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『国家反逆罪』

 打って変わって、周囲の温度が異常なまでに高い。家の方へ近づく毎にむせ返るような煙の匂いが鼻を刺した。宙に舞う木の葉には燃焼の痕があり、やがて大半は黒い煤へと変わっていく。雑木林を駆け抜けると、肌にぶつかる熱風に顔を歪めた。


 青い光の正体にシリウスは愕然とする。

「ハーデンッ! どこにいるハーデンッ‼︎」


 凄惨な光景が目に飛び込んできた。

 轟々とした青い炎にシリウスの家は飲み込まれていた。

 もはや取り返しもつかないほどに燃え盛っていて、シリウスはただハーデンの所在を叫ぶ事しかできない。


「そんな」

 後から追いついたブルーも言葉を失う。

 家の材質である石をもボロボロと溶かし崩すその青い炎は、自然の現象などではなく、明らかに魔術士が起こしたものだった。


 ブルーは咄嗟に杖を構える。

 火を消化しようとすぐさま水系の魔術を唱えたが、放たれた水の塊は一瞬にして蒸発していく。杖を持つブルーの腕がだらりと落ちた。この魔術を打ち消すイメージがまるでできない――尚もうねり狂う炎を前にブルーは絶望した。


「こんな炎ッ……」手をかざす。

 聳え立つ外壁を動かした時のように、シリウスは目の前の炎をどうにかして家から退けようと炎への魔術操作を試みた。

 壁ほどに巨大ではない。

 炎を丸ごと鷲掴みにするイメージで力を込める。


「いけませんッ‼︎」

 ブルーが必死に制止した。


 だが止めるのが一歩遅かった。

 シリウスの力によって一瞬、炎はその頭を抑え込まれるようにして勢いを弱めたものの、すぐに荒々しく反発し、建物を燃やす事に徹していた火力をシリウスの方へと向けた。火は渦を巻きながら空中を走り、牙を剥いた獣のごとき形相でシリウスへと襲いかかる。


「ウォール・リュナク!」

 連なる氷の壁が衝突を阻んだ。


 同時に作り出すことが可能な最大量である五枚の壁を発現させたブルーだったが、それでも防ぐことは無理だと直感し、並行してもう片方の手でシリウス自体を動かした。


「うあっ⁉︎」シリウスの体が後方へと吹き飛ぶ。

 氷の壁は一瞬で溶かされ、辺りに火の粉が四散する。

 その青い炎は残滓でさえも周囲の草木をみるみる内に焼き尽くしていく。


「くっ……!」

 シリウスの右手は火に触れていないにも関わらず、軽い火傷を起こしていた。


「ハァハァ……アレはあまりにも強力です! 避難を!」

「まだ中にハーデンが居るかもしれないッ! 探さなくてはッ‼︎」

「そうですが、こんな狂暴な魔術……」


 彼女を探そうにも、火の手があまりにも強く、中の様子を伺う事すらできない。

 崩れ落ちた窓枠の向こうは炎で満たされており、室内から発火している事が分かる。


 やがて、ガラガラと二階部分の建物が倒壊し始めた。

 さっきまで過ごしていたリビングに当たる場所が押しつぶされる。


 手料理で満たした鍋や三人で食卓を囲んだテーブル、お気に入りの皿、壁一面に掛けられたインクの材料、画材、ハーデンの小さな工房まで、シリウスの思い出の詰まった場所が瞬く間に燃やされていく。


 そして、一番大切な人がどこにもいない。

 家の外には気配を感じなかった。


 もしあの中に居るのならば、もう助からない。

 シリウスの頭は真っ白になった。


「おおおォッ‼︎」

 落胆で肩がガクリと落ちた時――窓の一つを黒い影が突き破った。

 見れば、中から飛び出してきたヴェインが腕の中にハーデンを抱えている。


 ハッとしてシリウスは立ち上がった。

 地面へと転がる二人は息も絶え絶えにうずくまっていたが、命に別状は無いらしい。いち早く息を整えたヴェインは立ち上がり、そして剣を抜いた。切っ先はなぜか荒れ狂う炎へと向けられている。


