『故郷へ①』
正午、陽が天辺まで登り、グリーンレイの街はいつもと変わらない活気を見せていた。
メインストリートには露店が立ち並び、ここから暗くなるまでの時間、人や荷馬車の往来がひっきりなしに続く。早朝にあった襲撃事件などまるで無かったかのように、街は活発な声で溢れている。
事件が終息した折、市長が声明を出した。
「火の雨が降り注ごうとも、私たちは商売を断固として辞めない!」
そう豪快に言ってのけたのだ。
グリーンレイは周辺地域の経済を支える重要都市であることから、街が動かなくなるだけで皇国へのダメージは大きい。
襲撃者の駆る飛竜が真っ先に門を破壊したのは、経済的被害をもたらす意図があったことは間違いなかった。
彼ら、アカーシャ共和国の残党勢力は――国を失った今もなお戦いを続けていた。
多くの命が戦火に散った。
その怨嗟の火種は未だ燻っている。
「しかし本当にこれが……たかだか三級の仕業ですか?」
「リーゼも驚いています」
足場が途切れた壁の上。
崩落の現場に立つ二人の兵士は、壁をスプーンで抉り取ったような破壊の跡を前にして、にわかに信じられないという様子で周辺の景色を見ている。
被害状況の報告を受けたヴェインもまた、現場の異様さに息を呑む。
「どうだ? お前たちにはコレが可能か?」
「あのね〜少佐! 可能か、不可能かで言えば、当然俺はできるって答えますよ! リーゼには無理だろうけどさ〜」
「エンジスうるさい。リーゼだってできる」
「お前の雑な魔術操作じゃ無理だってーの!」
「なにを」
状況の再現を問われた二人の若い兵士はお互いの頬や髪を引っ張り合いながら、ウニャムニャと猫のような喧嘩を始める。
日常茶飯事なのか、ヴェインはやれやれと頭を振り呆れていた。
「そこまでにしないか! まだ任務中だ‼︎」
緊張感のないエンジスとリーゼの頭に鉄拳が落とされる。
容赦のない音だった。
「いたい」
「いっつ~……身長伸びなくなったらどうするんですか〜⁉︎」
「ふざけているからだ! 馬鹿者ッ」
「んも〜、厳しすぎますよぉ……しかしですね少佐! もっと馬鹿なのはこれをやった魔術士の方です!」
「意見を聞こうか」
「戦闘中にこれだけ膨大な数の石を丸ごと引っ剥がして、それをワイバーンにぶつけようなんて無茶苦茶です! できるとは言いましたが、俺ならすっごく非効率なので絶対やりません! 自分で生成した石じゃないんだから、過剰なマナの消費でぶっ倒れちゃいますよ!」
「リーゼもそう思う」
「同意見だな。確かに、戦い方がなっちゃいない」
戦場に身を置く彼らにとって、シリウスの行為は自死に等しいデタラメな戦闘だという。
見下ろすと、地上には瓦礫が堆く積もっている。
数千はゆうに超える石の山。
三人はその質量を前に同様の疑問を抱く。
「大馬鹿ですが……えっと、三級魔術士なんでしたっけ? その術士、もちろん死んだんでしょう?」
「いいや、生きている」
「あれだけの物を操作した後に? ブルーが治癒を?」
「少尉も当時、瀕死の状況だった。近くに治せた者はいない。つまりは元々のセンスというわけだ」
「生まれった膨大なマナの量が成せる技……と言いたいのですか? おとぎの本の大戦士ブラキオじゃあるまいし、何者なんですか、そいつは!」
「さて、俺にも分からん。尋問すれば良いだけのことだ」
ヴェインは戦いに向かう前に出会った少年の印象を思い返していた。
自身の眼で観察したシリウスのマナ。
それは、三級魔術士の称号に見合ったとても拙い――少量の湧き水が体内を緩やかに流れているような、魔術に目覚めたばかりの人間によく見られる凡庸なマナだった。
自身の見立てに誤りはない。
「決死の覚悟が……道を開いたというのか?」
けれど目下の現場は、ヴェリルに事の異様さを伝えている。
三級魔術士ができる事とは到底思えない。
マナの量で言えば自分と同等、操作の質ならば一級以上。
シリウス・ベルギアとは一体何者だ。
考えるほど、ヴェインの中で少年の存在が謎めいていく。
「リーゼも動かしてみる」
「なーに対抗意識燃やしてんだよ〜」
