水陸両用の名将:戚継光⑪
〇【戚継光、ふたたび南へ!~昔話は耳栓つけて聞け!?~】
「南方かぁ……また倭寇退治とは、人生って忙しいな」
福建と広東に派遣される命令を受け取った戚継光は、苦笑いしながらも旅支度を始めた。
あいかわらず国境は騒がしく、海の向こうからは不穏な波が押し寄せてくる。
「おいおい、広東に着いたらまず飯な? それから倭寇退治ってことで、よろしく頼むよ」
部下たちが冗談まじりに言う中、ただ一人、顔を真面目にしていたのは戚継光本人だけだった。
「そういえば、南には……あいつがいるんだったな……」
あいつ――そう、俞大猷。あの「話が長い」伝説の男である。
◆ ◆ ◆
「よっしゃああ! 待ってたぞ戚継光!!」
港町に到着するなり、山のような声で迎えてきたのは、期待どおり、いや期待以上に元気な俞大猷であった。
「……先輩、まずは耳にやさしくお願いします……」
「なにを言うか! お主とワシが出会ったのはな、あれはもう二十年前――」
「出たな、“話が長い”モード!」
俞は大声で昔話を始めるが、話が始まったが最後、終わりが見えない。しかも自慢が九割、誇張が一割。
「……ワシが若いころは竹一本で倭寇百人を――」
「それもう十回は聞いた!」
しかしこの俞大猷、実力は本物だった。地元の兵たちや水軍をまとめ、補給線まで整備してくれた。
「口は災いの元だが、知恵は役立つ……うーん、なんとも言い難い先輩だな」
とはいえ、倭寇との戦いは日々(ひび)激しくなる。
彼らは海上を自由自在に動き、村を襲い、物資を略奪しては逃げる。
戚継光は考えた。
「正面からぶつかっても、あいつらは逃げ足が速い。ならばこちらも“動ける陣”を組む!」
そうして誕生したのが、あの有名な“鴛鴦陣”。兵士たちを組にして、魚のように動き、敵を囲んで一網打尽!
「見たか、俞先輩! これが若さの力ってやつです!」
「うむ、ワシが若いころも似たようなことを――」
「もういいですから!!」
◆ ◆ ◆
その後、戚継光と俞大猷の連携は冴え渡り、福建と広東の倭寇は見事に一掃された。
「よくやったな、継光!」
「ありがとうございます、先輩も意外と役に立ちましたよ!」
「むっ、意外とはなんじゃ! ワシの頃はな、竹と筆一本で――」
「はい、耳栓装備っと!」
そして今日も、どこかで俞先輩の自慢話を聞き流しながら、戚継光は平和の海を守っている――。
〇「倭寇どもに波乗りパンチを!」
嘉靖四十二年──海は今日も荒れていた。
「来たわよォ! あのイカした帆船! どうせまた村上武吉のイケイケ集団ねッ!」
高台の見張り場で、林悦が黄色い声を上げた。相変わらずのオネエ口調に、周囲の兵士たちは「また始まったか」とばかりに小さくため息をつく。
「林悦、お前の声が一番船に届いてるぞ。敵が笑ってるじゃないか」
童元鎮は腕組みしながら、半分あきれ顔でツッコミを入れた。
そのとき、後ろからズンと響く足音とともに現れたのは、鎧ピカピカ、眉毛バシッ、ヒゲもビシッの男。
「おう、笑ってるヒマがあるなら船を沈めろ、うちの兵たち!」
戚継光、登場である。
この海域で暴れていた倭寇たちを、もう何度追い払ったか分からない。しかし今日の相手は、あの村上武吉率いる精鋭。なにせ「海賊王になる」とか叫びながら船出した、ちょっと痛いカリスマである。
「将軍、敵船、三十隻ほど接近中です!」
「ほう、やる気マンマンだな。よろしい、ならば海戦だ!」
戚継光は背中の剣をぐっと背負い直し、海岸線の崖の上から、風になびくマントをバサッ。
「これより、波乗りパンチ作戦を発動する!」
「……あの、将軍。その作戦名、正式なんですか?」童元鎮が困った顔で聞く。
「うむ、なんとなく強そうだろう?」
「いや、なんとなくって……」
そこへ林悦がウキウキと近寄ってくる。
「ねえん、隊長ぉ♡ わたしの船、ピンクに塗っていいかしら? 目立った方がオシャレでしょ?」
「やめんか。戦場だぞ戦場!」
作戦はこうだ。敵の船を引きつけつつ、沖合に隠しておいた小舟で左右から包囲する。中央の船は囮であり、船の下には火薬を仕込んである。
「敵が通りすぎた瞬間、ドーンといくぞ!」
もちろん、説明役は童元鎮。こういうのは真面目な人間の仕事である。
「よーし、林悦、そっちの旗振り頼んだ!」
「まっかせて~ん♡ でも旗、ヒョウ柄にしていいかしら?」
「いいから普通の使え!」
やがて、海の向こうに白い帆が近づいてきた。村上武吉の船団である。先頭の船には、金ピカの鎧を着た、やたらテンションの高い男が立っていた。
「よーし、突撃ィ! 明のヤツら、全員カモメのエサにしてやるわああああ!」
「うるせえわ!」と戚継光が叫んだ瞬間、中央の船がガバァと火を噴いた。ドッカンと爆風、舞い上がる海水。
「なっ……爆弾!? やりやがったなァあ!」
村上武吉が泡を食って指をさすが、時すでに遅し。
左右から現れた小舟が、倭寇の船を囲む!
