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『世界を見渡す場所』

 シリウスがブルーを連れて向かった先は家の裏手にある場所だった。

 雑木林を抜けたそこで、二人の視界を遮るものは無くなる。


 島の切れ目。

 黒い海がどこまでも広がり、水面には欠けた春の月が眠たそうに浮かんでいる。


「キレイな眺めですね。ここが見せたかったという?」

「ああ、世界を見渡すことのできる場所だ」

「世界を」

「島のみんなはそう呼んでる」

 天上の月明かりが波間に光を落とし、銀色のカーテンを揺らす。


「あまり崖側には立たない方がいい。その昔、崩落があって脆くなっている。……中央に行くまでは、この場所で魔術の修行をしていたのだ」

「確かに。とても集中できそうです」

「だろう? 色んな音がするけど、自分とは無関係に通り過ぎていく。だからこそ落ち着ける。物心ついた時から――私が安心する場所はあの家と、なぜかこの景色だ。もしかするとハーデンが赤ん坊の私にこの眺めをよく見せていたのかもしれない。朧げだがそんな記憶がある。どこへ行っても、必ず帰ってくる場所のような気がしてならないのだ」


「心象風景というものですね。私にもあります」

「北部の故郷か……あ、いや」

 シリウスは口を突いて出た言葉を止めた。

 彼女の故郷はすでに無いことを思い出す。


「大丈夫です。幼い頃の不鮮明な記憶ですが、そういう風景は私の中にもあります」

 そう言ってブルーはそっと眼を閉じた。


「しばらくこうしていると、瞼の裏に浮かんでくるんです。三角の屋根に積もったフカフカの雪や、故郷の町を覆う白い山脈。暖かいスープも。昔は思い出す度に悲しい気持ちになりましたけど――魔術として発現してからはいつも傍に居る気がするから、だから、大丈夫なのです」

「ブルーは強いのだな」

「少しだけ寂しくなる時もありますけどね」


 二人はどこまでも続く黒い海を眺めた。

 水平線の向こうからやってきた風が髪を浚う。

 穏やかな時間だった。


「そうだ! 今ここで魔術の手解きをしてくれないか」

「えっ、私がですか?」

「杖の発現も、元素への変換もできるのだろう? こんなに打ってつけの先生は居ない! ハーデンはもうしばらく修行を渋るだろうから、ブルーに教えてほしいのだ!」

「でも、人に教えたことなんて……」


 少し戸惑った後、ブルーは決心した。

「いいえ、分かりました。私に伝えられることがあるのなら」

「本当かっ! さっそく頼む!」

「では、両手を出してください」


 ひんやりとした海風を横顔に受けながら、二人は向き合う。

 シリウスはブルーに習って胸の下へ両手を差し出すと、水を掬うような形を作った。


「力を抜いて……まずは基本のおさらいからです。魔術とは、私たちの中にある想像の世界を発現させる力です。自分の想像を疑ってはいけません。今ここに現れるものと信じる心が、魔術の発露になります」

