『グリーンレイの戦い③』
「ガードが堅い! 水流の壁が術を弾いてやがるッ」
「アルデバ! 術士ではなくワイバーンを狙えッ! 図体のデカさを考えろ‼︎」
グリーンレイの西側では、四人の兵士たちが最初に転移してきた飛竜と交戦中だった。
指示を飛ばしながら、ヴェインが隊の前衛で戦う。
「どうした! はンっ、まるで紐に繋がれた獣だな!」
剣と牙がぶつかり合い火花を散らす。
ヴェインはあえて飛竜の顔の前に居座り、攻撃を誘い続けていた。
突進、噛みつき、薙ぎ払い、いずれの行動も剣一本で受け流す。
「陣形を使う!」
風を纏ったヴェインの体は、飛竜よりも速足で建物を伝い――ある場所へと進路を取った。
「お前ら、遅れを取るな‼︎」
「ギギャアッ! グガギ! ガアァッ!」
興奮しきった飛竜は、目の前を飛び回るヴェインに何が何でも一撃入れようと躍起になっている。彼らの術中に嵌っているとも知らず、戦いの舞台はグリーンレイの街を取り囲む外壁へと移動していった。
「俺の足が欲しいならば来いッ!」
誘いに乗ってきた敵を更に挑発した。
壁に到達する。
進路は無い。
それでもヴェインは足を止めず、進み続けた。
追い風を推進力にし、聳え立つ壁を蹴り上げ、駆け登っていく。
飛竜も続いて鋭く上昇――再び、ヴェインが追われる構図となる。
壁に到達してからの勝負は一瞬だった。
地上では足の速さで勝るヴェインだが、空へと飛翔していく縦の動きは飛竜に軍配が上がった。
ヴェインには重力がのしかかり、今度は振り返る余裕すらない。
間合いが詰まっていく。
「グガアッ」
大きな顎が開いた。
目障りな人間の肉を嚙みしめようと、舌がうねり狂う。
飛竜の熱い息が靴底に触れた時、ヴェインが満を持して指示を飛ばした。
「――捕縛陣形ッ!」
叫んだのと同時に空中で身を翻す。
迫りくる牙へと正面から立ち向かい、剣でガードする。
「んがァァァァッ‼︎」
飛竜の勢いを殺すようにして牙を刀身で食い止めた。力一杯押されながらもヴェインは両足を踏ん張り、足場を豪快に削りながら壁の上へと上昇していく。しかしこのままでは、ヴェインの体勢が崩れるのも時間の問題だった。受けた剣で斬り返すのは困難だ。飛竜の攻撃を受け止めることに力を注ぐ。
「「「レーヴ・バインドッ‼︎」」」
飛竜の速度が緩やかになった時――追っていた三人の兵士が一斉に術を唱えた。
杖が発光し、先端から巨大な鉄の杭が放たれる。
「ギギァァアアアアア⁉︎」
杭は飛竜の体中を貫いた。
空を飛んでいたはずの自身の体が突如として壁へと打ちつけられた事に驚き、飛竜は悲鳴を上げた。
首に、胴体に、大きく広げた両翼に、数本の鉄の杭が突き刺さる。
「よくやった」
「お見事です。ヴェイン少佐!」
まるで標本にされた蝶のように飛竜の体は拘束され、やがてもがくのを諦めて沈黙した。
ヴェインは鱗に覆われた大きな頭へと着地する。
背中に乗っていた襲撃者は未だ魔術によって水のベールを張り、その中で閉じこもっていた。
「皇国の犬共がッ!」
黒いローブの男が悪態をつく。
「詰みだ。共和国の残党兵よ。貴様らの狙いは地上でゆっくりと聞こう」
「は……この防護壁は完璧の守りッ! 外からは水流によって弾かれ、破ることは絶対に――」
男は自らの術を決して破れないものだと豪語した。
だが、言い終える前に水のベールへと横一閃に斬撃が繰り出され、外の水流ごと男の首が切り落とされた。太刀筋が消えるほどの速さ。体同様に、ヴェインの剣は風を纏っていた。
「なら、残りの襲撃者に聞くとしよう」
落下していく頭を追いかけ、事切れた男の体が落下していく。
西門側の襲撃は、ヴェインの率いる隊によって速やかに終息した。
一同は壁の上へと登り、そこで現在の状況を確認する。
「少佐。南側にもワイバーンが一匹。まだ交戦中のようです」
「誰が向かっている」
「リーゼとエンジスがすでに!」
「足りんだろうな。我々は二手に分かれ、外壁の上を二方向から進むッ! 転移魔術の陣が他にも残されているかもしれん、探し出すのだ! バカラは飛竜を見張れ」
「ハッ!」
「魔法陣が無ければ、南側の戦闘へ参加しろッ! ……ブルー少尉が見当たらないようだが?」
「あちら側で最後まで残っていたのが少尉です。恐らくは」
「教会の試作要員だ。面倒なことになるから、死なせたくはないが」
「そのつもりです」
