『故郷へ②』
街の東門では、二頭の馬とテントの張った荷馬車が出立の準備を進めていた。
荷物は多くない。
街から街へと一日かけて行き来するだけの食料や水が積まれているだけで、すでに荷を乗せ終えたのか、一人の少女が暇を持て余して馬のブラッシングに勤しんでいた。
毛を撫でられた馬は気持ちが良いのか、鼻をブルルと鳴らし、尖った耳を小刻みに動かして喜ぶ。
「ここがいいのですか」
「……少尉か?」
少女が遊んでいると、東門から二人の人物が現れた。
「少佐とそれに――シリウス様?」
予想外だったのか、ブルーは目を丸くさせる。
「護送とはこの少年のことだ。準備は?」
「はい、すでに……疑いは晴れたのですね」
「あれこれ聞かれたが、無罪放免だ。体の具合は?」
「私の方はこの通り。肩の負傷で……杖を振るうことはできませんが、動いている方が気が楽なのです」
「というわけだ少年。監視付きの護送とは言ったが、他の者に示しをつける為の方便だ。ブルー少尉は戦えないし、俺も捻じ伏せようとする気は更々ない。一旦は信用しておこう」
「不器用なのだな。アナタという人間は」
「さっさと荷に乗れ」
「では私は馬に」
「操縦は一人いれば事足りる。その口の減らないフワフワ頭を見張ってろ」
しかめっ面で馬の方へと歩いていくヴェインに対し、二人は顔を合わせてからかうように笑った。
けれど、ブルーの表情が一瞬にして曇る。
訝し気な、それでいて神妙な面持ちでシリウスを見ている。
視線の先は彼の心臓部だった。
「なんなのだ?」
「はい……あの時、アナタの心音が消えたような感じがして、気にかけていました」
「それなら私はとっくに死んでいて、この場にはいない。腕の良い治癒役がいたのだろう」
「そんな人は」
私の隊には居ない。
言いかけた言葉を飲み込む。
心音は確かに無かった。
だが朦朧としていたブルーにも、その後の状況は定かではなかった。
「いいえ……なんでもありません」
明らかなのは、あの死地からお互いが助かったということ。
何もかも運がよかったのだと考え、ブルーは言い出すことをやめた。
「立ち話をしていたらまた怒られる」
「そうですね」
荷台に乗り込み、向かい合うようにして座る。
ヴェインの短い発声の後、馬車はカラカラと動き始めた。
グリーンレイが紅く染まる。
街を二つに割るようにして、上空では夕暮れと夜の色が溶け合っていた。一騒動あった街も熱気が静まり、また明日の労働に向けて人々はそれぞれの場所で英気を養う。シリウスにとっては生まれて初めての戦闘だったが、あんな戦いの後でも――こんな風に穏やかな気持ちで空を見れるのだと内心、不思議だった。
テントの外から夜風が吹き抜けていく。
春の月はまだ肌寒い。
海からくる風のせいもあるのだろう。
やがて南の方へと進路を辿り、シリウスたちは舗装された国道を進む。
シリウスが振り返ると――まだ瓦礫の山となっている南門が見えた。街を遠目に見ると、片方の壁が大きく崩れ、酷い有様だ。
瓦礫の撤去作業はまだ手付かずらしい。
その下には、亡竜が潰れている。
アレを自分がやったのかと半信半疑になった。
一日中軍人に連れ回され、散々な目に遭ったと思っていたが、あの惨状では面倒な手続きを受けるのは致し方ないとさえ感じてしまう。
それから、亡竜の凶悪な面を思い出し、何か一つでも違えば――自分は死んでいたとも思った。
シリウスは頭を振るう。
終わったことだ。
死なずに済んで、本当に良かった。
グリーンレイの街が遠くなっていく。
それまでシリウスとブルーの間に会話は無く、夕陽が沈んでいく様をぼんやりと眺めていた。
完全に暗くなり。
ブルーが吊るされたランタンに火を灯す。
お互いの顔が暗闇の中に浮かび、ようやくそこで、話始めるきっかけとなった。
「聞いても良いでしょうか」
「なんでも」
「魔術は誰に教わったのですか?」
「うーむ」と、なんでもと言っておきながらシリウスはすぐに答えに詰まった。
「師がいないのですか?」
「いるよ、育ての親だ」
「魔術士の家だったですね」
「そんな大層なものではないのだ」
シリウスは頭の中で幼少期の自分を回想する。
記憶はざらついていて、不鮮明だったが、そこには小さな自分が居た。
親の真似事をして本を読む自分が――。
「いつの間にか……というのが正しいのだろうな」
「自然と扱えるようになったのですか?」
「私も最初のことは覚えていないのだ。なにせずっと小さい頃だから。ただ、育ての親いわく――私は見たものを次の日には真似て、何でも出来るようになっていたらしい。耳にした言葉や、教えられた文字、見せてくれた魔術をとにかく吸収していったから驚いたと聞かされた」
「神童、というものですか」