「アズール中佐ッ! これは紛れもない軍規違反だ。無抵抗の市民へ魔術を放つ行為は重罰に値するッ!」

 ヴェインの声には怒気が含まれていた。


 それを嘲笑うかのように、不遜な笑い声が響く。

「フッハッハッハ――!」

 焼け落ちた建物の中に人影があった。

 その人物は炎を物ともせず、悠然とこちらへ歩み寄り、やがて姿を現す。


 清浄を表す騎士団の白い衣装、青みがかった髪、感情の色の無い瞳。

 確かあれは、昼間にグリーンレイで出会った男だとシリウスは思い出した。


 けれど、何故こんな場所に居る――魔術を放ったとはどういう事なのだと疑問が巡る。

 アズールは傲岸不遜に笑う。


「しかしその市民が……国家反逆を企てる咎人の場合、魔術の使用は正当である。ヴェイン・アンブル少佐」

「彼女は潔白だ! そのような人間ではないッ!」

「どうかな? 古い馴染みのようだが、こちらの知る所ではない。ハーデン・ベルギア及びシリウス・ベルギアの両名。我々騎士団が身柄を拘束する」

「何を根拠に……ッ⁉︎」


 ヴェインが反論しようとすると、青い炎が鞭のようにしなり襲い掛かった。

 反射で切り払う。

 先端部を失った炎は消沈する。

 仕掛けられると予想していなかったヴェインは驚いたが、その体はすぐさま臨戦態勢へと入った。


「皇帝陛下より賜った命令だ。大人しく引き渡してもらおう」


 炎は更にうごうごと動き出す。

 幾本もの太い触手が生成され、まるでクラーケンを模した形貌となった。

 その矛先はシリウスにも向けられている。


「ヴェイン少佐! これは一体どういう事だ。あの男は何を言っている⁉︎」

「少年よ。貴様、自分が兵器であるという自覚は?」

「は? あるわけないだろう! バカげた事を聞くなッ!」

「ならばさっさと先生を連れて島を脱出しろ。騎士団は目的の為ならば、理不尽も通すと忠告した!」


 ヴェインの眼は本気だった。

 理由は分からないが、逃げるしかないという事だけは理解できる。


「ハーデン!」と、彼女の名前を呼ぶ。

 だが反応は鈍く、地面に膝を着いたままぐったりとしている。

 煙を吸い込んだのだろうか。

 焦点が定まっていない。

 抱えてこの場を去るしかないと思い、シリウスは駆け寄った。


「逃亡は不可能だと言っておこう!」

 アズールの号令と共に炎の触手が乱舞する。


 ハーデンを守るヴェイン、そこへ向かうシリウスへと波状攻撃が繰り出される。シリウスには反撃の手立てが無い。炎が眼前に迫り、直撃を覚悟したが、四方八方から振り下ろされた幾本もの触手は全て同時に切断され、力無く霧散していく。


 視界には、凄まじい速度で宙を舞う人の残像が見えた。

 風が吹き荒れる。


 広範囲に及ぶ波状攻撃をヴェインは全て斬った。

 風を纏っての高速移動と斬り付け。

 単純だが、その動きはあまりにも常人離れしている。

 しかし今の剣舞は消耗が激しいのか、肩が激しく上下している。


「ブルー少尉、二人を援護しろッ!」

「了解しました……!」

「少佐は⁉︎」

「足手纏いがいたのでは満足に戦えない。行けッ!」


 退路を守るようにして、燃え盛る炎を前にヴェインが立ちはだかった。

 その背中には有無を言わせない気迫を感じる。


「すまない! ハーデン立てるか?」

「……ええ。海上橋へ……」

「魔術を使ったのかッ」


 ハーデンを背負い、崖沿いのルートから島の外を目指した。

 暗雲が月を隠す。

 憔悴仕切ったハーデンの様子に不安が募る。


「シリウス様……ハーデン様のこの症状はまるで」

「体内のマナが失われている。ハーデンは過去に、自分の杖を修復できない程に破壊してしまったのだ。だから急激なマナの消費に体は耐えられない。恐らくあの騎士団の男と争って、魔術を使ってしまったのだろう」

「そういうことでしたか。けれど、アズール中佐が何故ここに……」

「少佐は何か訳知りのようだったが?」

「私にも分かりません。この島へ来たのは、ただの護送で、こんな事になるなんて」

「……意地悪を言った」


 ブルーの表情は見なくとも分かった。

 思わず責めるような言葉を口にしてしまったと、反省する。

 今のシリウスに心の余裕は無かった。


 権威ある魔術士の力は災害そのものである。

 シリウスはその事実をまざまざと体感した。


 最初からあの場に居たとして、何もできなかっただろう。アズールという男の暴挙に加え、家を失い、故郷から逃げなくてはならない状況にまで突如として落とされた。正に災害。何よりも心配なのは、ハーデンの事だった。安静できる場所へ行かないと更に衰弱していく。何からすればいい。どこへ向かえばいい。どうしてこんな事に――降り掛かる理不尽に対してシリウスは酷く混乱していた。


 戦いの余波なのか、近くの森林がザワザワと揺れる。

 視界の端に溜まる暗闇、いくら走ろうとも付き纏う気配、体に絡みつくぬるい風。


 神経が過剰になっていくのを感じた。

 背後に迫る恐怖から逃げるように足を動かし、ようやく島を渡る海上橋が見えてきた。


「私たちの乗ってきた馬車が村の入り口にある筈です。それを使いましょう」

「ハーデンの容体が心配だ! 呼吸が浅い。回復術士の手がいる!」

「思い付くのはグリーンレイの街ですが……あそこにはまだ騎士団が駐留しています。二人の手配書がもし出ているのだとしたら……向かうのは得策ではありません……」

「だが、どこへ行けばッ!」


 ハーデンの状態を診るに、民間の医者では対処できないとシリウスは判断した。

 魔術の造詣が無い者にマナの状態を測ることは難しかった。


 グリーンレイ程の大きな街へ行けば確実だが、捜索網に引っかかればひとたまりも無い。

 シリウスは狼狽えた。

 そんな動揺を感じ取ったのか、ハーデンが身じろぎうめき声を上げた。


「ホワイトサンへ……」

 と、町の名前を呟く。


「なんだと? しかし、あんな辺鄙な町に術士なんて……」

「私の……古い友人が、あの町に滞在している。彼を頼って」


 それだけ言うと、再びシリウスの肩へと頭を乗せ、疲れたように浅い呼吸を繰り返した。

 ホワイトサンは――南星島から海岸線沿いに北上した場所にある小さな漁師町だった。馬車で向かえば二時間程度。シリウスが危惧したように魔術士とは所縁もない町だったが、今の状況でグリーンレイへ行くよりかはマシだろうと思った。