「急げよ。……押し付けられた子守りも、楽ではないということか」
昇り始めた陽の光を受け止めながらヴェインはぼやいた。
表情は険しく、その心情はブルーに対して、厄介であるとさえ感じていた。
グリーンレイの外壁を一周するのにかかる時間は、馬の脚でおよそ二十分余り。
西側にいるであろうブルーの仲間と合流するには十分も掛からない。
だがしかし、亡竜との戦いは更に短い時間で片が付くだろう。
馬の脚よりも――亡竜の飛行速度は少しだけ速い。
全開で走らせたところで、数分後に追いつかれるのは明白だった。
「反撃しなくてはッ! けど……!」
ブルーに視線を落とす。
僅かな揺れにも、彼女は辛そうに呻いた。
魔術の発現には高い集中力が要る。
深いダメージを負いながらでは練度の高い術を唱えることは難しく、それに、ブルーは自分を守るための防御と反撃の為の術で、急激にマナを消耗していた。たくさんの血を失った今、無理に体を消耗すれば彼女の命は危ない。
戦闘経験が乏しいシリウスにとって、その辺の感覚はまるで掴めなかった。
これ以上、ブルーに魔術を使わせてはならない。
「私が何とかするしかない……やるしかないのだ……!」
逃げながら、亡竜を討つ。
他の兵士に見つけてもらうまでの数分間。
その僅かな時間に致命の魔術を――。
「ガギャウッ‼︎」
「うわ⁉︎」
三本の鍵爪が体の側面を掠める。
寸前の所で空を切った亡竜の爪は外壁へと突き刺さり、いともたやすく石を粉砕した。
「直撃なら、即死ッ」
かすっただけでも馬から落とされてしまうだろう。
一度足りとも食らうわけにはいかない。
攻撃は続く。
風を裂く音が鳴るたびに、血が青冷めていくのを感じた。
さらには狩りの要領を得たのか、亡竜の追撃は次第に激しさを増す。振り下ろされた二度目の攻撃は左半身のすぐ傍へ。三度目の攻撃が来る直前でタイミングを計り、馬を横へスライドさせて回避を試みたが――鋭い爪先はとうとうシリウスの腕へと浅い傷を入れた。
「ぐっ……こいつ、距離感をもう……ッ‼︎」
掴み始めている。
いくら走れど、西門はまだ見えてこない。
焦り、苛立ち、何の策も講じることのできない自分に無力さを覚える。
シリウスに備わった魔術といえば、キャラバンの隊員が箱に潰されるのを防いだ時のような物質への干渉。
襲撃者が使った石を槍上に生成して射出する術や、ブルーが何もない所へ発現させた氷といった、体内に循環するマナを自然元素に変換して発生させる魔術はまだ履修していない。
基本的な魔術操作しかできないのだった。
三級魔術士という称号は――素養があると認められただけの状態。
つまりは直接的な攻撃手段が無い。
戦場に於いては何の役にも立たないのが、現実だった。
「うぅ」
ブルーが痛みに喘ぐ。
似たような形をした壁の景色が、時の流れを永遠にさえ思わせた。
「ごめんなさい……アナタをこんなことに」
朦朧としながら、ブルーは語り掛けてきた。
「巻き込んでしまってか? 違うのだ、これは私が進んでやったこと」
「うっ……少しだけ肩を貸してもらえますか?」
「何を!」
「時間を稼ぎます」
「術を使えるのか、その体で」
「倒すほどの一撃は無理ですが、アナタを守る壁ぐらいなら」
「そんなことをしたら」
震える体を起こしながらブルーは肩にしがみつくと、後方に迫る飛竜へ杖を向けた。彼女の杖に漂っていた冷気は、今やほんの少しの雪の結晶となって舞う程度の気配しかなかった。
それを見て確信する。
余力はもう残っていない。
シリウスは肌に――彼女の中に内包されたマナの躍動を感じていた。
とても弱々しく、今にも消えそうなマナを。
次に放つ魔術はブルーに致命をもたらす。
それが分かっていながら、自身の命を使って魔術を発現しようとしている。
「よせ! よすのだ! そうまでしてなぜ、自分を犠牲にッ!」
「きっとアナタにも分かる時が来ます」
ブルーは息を整えて、杖の先に力を集中させる。
「私は市民を守る――皇国の魔術士です」
「…………っ」
その言葉はシリウスの心を揺さぶった。
「ギギァアアアアアアッ‼︎」
亡竜が吼える。
頬の裂けた口が、シリウスの体を正確に捉えた。
「ストーム・エル・ヒルデ‼︎」