言って、リーゼは懐から取り出した自分の身長よりも大きな杖を地表に向け、瓦礫の魔術操作を試みた。
すぐに山の頂上にある石がカタカタと反応する。
釣られて二、三段下辺りの塊が動き出し、やがてゆっくりと浮遊し始めた。
「ンン〜〜〜っ……ふぅっ」
少し持ち上げたところで、リーゼはすぐに力を解除する。
「いや、何やり切ったみたいな顔してんだよ!」
「よく考えたら、掃除はリーゼの仕事じゃない」
「下手くそを誤魔化すなっての‼︎」
「相変わらず繊細な操作が疎かだな。俺も甘やかしている」
「少佐……リーゼに辛辣……」
リーゼの魔術操作は、氷山の一角を動かしただけに終わる、
骨の折れる作業、ということらしい。
三人は崩落の現場を引き返し、シリウスの運ばれた軍の駐屯地へと向かった。
視界には光が射し込んでいるのに、何故だかぼやけている。
深手を負ったのか、体中が痛い。
ズキズキと締め付るような頭の痛みもある。
徐々に意識がハッキリしてくると、シリウスは自分のいる場所がどこなのか分かり始めた。
石造りの家具も何もない簡素な部屋だ。
この視界の悪さは、擦り傷と埃だらけのガラス窓をボーっと眺めていただけのことだと分かり、やがて落ち着きを取り戻す。
「ッ⁉︎」
だが安堵したのも束の間、別の異常に気が付いた。
「鎖……なぜ私が拘束されて……!」
「それは貴様に共犯の疑いがあるからだッ! シリウス・ベルギア‼︎」
「なに⁉︎」
振り返るとそこには鉄格子があった。
見れば、自分が寝ているのも石畳に薄布を敷いただけの粗末な環境だったらしい。どれだけの時間が経ったのか知らないが、体中が痛むわけだ。
体をゆっくりと起こす。
シリウスの腕に繋がれた鎖が這いずり、冷たい音を鳴らした。
その根元がどこに繋がっているのか視線を手繰り寄せると、それは鉄格子の向こう――凛々しい顔つきをした女の足元から鎖が発現していた。
「調書を取る」
女の衣装には見覚えがあった。
ボタンを開けた白い外套の中、その下には皇国の青い軍服を着ている。
「軍の人か。今日はアナタのような人からやけに絡まれる」
「自覚はあるようだな。グリーンレイの街に入った魔術士は現時点で三名、そのいずれもがアカーシャ共和国の残党であることが確認された。貴様はどうだ?」
「調べれば分かること」
「偽っていないのかと聞いているッ!」
「うっ……⁉︎」
覇気のある声が牢へ響く。
同時に静電気に触れたような痺れが体中を走った。
痛みはすぐにどこかへ消えていったが、シリウスは誰かに見られている時のジットリとした気配が纏わりつくのを感じていた。
手首に繋がれた枷を見る。
そこには魔術の痕跡があった。
何か真偽を見抜く術だと、シリウスは直感した。
「ぶしつけに力を使うなんて、皇国の軍人は野蛮なのだなッ!」
「勘が良いな。痕跡が分かるのか」
「市民への魔術の使用は厳罰に値すると教会で定められて……うァッ‼︎」
シリウスを黙らせる為に、女は再び魔術を流した。
「黒い市民に対する尋問にそのルールは適用されない。だが、見たところ貴様に虚偽の心は無いようだ。魔術への抵抗もまるで無い。報告によると一級術士に相当する力を持っているみたいだが……見当違いだな」
「くそっ、こんな……」
「まあいいだろう。解いてやる」
そう言うと、シリウスの手首に繋がれた枷が勝手に外れた。
チャリチャリと音を鳴らしながら、鎖は一人でに石畳の上を這いずり回る。蛇のような動きで女の靴先から体の方へ登っていくと、太ももの上でとぐろを巻き、やがて小さな鉄球へと姿を変えた。
女はその鉄球を指で撫でる。
「私の魔術では白と出ている。が、貴様はしばらく不自由の身だ」
「家に帰る途中なのだ。待ってる人がいる!」
「そうだろう――今しがたそれを見たよ」
「……アナタは嫌な人だッ」
「これが私の仕事だ。出てこい、事件の調書も作らねばならない!」
鉄格子が開放された。
立ち上がると、体の節々が傷んだ。
通路を歩く。
空間に射し込む陽の光が濃い。
