婚約破棄された宮廷楽団員は牧場でホルンを吹く
ここは宮廷楽団の演奏が終わったばかりの聖ホール。私の婚約者、ストリング伯爵家長男ミューラ様の言葉が響く。
「ウイン男爵家令嬢ミーヤ、お前との婚約を今、この場で破棄する」
周囲の人たちは驚いて動きを止め、様子を見ている。婚約解消の理由に全く心当たりがない私は口を開く。
「理由をお聞きしても」
「お前は地味だし、お前の吹くホルンも地味だからだ。俺の吹くトランペットと二人で合奏することもまずできない。それに比べて、ノアは美人だし、ノアの演奏するピアノは俺のトランペットの伴奏にふさわしい」
そう言って視線を後ろに送るミューラ様。視線の先には、ピアノの前に立つノア様。彼女はストリング伯爵家の派閥に属する男爵家の令嬢だ。輝く金髪にサファイアのような青い目の美人。彼女は申し訳なさそうな顔をして、私に向かってゆっくりと頭を下げた。
どうやらノア様の意思ではないらしい。派閥内の力関係で、ノア様は逆らえないのだろう。
「承知いたしました」
それだけを口にしたら、ミューラ様はフンと鼻を鳴らして部屋から出て行かれた。それを何の悲しみもなく、むしろホッとした気分で見送る。なぜなら、この婚約は、ストリング伯爵からの一方的な命令だったから。
ストリング伯爵家が、先祖代々魔力が豊富な家系であるウイン男爵家の血を取り込むための婚約だったのだ。私の家には何の得もない。しかし、ストリング伯爵家は代々宮廷楽団派閥の長を務める家であり、私は断れなかったのだ。それに、ミューラ様は傲慢不遜、女遊び好きで有名な男だから、好きになれなかった。いや、嫌いだった。
聖ホールに人が少なくなったので、譜面立て、イスなどの片づけを始める。片付けは男爵家や子爵家などの下級貴族の子息・令嬢の仕事だ。楽団員の半分ほどが片付けの仕事をするはずだが、私1人しか片付けをしない。まだ貴族学園を卒業して1年の16才の男爵令嬢だから、仕方がない。
こんな仕事は使用人の仕事だ、貴族の仕事ではない、と他の楽団員はサボルのだ。この聖ホールは特別な場所で、使用人は立ち入り禁止であることを知っているはずなのだが。しかし、誰かが後片付けをしないといけないので、私一人で黙々と片付けをする。
「イスの片づけは私がやろう。令嬢にイスは重いだろうからな」
入口から声がして、男性が一人入って来る。銀色の髪青い目のミューゼ辺境伯家次男バース様だ。身長は2メートル近く、筋骨隆々の逞しい体をしている。辺境伯領から王都へ、交換留学生として派遣されている人だ。
「いえ、辺境伯家の方にこのような仕事をさせるわけには」
「いいから、いいから。領地に帰れば、いつも力仕事をやっているからな」
そう言って、バース様はイスを片付け始める。イスを片手に5脚ずつ軽々と運んで行く。彼の演奏する楽器はチューバ、重さが10キロ以上ある楽器だ。チューバを軽々と持つ彼にとっては、イスなど軽い物だろう。私は諦めて譜面立ての後始末を始める。片付けが終わってバース様にお礼を言う。
「ありがとうございました。とても助かりました」
「礼には及ばない。今までも君が1人で片付けをしているのを知っていた。手伝いたかったが、他の男の婚約者の女性と2人だけになることはできないから、
できなかったのだ。これからは手伝うからよろしく」
そう言うと、バース様は帰って行かれた。それを見送り、私は仕事部屋に向かう。楽団員の仕事は演奏だけではない。午前中は一般の文官と同じ仕事をする。私の仕事は、楽団関係の事務仕事が主な仕事。
消耗品である弦楽器の弦や木管楽器のリード、楽器を磨くためのクロス、ポリッシュなどの管理と購入など。時々、購入したばかりの物品が無くなっているのを見つけると、またか、これでは消耗品購入用予算をオーバーしてしまう、とため息が出る。楽団員が勝手に持ち帰っているのだ。
金額的に大きいのは、楽器の購入だが、これは楽団長であるストリング伯爵様の許可が必要なので、私の気苦労は少ない。それ以外の仕事は、週に2回の聖ホールでの演奏以外の夜会や晩餐会、茶会での演奏のスケジュールの受付と調整。面倒なのは貴族家の子息や令嬢への楽器演奏の家庭教師の受付だ。
