水陸両用の名将:戚継光①
〇戚継光くん、誕生する!
「おぎゃあ、おぎゃあ!」
嘉靖7年、明の国にひびきわたる、ひときわ元気な赤ん坊の泣き声。
「おおお……でかい、そして声がデカい! こ、こいつ……やるぞ!」
そう叫んだのは、登州衛の軍官、戚景通。彼の目の前には、生まれたての赤ちゃん――未来の名将、**戚継光**が元気よく手足をバタつかせていた。
「わしの子じゃ。名前は……継光じゃ! ワシの光を継いでもらう!」
隣で妻が「それ、ちょっと恥ずかしくない?」とつぶやいたのは、誰も気づかなかったことにしておこう。
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それから数年――。
「父上、これはなんでございますか?」
五歳の継光くんは、まだ前歯も生えきらぬくせに、木刀をかついで庭を走り回っていた。
「よし、こっちに来い! これはな、『八陣図』といってな……」
景通パパの話は止まらない。彼は、軍のえらい人――登州衛指揮使という肩書きを持っていて、戦のことになると、目をキラキラさせて語り出すのだ。
「ここが『魚鱗の陣』で、こっちは『鶴翼の陣』、これはな……」
「ふむふむ。つまり、カッコよくならべて、敵をビビらせるってことですね!」
「まあ、うん、そんな感じじゃな!」
そんな父の熱血レッスンもあって、継光くんはあっという間に、木剣をくるくる振り回す小さな戦士に成長していった。
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「ちょっとアンタ、なにしてんの!」
母上の声が庭にひびく。継光くん、今度は隣の兵舎からこっそり鉄の槍を持ち出していた。
「いけませんか? だってこれ、かっこいいんですよ? つきっ! ひらりっ! どーん!」
母はため息をついた。
「はあ……アンタ、字の練習はどうしたの? 兵法書ばっかり読んで……」
「だって、『孫子』とか『呉子』って、超おもしろいんですよ! 『兵は詭道なり』って、ズルいのが勝ちって意味ですよね? ボク、もうズルい戦い、めっちゃ研究してます!」
「それ、ちょっと声に出して言うと誤解されるやつね……」
どうやら、戚家には平和な日常は似合わないらしい。
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やがて祖父の戚儼が登場。
「ふむ、継光、槍の振り方はなっておるが、構えがまだ甘い。腰が高い。戦とはな、こうやってどっしりと――ぐぬっ、腰が……!」
「おじいちゃん!? 大丈夫!? 今、腰から『バキッ』って聞こえましたよ!」
「ば、バカ者、わしはまだ……げほっ、現役じゃ……!」
戚家三代そろいぶみ。戦に命をかける血が、しっかりと継光少年に流れていた。
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ある日のこと。
「父上、敵が攻めてきたらどうしますか!」
「うむ、それはな、まず鼓を鳴らし――」
「ボクならこうします! 門を全部開けて、敵を呼び込んでおいて、こっそり後ろから――ばぁん! です!」
「……なんという、ズルい……いや、斬新な策じゃ……!」
父は思った。この子、ただの武闘派バカではない……!
やがて、戚継光少年は周囲から「ミニ軍師」と呼ばれはじめるようになった。
そう、彼の人生はすでに、『戦の道』にどっぷりだったのである。
〇十六歳、将軍はじめました。
「――よっしゃぁあああああッ!!」
登州衛の書院に、ものすごい叫び声が響いた。鳥が一斉に飛び立ち、近所の犬がワンワン吠え出した。
「うるさいよ、継光……」
床に寝そべっていた近所の犬こと弟が、耳を塞ぎながらつぶやいた。
「いや、いやいやいや! これはうるさく叫ぶしかないでしょ!? だってボク、武進士に合格したんだよ!? 武挙ってやつのトップだよ! スゴくない!?」
戚継光くん、16歳。この春、明の朝廷による難関試験――武人のエリート登竜門にして、全国ランキング戦みたいな武挙に見事合格しちゃったのだ。
もう木刀を振り回すちびっこじゃない。
「今日からオレは、国家公認のスーパー剣士です!」
――なお、剣より筆のほうが苦手だった模様。
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しかし、そんなお祭り気分も束の間だった。
「継光……祖父上が……」
「えっ」
訃報が届いたのは、それから数日後。ずっと厳しくも優しく武を教えてくれた戚儼が亡くなった。老衰だった。
「ふむ……祖父上、立ったまま寝てると思ったんだけどな……」
「それ、ただの仁王立ちした遺体よ……」
葬儀が終わってすぐ、さらに追い討ちがかかる。
「継光、今度は父上だ……」