一体どれくらいの時間が経ち、あとどれほどこうやって縛られるのだろう。シリウスの胸中は不安で満たされている。
牢屋を出ると、そこは軍の庁舎だということが分かった。
制服に身を包んだ人間がたくさんいる。
彼らは忙しなく動き、何かの作業に追われているようだった。
「マキア・ラート大尉! 何をしているッ!」
と、建物の間を移動していた時、前方から男が声をかけてきた。
マキア・ラートとは目の前にいる女の名前のようだ。
「ヴェイン少佐。迎撃の任務ご苦労さまでした。街に入ったばかりなのに、災難でした」
「それはいい! その少年と何をしているのだと聞いている。尋問ならば我々第三旅団の仕事だ。好き勝手は止めてもらおう!」
向こうの方から歩いてきたのはヴェインだった。
彼には良い印象がない。
厳格な雰囲気を持つ軍人然とした彼の佇まいは、シリウスにとって居心地が悪かった。
マキア大尉の陰に隠れたが、視線が合ってしまう。
「起きたみたいだな。シリウス・ベルギア」
「……お陰様で」
鷹のような鋭い眼。
思わず視線を逸らす。
「その少年にはこれから尋問を行う。引き渡してもらおう」
「断ります」
「なに?」
断固としたマキア大尉の物言いに、ヴェインは顔をしかめた。
「私も騎士団の命を受けて、彼の調書を取っているのです」
「騎士団だと? 何故こんな地方都市に」
「騎士は正規軍ではありません。命を明らかにする義務は無い」
「マキア……!」
「大尉の称号を付けてください。ヴェイン少佐」
元々親睦がある仲なのか、しかし二人の間には現在大きな隔たりがあるような距離感だった。
故郷の島へ帰ることができるのは一体いつになるのか。
シリウスは罪人のごとく手足を縛られたこの状況に辟易とする。
空を見た。
今は正午を過ぎた頃だろうか。
馬車を拾うにはもう遅い。
シリウスの立つ庁舎の通路からは、緑の青々とした中庭が見える。軍の施設としては優雅な造りだった。傍にある意匠の彫られた支柱といい、元はどこかの領主が所有していた屋敷を居抜きで使っているのではないかとシリウスは考察する。
肌に馴染まない空間。
周囲にいる自分とは属性の違う軍人たち。
ここはまるで、息苦しい鳥かごのようだ。
「ム……」
ふと、気配を感じる。
反対側の通路にある人影――その誰かがシリウスをジッと見ていた。
暗がりに立っているので姿が分からない。
「見覚えが……」と思ったところで、軍の施設に知り合いがいる訳がないと考え直す。
向こう側の人物は口を引き結び、こちらを睨んでいるような表情を浮かべていた。
髪の色が――青みがかっている。
もしかしてと、シリウスは頭の中でブルー少尉を想像した。
彼女は、その後どうなっただろうか。
最後に見た時はボロボロだったが、確かに生きていた。
自分を助けてくれた人だ。あちこちを引きずられて行く前に、一度お礼を言いたいと思ったが――。
ぼんやり考えていると、目の前の二人がさっきよりも白熱していた。
「とにかくだ! 少年が潔白であるか、そうでないかは今回の現場に最も近かった俺たちが証明し報告せねばならない! 皇室直下にある騎士団の命令だからとはいえ、軍規を乱す行為は慎んでもらおうッ! マキア大尉!」
「皇国軍とでは命令系統がまるで違う! お前に私への指揮権は無い!」
二人は真向から対立する。
どこか、そう、痴話喧嘩を見せられているみたいだ。
故郷に居たローアン夫婦がこんな風に時折言い合っていた。
私は一体何に巻き込まれているのだと、シリウスは頭を痛くした。
「マキア大尉。そこまでにしておけ」
とある声にマキアの肩がビクリと上がった。
通路の後ろから靴音が一つ、こちらへ歩いていくる。
「アズール中佐……‼︎」
青い髪を持つ――端正な顔立ちをした色白の男だった。
ブルーと出身地が同じなのだろうか。
生来青い髪というのは、そう多くない。
衣装はマキアと同じ白い外套を羽織っていた。明るい所で見ると、左胸部には騎士団のエンブレムと思われる剣の装飾があった。この装いは騎士団の正式な衣装なのだろう。白地に金の刺繍があり、皇国軍とは違った高貴な印象を見る人に与える。