求人の多いのはピアノやヴァイオリン、フルートなどで、コントラバスやチューバなどは少ない。ピアノは楽団員であれば、そこそこの指導できるから、そこで調整したいのだが、条件のいい求人は高位貴族の者が強引に持っていくのだ。頭が痛くなる。
お昼休みの後は、楽器の個人練習やパート練習、全体練習、それが私の1日のスケジュールだ。
仕事部屋、第三貴族文官室に入る。この部屋は貴族の文官用の仕事部屋で、20人ほどが所属している。男爵令嬢の私は一番身分が低くて、楽団員も私一人だけ。自分の机の上を見ると、山のように書類が積んである。
自分の仕事を終わらせて、机の上には書類1枚無い状態だったはずなのに。まあ、これはいつものこと。私に押し付けられた書類の山なのだ。書類にはメモが添えられている。
「子どもが急病なので帰ります。急ぎの仕事なのでお願いね」
これは王宮の食堂に関する仕事を担当する女性からだ。この人の子どもは何人いるのだろう。毎日急病の子どもがいるなんて。
「急に午後から親戚の葬式に出ることになった。すまないが頼む」
これは騎士団の仕事をしている男の人だ。この人の親戚は何人いるのだろう。もう50回くらい葬式があったはずだ。だが、これらはまだいい方だ。
「午後からは楽をして、私たちと同額の給金を貰っているのは許せない。楽団の仕事なんて遊びでしょう。今日はデートだから、この仕事やっておいて」
この手のメモが一番多い。これは王女宮に必要な物品の仕事をしている令嬢だ。楽団の仕事の内容を知らないのだ。お話にならない。
*
楽団が聖ホールで演奏しているのは、魔石への魔力の注入なのだ。魔石には2種類ある。1つは含まれている魔力を使い切ると捨てるしかない魔石。これを一次魔石という。もう1つは魔力を使い切っても、魔力を注入すれば繰り返し利用できる二次魔石。魔石は生活必需品の加熱や照明の魔導具などのエネルギー源で、魔石がなくては生活がとても不便になるのだ。
二次魔石への魔力の注入は、魔力を込めて音楽を演奏することで可能だ。魔石を産出しないこの国では、二次魔石が無いと生活が成り立たない。だから、各領地では領主屋敷で、王都では王宮で住民の使っている魔石に魔力注入が行われる。だから、楽団の二次魔石への注入はとても重要な仕事だ。
*
仕事を終えて第三貴族文官室を出たのは、もうすぐ日付が変わる時間だった。これはこの仕事についてから半年以上続いている。溜まった疲労とストレスに身体と心は悲鳴を上げている。もう限界は近い。そして、その限界を突破する出来事が起こる。
ある日の午後、個人練習に行こうとしていたら
「おいミーヤ、このヴァイオリンを発注しておけ」
1つのヴァイオリンに○印がついているカタログを差し出して、元婚約者のミューラ様が怒鳴る。そのヴァイオリンは宮廷楽団の年間総予算の半分以上の値段がするヴァイオリンだ。
「このようなお値段の楽器は楽団長の許可が必要です。許可はもらっていますか?」
「うるさい。お前は言われた通りにすればいいのだ。いいな、早く発注しろ」
それだけ言うと、ミューラ様は部屋から出て行かれた。こんな物品の購入が許可されるわけがない。私に責任を押しつけてヴァイオリンを手に入れるつもりだろう。もうダメだ。王都の民のために頑張ってきたけど、限界だ。今日の仕事が終わったら仕事を辞めて王都から去ろう。
そう思って、ホルンを抱えて、個人練習をする場所、薬草園に向かう。薬草園は滅多に人が訪れることがない場所。楽器の練習に都合のいい場所なのだ。ここでホルンを吹くのも最後かと思ったら、しんみりした気分になる。
『組曲惑星 第4曲木星』の第四主題を惜別の情を込めて演奏する。演奏が終わるとパチパチパチと拍手が聞こえた。拍手の音が聞こえた方を見ると、ミューゼ辺境伯家次男のバース様がいた。
「『ジュピター』でしたか? 国民に親しまれているいい曲です」
「はい。その原曲の木星です。未熟な演奏を聴かれてしまって恥ずかしいです」
「いいえ、すばらしい演奏でした。でも、悲しげな演奏だったのは何故でしょう?」
