080・神の空間
「おじいさん?」
僕は青い目を丸くして、驚いてしまった。
おじいさんは『ほっほっほっ』と白い髭をなでながら、柔らかに笑う。
小さく頷いて、
『ちょうど、繋がり易い状態だったんでの。少し話をしたくて、接続させてもらったのじゃ』
「ふぅん?」
『驚いたかの?』
「うん、驚いた」
僕は正直に答えた。
おじいさんは『そうか、そうか』と楽しげに頷いた。
僕は首をかしげて、
「それで……何の話なの?」
と、訊ねた。
白い床と青い空だけの不思議な空間。
ここに僕を呼んだのには、それだけ話したい理由が何かあるのだろう。
おじいさんは、僕を見つめた。
全てを見透かすような、澄んだ眼差しだと思った。
そして、彼は言う。
『君に話したかったのは、《ヴォイド・ローガス》という人物についてじゃ』
「ヴォイド……」
ああ……思い出した。
ロックドウムに向かう道中、僕らを襲ったあの黒い杖の老人だ。
確か、野盗の用心棒。
でも、本職は『魔法使いの傭兵』であり、手配中の犯罪者だっけ。
(……強かったな)
何とか追い払えたけど。
けど、不思議な『闇の魔法』を使ってきて、杖君がいなければ危なかった。
何より、あの黒い杖。
白い杖君にそっくりな杖。
多分、あれって……。
…………。
僕は、おじいさんを見た。
おじいさんは頷いて、
『その通りじゃ。予想していたかもしれんが、あのヴォイドは君と同じ《転生者》なのじゃよ』
と、言った。
◇◇◇◇◇◇◇
(転生者……)
僕と同じ、こことは違う世界の出身。
僕の中には驚きと同時に、『やっぱり』という納得が生まれた。
おじいさんは、少し悲しげだ。
目を伏せて、
『今から60年前じゃ』
「…………」
『君と同じようにその人生が理不尽な苦しみに満ち、不幸な死を迎えた人物がおった』
「…………」
『人の魂に与えられる幸福と不幸は、釣り合わねばならぬ』
「…………」
『ゆえに、その者の魂は君と同じように、異世界にて幸福が与えられるように《転生》することが決まったのじゃ』
「それが……あの黒い杖の老人?」
『そうじゃ』
おじいさんは頷いた。
60年前、その人物は、僕と同じように子供として異世界に転生した。
同じように、杖も与えられた。
それが、
『《黒の霊杖》じゃ』
と、おじいさんは告げた。
霊杖……。
確か、杖君の本名は『白の霊杖』だっけ。
白と黒。
まるで対比するような色。
おじいさんは言う。
『君の杖君の兄弟……と言うか、より近い分身じゃな』
「…………」
『白の霊杖は光属性、黒の霊杖は闇属性に特化した魔法が使えるのじゃ。じゃが、性能的に差はない』
つまり、属性以外、同じ力の杖。
(そっか……)
同じ転生者。
そして、同じ杖。
僕とあの黒い杖の老人は、本当に共通点が多い。
そう思う僕に、
『いや、1点だけ違う』
と、おじいさんが首を振った。
(え?)
僕は、おじいさんを見る。
彼は静かな声で、
『あの者には《前世の記憶》を残したまま、転生をさせたのじゃ』
「…………」
『前世の不幸を知り、だからこそ、今世の幸せを深く感じてもらいたかったのじゃ。しかし……それが裏目での』
「裏目……?」
『前世の理不尽を知っていた分、それを取り返そうとあの者は我欲に塗れた』
「…………」
つまり、利己主義に走った。
杖の力を得て、何でもできるようになった。
それに増長して他の人々を蔑み、結果、傲慢と暴虐な性格になってしまったのだと言う。
おじいさんは、
『あの者は、自分以外の世界を憎んでいたのじゃ』
と、悔恨の滲む声で呟いた。
そっか……。
大きな力を得ると、人は変わるって言うもんね。
前世の記憶があった。
だからこそ、その反動も大きかったのかもしれない。
異世界で得られた万能感、それに飲まれて、きっと理性のタガが外れてしまったんだ。
(あ……)
そこで、ふと気づいた。
僕は、おじいさんを見る。
「じゃあ、僕の前世の記憶を消したのは……」
『…………』
おじいさんは答えず、静かに微笑んだ。
……そうなんだ。
もしかしたら、自分もあの老人と同じになっていたかもしれない……そう思ったら、少し怖くなった。
(気をつけよう……)
杖君の力を悪用しないように。
しっかり、心を保とう。
その時、ふと、あの金髪のお姉さんの顔が思い浮かんだ。
(……うん)
あの人に失望されないように、あの人を笑顔にできるように生きないと……。
グッ
小さな両手を握り、心に決める。
おじいさんは、そんな僕を見つめて、
『…………』
何かに納得したように、かすかに微笑んで小さく頷いていた。
◇◇◇◇◇◇◇
それから、おじいさんは、
『よいの? ヴォイドには、くれぐれも気をつけるのじゃ』
と、真剣な声で警告した。
僕は頷いた。
あの老人、本当に手強かったもんね。
それは、忘れてない。
けど、おじいさんは、そんな僕の様子に気づく。
そして、
『まだ過小評価しておるの』
と、呟いた。
(え……?)