アズールが訪れた途端、二人の喧嘩がパタリと止んだ。
中佐――ということは二人にとっても上官にあたる。
「アズール・リアトリス中佐。遠路遥々、ご足労いただき」
「グリーンレイ襲撃事件は早急に収めたみたいだな。お見事だ」
「恐縮です」
上官を前に、ヴェインは額の位置に右手を持っていき敬礼をする。
騎士団は礼節に違いがあるのか、マキアは左胸のエンブレムに手を添えて深く頭を下げた。
「直れ」とアズールが号令を返すと、それぞれ敬礼を解いた。
「中佐。今回はなぜ、グリーンレイに?」
「ヴェインッ!」
「良い。数日前、周辺の土地にアカーシャ共和国の残存基地があり、騎士団でそこを叩いた。残党は南部へと逃げ込んだらしい。殲滅戦だよ」
ふと、その眼差しがシリウスへと向けられた。
感情の色がまるで無い瞳に、毛が逆立つような寒気を覚えた。
「そうでしたか。ですが、シリウス・ベルギアはその任務と何か関係が?」
「尋問のことか。うん、私が大尉に命令したのだが……無駄足だったみたいだ」
「と、言いますと?」
ヴェインは更に質問する。
「街へ同時期に入ってきた魔術士と聞いて、共和国側の人間だと勘繰ったのだけど――その子は二週間前、教会から認定を受けたばかりのようだ。認可の取得目的は南星島の地位向上」
「近くの沿岸部にある小さな島ですか」
アズールはここへ来るまでに色々と調べたらしい。
ようやく、話の分かる人物が現れたことで光明が見えてきた。
「シリウスくん。南星島は確か、羊皮紙と写本の製造をしているね」
「はい、その通り……です」
「私もそこの紙で本を作ったことがあるよ。あれは良いものだ」
色の無い顔に少しだけ柔らかな表情が見えた。
故郷のことを知っている。
それだけのことだったが、シリウスの緊張はほどけた。
「地位向上とは?」
追って、アズールが聞く。
シリウスは少し間を置いてから話した。
「魔術士の監督下にない製本元では、魔道書を作ることができません。小さな島だから、生産量も少ない……紙と普通の本を作るだけでは豊かにならない。だから私が魔術士の認定を得たのだ」
「そうか。とても良い心がけだ」
この人の前で公表しておけば、頭の固いヴェインとマキアの偏見も解けるだろう。
そう思い、シリウスは包み隠さず話した。
「だそうだ。その子の身辺に纏わる尋問はこれ以上必要ないよ、マキア大尉」
「ですが」
「君の魔術でも見たんだろう? これから別の場所で用事もある」
「……分かりました。皇国軍に任せます」
「ご協力感謝する。マキア・ラート大尉」
と、ヴェインは嫌みたらしく感謝を述べる。
「フンっ」
「それでは失礼する。故郷に帰れるといいね、シリウスくん」
「ありがとうございます……」
マキアを引き連れて、庁舎の向こうへと去って行く。
「?」
去り際、アズールはヴェインへと何か耳打ちをしていた。
とても聞こえるような音量ではない為、気にも留めなかった。
「少年。中佐はああ言ったが、事件当時について聞きたいことがある」
「構わないが……私は島に帰りたいのだ。今日はもう叶わないだろうが、なるべく早く済ませてほしい」
「ふむ……」
そこでヴェインは考え込んだ。
不穏な予感がしたが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「いいだろう。今夜中に馬車を手配する」
「本当かっ!」
「疑いがあるとはいえ、一方では街の危機と――俺の部下を救った張本人でもある。全部が終わったら、それぐらいの便宜は図ろう」
「それは、願ってもないことなのだ!」
「さっさと帰りたくば包み隠さず話せ、そういうことだ!」
言って、通路を先導する。
あの騎士団の男が現れたのは幸運だったらしい。
シリウスは前向きに捉えた。
意気消沈していたが、帰れると知って元気が出てきた。
南星島までの道のりは馬車で三時間ほど。
夕刻までに色々が終われば、彼女が就寝するまでには家へ着くかもしれない。
シリウスの長い一日にようやく終わりが見えた。
そう、予期していた。