「本当に幼少期の頃はだ。しかし物心つくと私も普通の人間に成っていた。素養があるにも関わらず……術士の養成施設では一年も過ごした」
「そうなのですね。ではそれまでの間、一人で中央の方に?」
「ああ、田舎者には辛い一年だったのだ」
三級魔術士の試験に合格するまで、素養のある者は施設で暮らす。
その期間はシリウスにとって苦い思い出だったらしい。
魔術士は皇国の資産であり、現在では厳格に管理されている。
先の戦争以降――王政令によって定められた。
「私はマナのコントロールがどうにも下手らしい」
「ですが、あれだけの魔術操作をしたではないですか」
「運が味方しただけのこと。そういう事例は多々あると聞いた」
魔術士になったばかりの人間に起こる、自身の許容量を超えたマナの躍動。
未熟だからこそ限界を見誤る。
そうなってしまった若い術士は大抵、命を落としたり、その後のマナの発露が上手くいかなかったりという事例があった。
「……後遺症があるかもしれませんね」
「かもしれないが、あの場で死ぬよりはずっといい。私は魔術士の資格さえあれば、君たちのように戦えなくたって構わない」
ブルーはその言葉には、心から「そうですね」と頷いた。
「では、研究者の道を?」
「ああ。私の故郷は製本が盛んで、魔導書作りの認可を下ろす為に術士の資格が必要だったのだ。本を作る為に魔術士になったと言ってもいい。写本や製本ならば、瞬発力を必要とする魔術は必要ない。ペンを握り、じっくりと時間をかけて、夜の月が寝静まる頃までひたすらに向き合う――そういう風に仕事をしている人を見て育ったから」
シリウスは爽やかな風に当たりながら、嬉しそうに語った。
「だから私もそうなりたいのだ」
「素敵なことです」
馬車は緩やかな速度で丘を登っていく。
森の奥からは梟の鳴く声が聞こえる。
しっとりとした時間が流れていた。
「シリウス様の杖はきっとペンや羽箒なのでしょうね」
「杖? ああ、いずれ手元に現れると聞いたが……」
「はい。魔術士になった者は必ずどこかで、生涯を共にする杖と出会います。私のこの杖もそうです」
言って、ブルーは懐から杖を取り出した。
手のひらに乗せてそれを見せてくれる。
「ひんやりしている」
「北部の生まれだからでしょうか。子供の頃、よく雪を見ました。きっと私の中にある原風景なのです」
ブルーの杖は白い冷気を放ち、目を凝らすと小さな雪の結晶がちらついていた。先端が尖っていて、それは白樺の木の枝のようでもあり、軒下の氷柱みたいでもあった。
「杖は自分の本質に触れた時や、大切にしているものに気付いた時、前触れもなく現れるとされています。私は軍に入隊してからしばらくして、この真っ白な杖と出会いました。ホームシックだったのかもしれません。なので、私の心が強く反映されたのでしょう」
「だから――ペンや羽箒か」
シリウスはブルーの言ったことを反芻した。
「本当にそうかは分かりませんが……本を作る人の手にはきっとお似合いだと感じました。少し、安直すぎましたね」
「いいや、私もそうであれば良いなと思った」
シリウスの答えにブルーは微笑む。
「強いて言うなら、オヒャラガラスの羽ペンでないと嬉しいのだが」
「オヒャラガラス、ですか?」
「そう、島に生息している栗毛のカラスだよ。人間の言葉を真似るのが得意で、人をからかって遊ぶのが好きなんだ。私の家にも一匹棲み着いていて、私はそいつのことが嫌いなのだ」
「ふふ、なんですか、それ」
ブルーが笑うと嬉しかった。
今日知り合ったばかりなのに、とても気が合う。
死地を乗り超えた仲ということもあるのだろう。
南星島に着くまでの間。
二人は自分のことを話続けた。
出身地のこと。
そこに暮らしていた人。
旅先で見た風景や街のこと。
知っていること、思いつく限りのことを。
目的地に着けば――この先お互いの人生は混じり合わないものだと知っていたからだった。シリウスは故郷の島で叶えたい夢があり、ブルーは皇国の軍人であることから一つの場所に留まることはない。
別れを惜しむように、ぽつりぽつりと話をした。
「あ……」
シリウスが何かに気付く。
舗装された国道が途切れ、低い草の茂る丘の道へと入った。
なだらかな斜面を登る。
久しぶりだが、馴染みのある景色。
ここが丘の切れ目だとシリウスは分かっていたのだ。
十分もしない内に頂上へと辿り着く。
見晴らす先には――黒い海が広がっていた。
途端に波の音が聞こえてきて、シリウスとブルーの会話が止む。
しばらく続いた沈黙の後。
海上橋の向こうに小さな島が見えてきた。
「ブルー! 見てくれ、あそこが故郷の南星島だ」
まだ明かりが点いていて、人の気配がする。
「よかったです」
シリウスの弾む声に――ブルーの胸がギュッとなった。
短い旅が終わる。