そんなつもりはなかったので、少し驚く。
その僕の前で、おじいさんは胸の前でパンッと手を合わせた。
すると、僕らの頭上に『光の球体』が生まれた。
球体の中には、映像が映っている。
(???)
僕は、その映像を見つめる。
どこかの戦場かな?
広い荒野に、鎧を着た騎士たちが300人ぐらい集まっていた。
手には、剣や盾、槍などを握っている。
そして、その騎士団に対するのは……1人の黒衣の青年だった。
その手には、黒い杖。
(あ……)
この青年、ヴォイド・ローガスの若い頃だ。
そう気づいた。
そして、
(え……? たった1人で、この騎士団と戦うの?)
と、驚いてしまう。
黒衣の青年は、笑っていた。
騎士団は真剣な表情で、隊長らしき人が号令をかけ、若きヴォイド青年に一斉に突撃した。
ドドドッ
地響きのような足音。
ヴォイド青年は、黒い杖を前に向けた。
ヴォン
先端が輝き、そこから『闇の氷柱』が無数に撃ち出された。
(!)
騎士たちの何人かが吹き飛ぶ。
けど、仲間の負傷に構わず、騎士団は黒衣の青年に肉薄した。
数の暴力だ。
あれだけの騎士に襲いかかられたら、いくら霊杖の力があってもどうにもならない。
僕は、そう思った。
でも、ヴォイド青年は違った。
彼は笑ったまま、
バサッ
黒い杖を光らせ、その足に『闇の翼』を生やした。
そのまま、空中へ。
騎士たちは、手が出ない。
何人かが剣を弓に持ち替え、上空へと射るけれど、それも届かない高度だった。
ヴォイド青年は、上から彼らを嘲笑った。
と、騎士たちは、杖を持ち出す。
(お……?)
普通の魔法の杖だ。
そこから、魔法の『火の玉』を発射した。
ボォン
黒衣の青年に当たった。
いや……彼の周囲には『闇の盾』が展開され、彼は無傷だった。
何度も炎が弾け、彼は笑う。
楽しげに、必死な騎士たちを馬鹿にするように。
そして、黒い杖を構えた。
ヴォン
闇色の杖が輝く。
次の瞬間、地面から生えた無数の『闇の手』が騎士団の足を拘束した。
全員、動けない。
黒衣の青年は笑いながら、『闇の氷柱』で動けぬ騎士たちを貫いていく。
拘束を解こうとして振るわれた剣も槍も『闇の手』は弾く。
何人かの騎士は、自分の足を切断し、拘束を解いた。
けれど、直後、別の『闇の手』が生えてきて、またすぐに捕まってしまう。
中には、失血死する騎士もいた。
(…………)
そこに至り、僕は気づく。
これは、戦闘ではない。
ただの虐殺だ。
300人の騎士団は、たった1人の青年に一方的に殺されていた。
僕は、震えた。
そして、ヴォイド青年は虐殺に飽きてしまったのか、黒い杖を高く構えた。
闇色の光が集う。
次の瞬間、
ボバァアアン
竜の火炎ブレスのような『闇の火炎』が騎士団ごと、大地を埋め尽くした。
黒い炎の中で、人が悶え、そして倒れていく。
ヴォイド青年は、笑っていた。
人の悲鳴が木霊する空間で、彼だけは、ただ1人楽しげな笑い声を響かせていた。
…………。
…………。
…………。
映像が消える。
僕の手足の先は、冷たくなっていた。
「…………」
これほどだったのか。
使っていたのは、僕らにも向けられた魔法と同じ物ばかり。
けれど、運用次第で、これほどの範囲にこれほどの被害をもたらせるものだったとは気づいてなかった。
何て恐ろしい魔法。
そして、何て恐ろしい霊杖の力だ。
(ああ……そうか)
僕らが助かったのは、杖君がいたからだ。
白の霊杖。
その力があったから、僕らは生き延びられたのだ。
その事実を噛み締める。
おじいさんは言う。
『わかったかね?』
「…………」
『霊杖の扱いに関しては、ヴォイドの方が1枚も2枚も上かも知れない。くれぐれも気をつけるのじゃ』
「う、ん」
繰り返される警告に、僕は頷いた。