「……えっ、ちょ、ちょっと待って、ボクまだ16だよ!? ダブルパンチ!? 二連撃かよ……!」
戚景通、かつて登州衛の大黒柱だった父も、病で亡くなった。急すぎて継光少年、さすがにショックがデカい。
「家、継いでくれ」
周囲はそう言った。
「いや、ちょっと待って、あの、ボク、今まで槍と剣と変な陣形の名前ばっか覚えてて、家計簿のつけ方とか、兵糧の数え方とか、全然わかんないよ!?」
「でも君しかいないから」
「そんなぁ……!!」
こうして16歳の戚継光、登州衛指揮僉事に就任。いきなり軍の副指揮官クラスである。しかも、兵士たちは全員年上。中には自分のじいちゃんと同じくらいの人もいる。
「若いな、あの子」
「子どもに指図されるとか、わしの人生どこで間違えたんじゃろ」
「こら、聞こえてるぞ!」
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でも、継光くんは腐らなかった。
「とにかく、まずは現場を見てまわろう!」
そう言って、毎朝早くから兵舎をまわり、道具の手入れを手伝い、飯の味見までやった。
「うん、この干し肉、ちょっとしょっぱいけど……保存には最適! ヨシ!」
やがて、兵たちも気づく。
「あの子、やたら動くし、文句言わないな……」
「しかも、兵法だけじゃなくて、武器の重さとか、陣形の癖とか、やけに詳しい……」
「あと、飯もわりと食える……いやそれ関係ないか」
現場主義の継光少年、どんどん兵たちの信頼を集めはじめたのだった。
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ある日、継光くんはふと思った。
「このままじゃ、ダメだよな……」
登州衛のあちこちを見て、彼は気づいた。兵器の整備が遅れている。訓練は形式的。士気は低い。
「うん、まずいねコレ。これで倭寇とか攻めてきたらヤバいよ」
かくして、彼の脳内でスイッチが入った。
「――よし、軍制改革やっちゃうか!」
十六歳、悲しみを乗り越えて、将軍らしいことを言いはじめる。
将来、”倭寇退治の英雄”と呼ばれるあの人が、ここに誕生したのであった。
つづく。
〇『合格しても世は乱れる。そんな16歳。』
「――合格、だと……?」
(せき・けいこう)戚継光は、試験官の読み上げを聞いたその瞬間、耳を疑った。
「わたしが……武進士!? やったーーーっ!」
※武進士:つまり“武芸で選ばれたエリート”みたいなもんである。
しかし喜んだのも束の間。合格祝いの羊肉をもぐもぐしていると、祖父・(せき・ぎょう)戚儼、そして父・(せき・けいとう)戚景通が、まるで順番でも決めたように、次々にあの世へ旅立ってしまった。
「えっ、ちょっと待って、こんな急に跡継ぎモード!?」
泣いてるヒマもなく、継光は家督を継ぎ、いきなり「(とうしゅうえ)登州衛指揮僉事」という肩書を背負わされる。
「まだ十六だぞ!? なんでこっちが国の防衛考えなきゃいけないんだ!?」
……とはいえ、考えなきゃいけないのだ。なにせこの頃の明という国、ボロボロだった。
●まず、皇帝がアレ。
当代の皇帝・嘉靖帝は「修道」とか「不老不死」にハマりすぎて、政務をほとんど放置。毎日お香を焚いて仙人ごっこしてた。
「えーと……皇帝様、海賊が村を襲ってますが……」
「わしは今、“気”の流れを整えておる。下がれぃ」
「……あかん」
●そして、倭寇が大暴れ。
中国の東南沿岸では、いわゆる「倭寇」と呼ばれる海賊たちが好き勝手していた。もとは日本人中心だったけど、いつのまにか中国人・朝鮮人・果てはポルトガル人まで混ざって、グローバル化していた。
「こんにちはー、今日の略奪セットはこちらになりまーす」
みたいなノリで、漁村を燃やし、役人を追っ払い、米も女も持っていく。
「なんだこの無法地帯は……」
●さらに、兵士たちがやる気ゼロ。
「戦えー!」と叫んでも、兵士たちは畑で昼寝中。給料はピーナツ代、装備は中古の木刀、統制はほぼゼロ。
「ワシら、命張るほどの国じゃないけえなぁ」
「はぁ……わかる」
継光は、こんな惨状を見て思った。
「うちの兵隊、まるでゾンビ映画のエキストラ……!」
彼はふと思う。
――オレが武芸を学んだのは、何のためだ?
――この国を守るためじゃなかったか?
「よーし、やるしかねぇな!」
十六歳の指揮官、目をギラリと光らせた。
「まずは兵の再教育だ! 筋トレ、剣術、朝のラジオ体操から始めるぞっ!」
「ラジオないです」
「じゃあ掛け声でいこう、えーい、いち! にっ!」
こうして、戚継光の「ガチすぎる軍隊改革」がはじまったのであった。
──この先、海賊との死闘あり、涙あり、筋肉痛ありの青春戦記が始まる!
けれどこのときの彼は、まだ知らなかった。
自分の新兵法が、後に“倭寇掃討の神”と呼ばれる伝説の一歩になることを──。




