉はいつできる?」
「いつでもということです」
「シャーリーはこの依頼、どう思う?」
国からの依頼は、頼んでいる人が分からないことは多い。
今回は宰相ということだけど、実際に違うことも多々あった。
その度に宰相から怒られたものだ。
でも報酬を多く払ってくれるから、基本受けていた。
だから、シャーリーに相談していたという言い訳を作って、いつも依頼を受けている。
「王が主導している神話調査隊ですから、宰相様からの依頼だと思います。期間は分かりませんけど、それだけの報酬を用意しているのかもしれません」
「どういう報酬だと思う?」
「調査隊が試練を突破できれば、なんでもだと聞いています」
「やっぱりそのくらいになりそうか」
「タクアンさん、交渉へ行きますか?」
「うん、話を聞いてから決めることにする。昼から行ってくる」
「分かりました。連絡を入れておきます」
「頼んだ。シャーリー」
部屋を出て、冒険者ギルドから出ようとすると、何人かの冒険者が神話調査隊の話をしていた。
どうやら冒険者たちは募集に応募していたみたいで、選考について話している。
話によると、今日が最終選考しているようだ。
宰相は恐らく交渉に来た俺を選考を突破した人と引き合わせるつもりだ。
一緒に仕事する人とは、早いうちに顔を合わせておいた方が良い。
ギルドを出て、宿に戻るまで周囲を見ていると確かに異国人が多かった。
しかも、街のあちらこちらに看板が立てられて、そこには『神話調査隊募集』と書かれてある。
この賑わいは、もうしばらくで終わるみたいだけど、依頼によっては賑わいに乗じるのか。
楽しみだな。
昼過ぎ、テキトーに食事を済ませて、王城へ向かう。
ヘメロカリス王国は大陸にある3つの国家の内、最も大きく強い。
他にアルティシマ教国、シトリナ王国があるけど、ヘメロス王が平和的だから生き永らえているだけだと言われている。
へメロス王の悪いところは退屈を嫌う所、だからこそ神話調査隊を募集したんだろう。
記録員は一体なにをするんだろう。
戦闘の依頼をあまり受けていないから、戦闘以外が主となるものだろうけど。
王城前で武器を渡して、身分を照会してもらっていると、文官が近づいてきた。
「タクアンさん、ですか?」
「はい」
「初めましてエドワードと申します。今から宰相様の下へ案内します」
「はい」
細い体に白いフードケープを着たエドワードに付いて歩く。
通されたのは、いつもの宰相の執務室だ。
「よく来たタクアン。依頼の話だな」
「はい」
「座ってくれ、エドワードも」
「はい」
「分かりました」
ソファにエドワードと腰を下ろすと、紙をまとめた宰相が対面に座った。
机の上に紙が広げられ、依頼に関する説明が始まる。
隣のエドワードが分かりやすく姿勢を正しているのを見ると、笑いが漏れた。
「ひとまず、依頼の詳しい説明をするからな」
「はい」
「期間は分からない、報酬は交渉するとして、神話調査隊の記録員をしてもらう」
「はい」
「記録員というのは調査隊が不死の試練に挑むのを記録する役目だ」
「エドワードさんでもいいのでは?」
「戦闘に巻き込まれても死なない者であることが重要なんだ。字の読み書きができることこそ最も重要ではあるがな」
冒険者と平民は字の読み書きが出来ない人ばかりだ。
偶然覚える機会があったからよかったけど、なければ俺も読み書きできないままだった。
加えて戦闘が出来る者であると、俺以外にもいただろうけど、冒険者は調査隊の募集に向かったんだろう。
「やることは分かったな。受けてくれるかタクアン?」
「報酬の交渉がしたいです。それ次第で受けるか決めます」
「報酬は何でもだ。国が欲しいとか、王になりたいとか、以外なら何でも受ける。これは王が口にした調査隊への報酬だ」
「なんでも?」
「ああ、だからこそ選考には大陸中から人が集まってきた」
「その試練が突破できなくてもですか?」
「いや、突破できなかった場合は、状況に応じて報酬を出す」
「どの程度ですか?」
「突破できなかった場合、タクアンの報酬に関しては、私が決めることになっているから言ってくれ」
欲しいもの、報酬か。
宿もいらない、職もいらない。
そういう状況で俺は何がほしいんだろう。
「家。書庫として使える家が欲しいです。街から外れ、村から外れている森の中がいいです」
「試練が上手くいかなかった場合の最低報酬をそれにしよう。不死の泉を見つけたら何が良い?」
「その時はなんでも、ということなので、試練の間に考えておきます」
「分かった。受けてくれるということでいいな」
「はい」
「よし、エドワード。お前はどうする?」
話が分からずにエドワードを見ると、こちらを見ていた。
真剣そうな顔に笑って返す。
頷いて覚悟の決まった顔をしたエドワードは、宰相の方に向き直る。
「ボールドウィン様、私も向かいます」
「そういうことだ、タクアン」