 そもそも選択の余地は無い。

 とにかく急いだ。

 島の外周をグルリと回り、やっとの思いで村の入り口に辿り着いた。


 シリウスはそこで異変に気付く。

 もうとっくに村は寝静まる時間にも関わらず、民家の灯りがほとんど点いているのだ。


 見れば、島民たちがぞろぞろと外に出て、一様に遠くを眺めていた。

 怯えたようにヒソヒソと声を潜め、目には不安の色を映す。


「少佐……っ」

 ブルーが小さく悲鳴した。

 小高い丘の先――青い炎が宵闇を裂くかのごとく炎上している。

 それはとても禍々しい光だった。


「シリウス!」

 ふいに、男の声に呼び止められた。

 人だかりを縫って、向こうの方からムラオサが現れた。

 酔いが回っていたはずの顔が青ざめ、不自由な足で駆け寄る。


「ハーデンはどうした……?」

「魔術を使ってしまったのだ。体調がよくない。これから近くの町へ運ぶ」

「お前は無事なのか⁉︎」

「私は何ともない。それよりも、島のみんなが心配だ」

「なぜ魔術士がこんな所で戦いを……! アレは一体なんじゃ⁉︎」


 会話の隙間で、地面を揺らすほどの衝撃が響く。


 木々がなぎ倒され、腹を突くけたたましい鳴りに島民からは悲鳴が上がった。

 戦闘区域がさっきよりも広がっている。


「騎士団の一人が私とハーデンを捕らえる為に暴れ始めた。今はヴェイン少佐が食い止めている。みんなを連れて島を一度離れるべきだ、ムラオサ! 被害がどこまで広がるか分からない!」

「むおォ……あい分かった。皆を避難させるのが先決なのだな? ならばすぐに始めよう」

「すまない」

「馬鹿者ッ、お前が謝ることではない! はよう馬車へ」

「……恩に着る。行こう、ブルー」

「いいえ、私はまだ残ります」

「なぜ!」

「住民の避難が済むまで、島を出ることはできません」

「しかしその体では……」


 まだ治り切っていない体で無理をしているのだろう。

 ワイバーンとの戦闘で負った傷が開き、包帯には血が滲んでいる。


「自分の体の状態はよく分かっています。無茶はしません」

「戦ってはダメだ!」

「誘導が終われば私も退避します。さあ行って」


 ブルーの表情は勇敢な兵士のものになっていた。

 使命を全うしようとする人間に対し、水を差す言葉など掛けらるはずもない。


 シリウスはグッと言葉を飲み込む。

 ちょうどその時、ムラオサが急いで馬車を引っ張ってきてた。


 顔の白くなったハーデンを荷台へ乗せて安静にさせる。海上橋に馬の鼻を向け、ホワイトサンの町へと進路を取った。心残りなのは、ブルーとこんな唐突な別れになってしまった事だけだ。シリウスは最後に彼女の方へ振り返る。


 そこには背筋を伸ばし敬礼するブルーの姿があった。

「どうかご無事で、シリウス」


 それだけ言うと踵を返し、ブルーは大声で避難を呼びかけながら村の奥へと走り去っていった。

 手綱を握る手に力が湧いてくる。


「必ずまた会う――!」

 ハッと、短い発声の後、馬は緩やかに速度を上げた。


 蹄鉄がコツコツと鳴って、橋の石畳を叩く。

 島での戦いが嘘かのように波はとても穏やかだった。


「全部元通りになる……全部……」

 シリウスは一人そんなことを呟いた。


 よからぬ考えが思い浮かぶ。

 自分が魔術士になった時から、何か、景色が目まぐるしく変わっていくような気がしていた。

 それはただの杞憂で、不運が続いているだけだと思いたかった。


 悪い予感を取り払うように頭を振るう。

 またすぐに帰ってくる。

 青い閃光に侵された故郷の島へ約束した。


 荷台のテントで眠るハーデンがそっと眼を開いたのは、その時だった。


 空から一筋の流星が降り注いだ。

 シリウスがそれに気付いたのは、流星が橋に衝突し、周囲の足場を砕いた後だった。


 けたたましい音が炸裂する。

 橋の一部が崩落し、強い衝撃にシリウスの体は投げ出された。


 歪む視界と、遠くに聞こえる馬の嘶き。

 朦朧とした景色の中――青い炎を背にした人影が見えた。

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