「うん……」ブルーの言葉を頼りにイメージを始める。

「思い浮かべて、ただ手の平へと乗せるだけです」

「手の平へ……」


 シリウスは思いつく限りのものを生み出そうと試みた。

 身近なものから想像していく。

 逆巻く風。

 湧き出る水。

 空に浮かぶ白い雲。

 地面に転がる石ころ。


 しかし待てども、それらの元素が一向に現れることはなかった。


「まだ雑念が多いようですね」

「……ハァ。教会の講義でも一人だけできなかった……正直、苦手意識が付いてしまっている」

「ここには私とシリウス様しかいません。だから大丈夫」


 シリウスの手には汗がじっとりと滲み、強張っていた。

 できないことへの焦りや困惑が見て取れる。

 その震えを包み込むようにして、ブルーは優しく手を添えた。


「こんな方法はどうでしょう? シリウス様が大切にしているものを一つだけ想い浮かべて」

「大切にしているもの……」

「記憶を辿ってみるのです。必ずあります」

「うん」


 助言を信じ、少し考えてから、ブルーが先程そうしたように目を閉じた。

 瞼の裏には暗黒が広がっている。

 耳に飛び込んできたのは風の音と絶えず押し寄せる波の音。


 それから、手に添えられた体温を感じた。

 とても安心する。

 次第に緊張が解けていって、シリウスは更に心の中へと意識を投げ入れることができた。

 そうしている内に周囲の音が遠ざかっていった。


 ブルーの言っていたことを反芻する。


 大切にしているもの、大切にしているもの――何度も言葉を繰り返していると何かに触れる感触がした。綿毛のように繊細で、今にも消え入りそうだ。シリウスはその感触を必死に手繰り寄せた。形や色をイメージすることだけに没頭すると、手の中のものは徐々に陽だまりのような熱を発し、ぼんやりとした形が浮かんで、色づき始めると――ようやくその正体に気付いた。


 瞼の裏に一粒の光が灯る。

 種火だ。

 小さな頃から傍にあったもので、自分を育んでくれたもの。

 そのイメージへと辿り着いた時、シリウスの魔術は発現する――。


「シリウス様……‼︎」

「これは」

 開けると、目も眩むような橙色の光が飛び込んできた。

 二人の手に支えられるようにして息吹を上げたその火は、小さいながらも力強く燃えている。


「やった……! できた!」

「はいっ」

 魔術としての完成度は拙い。

 小さくて弱々しい光だが、確かに火は燃えている。

 子供のようにはしゃぐ姿にブルーの顔がほころぶ。


「ハーデン様と同じですね」

「はは……そうか、どうして真っ先に思い付かなかったんだろう」


 シリウスは火を見て思う。

 自分の事は案外分からないものだと。


 まだ頼りない火だが、昔からよく見ていた彼女の魔術と似ている。

 シリウスはその才能に目覚めてから初めて、目に見える魔術を発現させたのだった。


「ブルーに頼んでよかった」

「それは何よりです」

 程なくして、火はゆっくりと消えていった。


「あっ……集中していないとすぐ消えてしまうな」

「初めの内はこんなものです」

「たくさん練習しないとだな」

「魔術士の一生は弛まぬ鍛錬と果てしない探究です。ハーデン様の言っていたように、魔術士になったことで欲に溺れていく人間は一定数存在します。力は人を簡単に堕落させてしまうのです。けれど、最初の時のその感覚を忘れなければ、いつでも原初に立ち返ることができます」

「肝に銘じる」

「どうか忘れないでくださいね。私の事も」

「ブルー……」


 ここにきて初めて、ブルーは自分の中にある気持ちを素直に打ち明けた。


「私は皇国の軍人です。戦地へと赴き、争いを治め、できる限りたくさんの人々を守る事が私の使命です。だから、この島が平和であるのなら留まる理由はありません。シリウス様――アナタの瞳はとても純粋です。きっと良い魔術士になります。いつかまた会う時まで、どうか元気でいてくださいね」


 ブルーの言葉に胸が詰まった。

 シリウスも同じような事を感じていた。

 彼女は良い魔術士だと。


 お互いに感じていたそんな気持ちが二人の波長を合わせていたのだろう。

 別れの前に、この景色を一緒に見ることができて良かったとシリウスは心から思った。


「ああ、絶対に忘れない。約束だ」

 言って、シリウスは小指を差し出す。


 それはいつの時代からか伝わる約束事を交わす際のおまじないだった。

 ブルーは微笑んで応える。


 小指が重なり合おうとしたその時だった。


「は……?」

 ゴウっと――。

 凄まじい熱気が疾走し、二人の体を打ち付けた。

 雑木林の向こう――家の方角から青い光が迸る。


「なん、だ……ハーデンッ‼︎」

「シリウス様っ!」


 その不気味な光にシリウスは嫌な感覚がした。

 考える間もなく走り出す。

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