「へっへーん! アンタたち、包囲されてんのよォ!」
林悦がキラキラ笑いながら叫び、童元鎮が横で頭を抱える。
「隊長、作戦名を『波乗りパンチ』から『林悦ボンバー』に変えません?」
「おいおい、主役はわしじゃろ!」
海は静かになった。
倭寇たちはズブ濡れになって逃げ、村上武吉は「今日はこのくらいにしてやるぅ!」と叫んで船で逃走。
「将軍、勝利です!」
「うむ、我ながら名采配だ」
「でも、次の戦いには作戦名、ちゃんと考えてくださいよ」
「……うむ、では次は『海のダンス大作戦』だ!」
「帰ります」
海に夕陽が落ち、笑い声が響いた。
明軍、勝利! ただしオネエの声が一番目立った。
〇「拳で語れ! 戚継光の三十二勢」
嘉靖四十二年の夏。
今日も倭寇との戦いは熾烈をきわめていた。が――
「おいおい、将軍、また素手でやったんですか!?」
童元鎮が目をむいた。
浜辺に転がる村上水軍の屈強な海賊三人組。しかも全員、刀を持っていたのに、戚継光は丸腰。
「はっ、武器がなくても余裕だったわい」
そう言って、戚継光は手の甲をパシッと払った。まるでほこりでも落とすかのように、軽々しい動作。
「こ、これで三回目ですよね……!?」
劉顯がじっと見つめてくる。彼は軍才も高く、弓も得意。だがよく矢を逆さに番えて怒られる。
「将軍、あの動き……すごくキレがありました!なんというか、虎が飛びかかるみたいな……」
「ふふん、まあのう。これはワシが考案した“宋太祖三十二勢長拳”の賜物よ」
「さんじゅうに……なんですって?」
童元鎮はすでにメモを取り始めている。何でも記録したがる性分である。
「“宋太祖三十二勢長拳”じゃ。もともとは宋の太祖・趙匡胤どのが用いた拳法を、ワシ流に改良したもんでな」
「改良って、勝手に変えていいんですか……」
「いいんじゃ! こっちは命がけなんじゃからなッ!」
戚継光は気合たっぷりに、拳を握る。
「この拳法にはな、三十二の“型”がある。“龍が跳ねる”“鶴が舞う”“虎が寝坊する”」
「最後だけ弱そうですね」童元鎮が即座に突っ込む。
「それぞれが相手の動きを封じ、間合いを詰め、骨の芯までビシッと響く。これを修めたら、たとえ棒切れ一本でも、五人までなら一人で倒せる!」
「マジすか!」と劉顯が身を乗り出す。
「じゃあ将軍、その“虎が寝坊する”ってやつ、見せてください!」
「む……あれはまだ開発途中なんじゃ」
「出たー! 未完成型!」
戚継光は咳払いひとつして、気を取り直す。
「よいか、お前たち。武器に頼りすぎるな。いざというとき、体一つでも戦えるようになってこそ、本物の兵じゃ」
「……うう、わかりました。ちょっと練習してみます」
劉顯が見よう見まねでポーズを取るが、どう見ても“鶴がすべって転んだ”状態だった。
「違う違う! 腰をもっと落として! 肩は入れて、アゴは引くッ!」
戚継光が思わず口出しする。
童元鎮はその様子を見て、首をかしげた。
「将軍、それだけ熱心に教えるってことは……弟子を育てたいとか思ってるんですか?」
「ふっ……ワシの拳法を継ぐ者が一人でもおれば、老後も安心じゃからな……」
「老後の心配早いですってば!」
そのとき、浜辺の向こうで「ぬぉおおーッ!」という村上水軍の再突撃の声。しかも、前回の倍はいる。
「おや、出番が増えたようじゃな。よし、次は“猿が滑る”型でいくか」
「それも未完成型じゃないですかー!」
こうして、またも戚継光の拳が唸る。
打って!かわして!押し返す!
「やめてー!顔はやめてー!」という村上の兵を横目に、拳一閃。
今日もまた、海辺に響くは──
「長拳、爆裂パンチッ!!」
「将軍! 型の名前、どんどん派手になってます!」
海風が吹きぬけ、浜辺には静けさが戻った。
そのころ、童元鎮のメモ帳には、こう書かれていた。
《虎が寝坊する:おそらく昼まで寝てる。強くはない》