トップスピードで突っ込んできた亡竜だったが、ブルーの杖から吹き荒ぶ氷雪の嵐によってその勢いは殺される。しかしすぐに――ブルーの体力の限界がきた。嵐を起こす魔術は飛竜の侵攻を食い止めていたものの、術の勢いが徐々に弱くなっていった。
「ブルー少尉ッ‼︎」
雪のように解けていく。
彼女の体から生命力が失われるのを感じた。
人の死が間近にある。
ブルーの意志が――シリウスの覚悟を突き動かす。
「殺させないッ」
気付けば自然と、前方に右腕をかざしていた。
シリウスは脳裏にとある景色を見た。
暗闇に灯る小さな火。
火は激しく燃焼し、次第に大きくなり、力強い炎へと燃え上がっていく。
それは魔術を発現させる時に起こる力のヴィジョンだった。
「ぐぐ、グ……グギギッ‼︎」
はち切れんばかりに力を込め、歯を食いしばった。
体の中でマナが巡り始める。
かざした右腕。
骨が震え、表皮が沸き立ち、その熱は手の平へと伝わり、指先へと力が充満していく。
シリウスの鋭い眼光の先には――聳え立つ外壁があった。
頭の中を駆け巡ったのは。
あそこへ高く積まれた無数の石を剝がすようなイメージ。
シリウスは魔術操作で壁を動かし、それによって亡竜を押し潰そうとしていた。
これほど巨大な物体にマナを注ごうと試みたこと、ましてや実行できたことは一度も無い。けれど、シリウスが自らの意志に込めた力、絶対に彼女を救ってみせると強く念じたその魔術は、並大抵の術士では到底不可能な質量の山を――遂には動かした。
グリーンレイの街に地鳴りが響き渡る。
壁がうねり出し、石が一つ、また一つと剥がれていった。
シリウスが込めた力に耐え切れず、上部から次々と崩落を始めた外壁は、そのまま重力に則って落下していくのではなく――自由落下をピタリと止め、シリウスの魔術操作によって中空へと浮遊した。
「そんな、これほどの……」
ブルーは思わず目を丸くした。
視界一面を覆う石の波。
濁流を起こした水のごとく上空から押し寄せた無数の瓦礫は、容赦なく亡竜の巨体へと打ち付けられた。
「おおおおおおおォッッ‼︎」
シリウスの黄金色の瞳が強く光る。
外壁を引き剥がして作り上げた石の津波へと、ありったけのマナを注いだ。
「グギッ…………」
圧倒的な質量を前に亡竜が沈む。
直撃を避けられなかった亡竜は顔や翼をもがれ、押し潰される。
グリーンレイの街には、降り注ぐ瓦礫によってしばらく小さな地震が続いた。
後には、向こう側にある街の景色が丸分かりになってしまうほど壁が剥がれ落ちてしまい、騒ぎに飛び起きた住人たちが何が起こったのか分からぬまま、呆然とその惨状を眺めていた。
「ハァ、ハァ、ハァッ……‼︎」
息を切らしながら、崩落のあった地点を早足で抜ける。
馬を止めたところで。
シリウスの体は地面にズルリと落ちていった。
「わっ!」
外套で一緒に括り付けられていたブルーも引っ張られ、シリウスと共に落下する。ボロボロになった二人はすぐに起き上がる気力すら残っていないのか、下界のことなどお構いなしに澄み渡るグリーンレイの空をしばらく見ていた。
シリウスはふと耳の中に、誰かの鼓動の音を聞いた。
「生きてる」
それはブルーのものだった。
ゆっくりとだが着実に一定のリズムを保っている。
マナの消耗による生命の危機は去ったようだ。
そこで初めて、シリウスは彼女を守ったのだと実感した。
「はい、生きています。私が守るはずが、守られてしまいました」
「君の無謀を止められてよかったのだ」
「弁解の余地もありません。感謝します――シリウス・ベルギア」
ブルーは安心して微笑む。
周囲は今までの出来事が嘘のように、穏やかな朝の音で包まれている。
こうしてグリーンレイの街を襲ったワイバーンの襲撃は、完全に終息を迎えた。
ブルーが体を起こそうともがく。
「あの……シリウス様……そろそろ私の仲間が救援に来るはずですので、その、羽織りを外して欲しいのですが……血を失い過ぎたのか体に力が入らなくて…………あの、聞いていますか?」
シリウスからの返事は無かった。
目を閉じたまま動かない。
マナの激しい消耗に耐えきれず、なりたての魔術士が疲労で気絶してしまうのはよくある事例だった。
始めはそうだとブルーも考えていたが。
「はっ⁉︎」
だがそれよりも、何か別の異常を感じ取る。
シリウスの体をつぶさに見た。
胸が上下していない。
ブルーは飛び起きて、自分の耳をシリウスの心臓部へと近づけた。
「そんな、心音が、聞こえない――」