「どういうことです?」
「記録員としてタクアンには向かってもらうが、記録の仕方を知らないだろうから、エドワードを一時的に同行させる」
「一時的?」
「そうだ。同行で報酬が出るとはいえ、仕事はあるからな。戦えない者をずっとそばに置くのも調査隊の邪魔だ」
宰相の言葉に頷くエドワード。
俺としてはいてくれた方が助かるけど、記録員だから調査隊のこと口出しは出来ない。
調査隊が嫌だと思えば、エドワードは去るだろう。
「そういうことだ、タクアン。記録員としての仕事をエドワードが去るまでに覚えてもらう」
「いつごろ去るのでしょう?」
「最初の試練を突破した後には戻ってもらう予定だ。次は試練についてだ」
「はい」
「タクアンは神話の不死の試練について知っているな」
「はい」
そうしてしばらくの間、具体的な仕事内容を聞いていた。
話を聞いて分かったのは、どうやら記録を取る以外の仕事をさせられることだ。
国が神話調査隊に関するすべてを支援し、俺は調整役をする。
不死の試練を調査するための旅に関すること全て、マジックバッグとお金の管理、出来るならば体調管理とまで言われてしまった。
体調管理に関しては出来ればだからしない、と答えている。
「大体は話しできたな。タクアン、今から選考を終えた調査隊へ会いに行くぞ」
返事をしていないけど、宰相は部屋から出て行く。
後に付いて、しばらく歩いていると、王城の出入り口から少し離れた広場だった。
王城外の見えない広場には、何人かの人が集まっている。
護衛を連れている王らしい人もいた。
「ボールドウィン! 決まったぞ、調査隊」
「へメロス様、そう騒がないでください。私も記録員を連れてきました」
「お前たちボールドウィンに資料を出せ」
「は、はい!」
周囲にいる護衛へ命令して、宰相に資料が渡された。
後ろからのぞき見ると、5人の名前と簡単な紹介がされている。
想像していたよりも数は少ない。
「へメロス様、こちらの記録員はタクアンという度々依頼をしている金級冒険者です」
「タクアン。ああ、タクアンか。国からの依頼を受けているのは助かる。次はこちらだな、ボールドウィン」
「はい。選考を抜けた5人は並んでもらえるか?」
宰相の言葉に5人の神話調査をする者たちが並んだ。
男が4人、女が1人。
強さを求められて、女がここにいるとは、腕っぷし以上の技量があるんだろう。
「タクアン、紹介していくぞ」
「はい」
「まずはお前に近い者。魔鉄級冒険者のジョッシュ」
5人の中で最も背の高い人で確かに俺も聞いたことはある。
冒険者の最高位、魔鉄級で大きな斧を持つ男だ。
王都所属の冒険者でもある。
「次は金級冒険者で元傭兵のベニッツォ」
俺よりは背の高い細身の男だ。
長い癖毛が特徴的で、彫りの深い顔はヘメロカリス王国人の顔立ちだな。
「3人目からは犯罪者だ」
「犯罪者まで集めたんですか?」
「身分を問わないからな。王国で義賊を自称していた泥棒ステフェン」
細身で挑戦的な目つき。
ステフェンは無精ひげの老けた男だった。
「4人目は元魔物討伐遠征隊の副隊長ブルーズ」
犯罪を犯したようには見えないほど、堂々としている。
体は大きく、厳めしい顔つきは宰相の説明を嫌っているからだろう。
「5人目、王都で起きていた30人殺しの犯人にして、殺し屋のレイツェル」
紅一点は殺し屋だった。
背はこの中で最も低いが妖しさは最もある女。
危うい妖しさを見て取れるのは、危険を避けるうえで良いことだ。
「調査隊に紹介しよう。君たちの記録員兼旅の指揮を執るタクアンだ」
指揮をすると聞いているけど、俺よりも強い人たちに指揮を執ると紹介するとは。
笑えてくる。
5人の視線が俺に向くけど、苦笑いで返すしかない。
「タクアンが記録員として同行するが、最初の試練を突破するまでは、この文官であるエドワードも同行する。戦闘が出来ないから気を配ってやってくれ」
エドワードは一歩前に進み出て、頭を下げた。
呆れたような顔のレイツェルが見えて、上手くいかない予感がする。
犯罪者として生きてきた人は、俺みたいな金級冒険者の指示に従ってくれるのか。
「神話調査隊の5人は明後日の出発式に向けて、身なりを整えてもらう。タクアン、記録員の事はエドワードから聞くように」
「はい」
「タクアンはエドワードから話を聞いて帰ってくれ」
「はい」
「タクアンさん、こちらへ」
「はい」
広場から離れた場所で、俺はエドワードから出発式に向けた話を聞く。
身なりはこのままで問題ないこと、服を持ってくるから着て欲しいこと、明後日は1の鐘で王城へ来ておくことを言いつけられた。
「分かりました」
「明後日の朝にはマジックバッグやお金について、話をしますから」
「はい。でも旅をするんですよね?」
「はい」
「それなら旅の間にでも言ってください」
「分かりました。でも1の鐘には来てください」
「はい。では明後日に」
「はい、明後日に」