本当の意味で、理解する。
霊杖の力。
それが敵対することの危機を。
そして、ふと思った。
僕はおじいさんを見る。
「もしかして、僕を転生させたのは、あの黒い杖の老人を止めるため?」
と、聞いた。
おじいさんは、驚いた顔。
すぐに微笑み、首を左右に振った。
『いいや』
「…………」
『無論、止めてもらえるなら、という思いはある。ワシらのような存在は、世界に直接関与はできぬ決まりじゃからの』
「…………」
『じゃが、頼みはせぬよ』
「なぜ……?」
僕は、不思議に思った。
おじいさんは、笑った。
『君の人生は、君のものだからじゃ』
「…………」
『その生き方は、自分で選びなさい。ヴォイドの生き方も好ましくはないが、選択の1つではある』
「…………」
『ただ……1つ頼みがあるとすれば、彼女のことじゃ』
「彼女?」
僕は、キョトンとした。
おじいさんは、
『アシェリア・イリムじゃ』
と、言った。
僕は『誰……?』と思い、
(あ、アシーリャさんの本名!)
と、すぐに思い出して、青い目を見開いてしまった。
その反応に、おじいさんは頷く。
『あの者の仕えていた亡き主人は、ワシらも将来を期待していた少女での』
「…………」
確か、聖女候補。
それも、今の聖女より有力だったとか。
(そっか)
その聖女候補さんは、おじいさんたちも目をかけるほどだったんだね。
おじいさんは微笑み、
『その少女の魂が、ワシらに伝言を頼んだのじゃ』
「伝言……?」
『《私の大切な友人をどうかお願いします》と、今の彼女の主人となった少年に伝えて欲しい、との』
「…………」
『その言葉、確かに伝えたぞ』
僕を見つめ、おじいさんは言った。
(そっか)
アシーリャさんは、本当に素敵な人に仕えていたんだね。
そのことが何だか嬉しかった。
僕は頷く。
「うん、任されました」
と、笑って答えた。
おじいさんも満足そうに頷いて、その目を伏せる。
(…………)
僕も……そんなアシーリャさんの友人だという少女に会ってみたかったな。
何となく、そう思った。
やがて、
『そろそろ時間じゃの』
と、おじいさんは告げた。
どうやら、この不思議な空間にいられるタイムリミットみたいなものが来たみたい。
僕は頷いた。
「また会えますか?」
『さての?』
「…………」
『必要以上に関与はできぬ。しかし、必要ならば、また会えるじゃろう』
「うん」
『教会で祈りなさい。声は届く』
「わかりました」
『うむ』
おじいさんは、穏やかな表情で頷いた。
それから、
『杖と仲良く、の』
「うん」
『余談じゃが、ワシは、これまでの君の日々を好ましく感じた。選択は自由じゃが、今後どう生きるのかを楽しみにしておるよ』
「…………」
『では、の』
驚く僕に、おじいさんは冗談っぽく笑った。
そして、手を合わせる。
パンッ
軽い音と同時に、世界に光が溢れた。
(うわ……っ?)
目が眩み、まぶたを閉じる。
やがて、光が消えたのを感じて、目を開いた。
「…………」
目の前には、巨大な神像があった。
周囲を見れば、そこは、直前まで祈っていた教会の礼拝堂の中だった。
僕は、長椅子に座ったまま。
ずいぶん長く話した感じだけど、実際には5秒ぐらいしか経っていない感じ。
そして、僕の肩には、
「杖君……」
大事な白い杖が寄りかかったままだった。
その杖を握る。
ピカン
杖君が光った。
何となく『話は終わったの?』という光り方に思えた。
僕は笑った。
「うん」
頷いて、席を立った。
ギュッ
何となく、両手で杖君を握ってしまう。
やがて、目の前の神像を見上げた。
「…………」
軽く一礼。
それから背を向けると、僕は、アシーリャさんを待たせている教会の外へと向かったんだ。