少し迷ったが、どうせ今日で仕事を辞めるのだから、と理由を話す。すると、
バース様が言う。
「そうでしたか。それで明日からはどうされるのでしょうか?」
「まだ決めておりません。どこか王都から離れた所へ行って、そこで仕事を探そうと思っています」
「なるほど、良かったら私の領地に来ませんか? 文官と楽団員が足りなくて募集中なのです。私も家の騎士団団長になるので、宮廷楽団を辞して明日出発する予定なのです。我が家の馬車で一緒に行きましょう」
少し迷ったが、提案を受けることにする。理由はバース様は優しくて誠実な方だからだ。そして、その日の仕事が終わってから、宮廷楽団長と貴族文官室長への辞表を机の上に残して、翌朝バース様と箱馬車に乗りミューゼ辺境伯領へ向かった。
*
翌日の夕方、貴族文官室に騎士団副団長の怒声が響いた。
「どうして、ケガ治療用のポーションが届かないのだ。治療を受けられないケガ人が苦しんでいるのだぞ」
担当の男文官が真っ青な顔で立ち上がる。
「そ、それは……」
そこに、王宮副料理長が部屋に入って来て、大声を出す。
「夕食の食材が届かないから、業者に問い合わせたら発注を受けていないと言われた。これはどういうことだ。夕食が出せないぞ。この責任は誰が取るんだ」
担当の女文官は身体をブルブル震わせるだけで無言だ。さらに王女宮の侍女長が、入って来て、冷たい声で言う。
「洗髪用ポーション、身体を拭くための布が届きません。王女様がお怒りです。覚悟はできていますね」
担当の令嬢文官は気を失って倒れた。
2日後、貴族文官室長と3人の貴族文官が解雇された。貴族文官室長は、立場の弱い男爵家令嬢ミーヤへのパワハラを放置した責任を問われたのである。
1週間後、宮廷楽団長は宰相に問われた。
「二次魔石への魔力注入が不十分で、火の魔導具や照明の魔導具などすべての魔導具が、すぐに利用できなくなっている。理由は分かるかね」
「はい。一番の理由は保有魔力量がずば抜けて大きかったホルン奏者が退職したためかと」
「そのホルン奏者は、逃がさないように君の息子の婚約者にしたのではなかったか?」
「そ、それは息子が勝手に婚約破棄した上にパワハラもしていたようでして。え、ええ、もちろん息子は廃嫡して平民に落としました。二次魔石への魔力注入は規定の量に達するまで、毎日行います」
その日から、宮廷楽団は毎日、夜遅くまで演奏を行うことになった。
*
一ヶ月後、ミューゼ辺境伯領のとても広い牧場にミーヤとバースの姿があった。
「ミーヤ、ここでの生活も慣れたかい?」
「はい。みなさん親切ですから、すっかり慣れて楽しく文官の仕事をさせてもらっています。二次魔石への魔力注入演奏も2週間に一度ですから楽です」
「ハハハ、ここは王都より人口が少ないから魔導具の数も少ないからな。それに魔力保有量がとても大きいミーヤの加入で、仕事が楽になったと楽団員も喜んでいるよ」
「そうですか。それは良かったです。ところで、そろそろ日が沈む時間ですし、演奏を始めませんか?」
2人で演奏する曲は『交響曲第9番 新世界より』の第2楽章の有名な部分だ。編曲され、歌詞をつけて『遠き山に日は落ちて』という曲名で親しまれている歌の原曲である。ここの牧場に初めて来た日の夕方に、ここで新しい生活を始めるのだ、と想いを込めて吹いた曲だ。
吹いていたら、広い牧場のあちこちに散らばっていた牛や馬が近寄って来てビックリした。そして、牧場の人たちに感謝された。牛や馬を厩舎に帰す大変な仕事が楽になったらしい。それ以来、時々この牧場に来て、吹かせてもらっている。
今日は、バース様と2人での演奏だ。スーと息を吸い込んでから演奏を始める。バース様の奏でるチューバの力強い低音に支えられて、ホルンの音色がどこまでも伸びていき、赤く染まった空に溶け込んでいった。
それから1年後、ミーヤとバースの盛大で優しさに満ちた結婚式が挙げられた。
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参考
「組曲惑星 第4曲木星」 作曲 ホルスト
「遠き山に日は落ちて」 作曲 ドヴォルザーク 作詞・編曲 フィッシャー