038・勝利
僕の手が震えた。
まさか、因縁の相手が現れるなんて……。
恐怖と喜びと。
それ以外の感情も合わさって、ただ震えてしまった。
「く……っ」
フランフランさんは蒼白になりながら、片目の雷爪熊に向けて木製の弓を構えた。
でも、わかってる。
足止め役がいない。
1射で仕留められない以上、それは、かなり絶望的な状況だ。
アシーリャさんとカーマインさんは、もう1体の雷爪熊の相手で、こちらには来られない。
それなら……仕方ない。
僕は覚悟を決めて、
ザッ
1人で前に出た。
フランフランさんが「ニホ君!?」と驚きの声を出す。
僕は白い杖を構えて、
「僕が囮になる」
「えっ!?」
「あいつを引き付けるから、フランフランさんは他の2人と一緒にもう1体の雷爪熊を先に倒して」
「ニホ……君」
「…………」
「で、でも、ニホ君1人じゃ……!」
「大丈夫。1人じゃないから」
「え……?」
「僕には、杖君がいるから」
ピカン
白い杖の先端が、美しい虹色の光に輝いた。
フランフランさんは「ニホ君……」と苦しげな表情だ。
多分、彼女も僕の言う通りにするのが、現状では最善だとわかっているんだ。
だけど、優しいから頷けない。
だから僕は、
「頼んだよ」
ダッ
勝手に1人で走り出した。
後ろから「あ」と声が聞こえ、遠ざかった。
片目の雷爪熊は、僕よりも攻撃力のあるフランフランさんを警戒しているみたいだった。
だから僕は、杖君を構えて、
「弾丸の魔法」
ピカン
と、杖君を光らせた。
片目の雷爪熊の左側――つまり、潰れた右目の死角側へと走りながら、魔法を発動する。
パシュン パシュン
奴の胴体に命中。
光が弾けて、けれど、分厚い毛皮はビクともしない。
グルルッ
だから奴も、僕を無視する。
そこが狙い目だ。
僕は「杖君、大砲の魔法」と呟いた。
ヒィン
杖の先に光が集まる。
そして、奴の頭部を狙って、その『光の砲弾』を発射した。
ドバァン
油断していた顔面に直撃。
光が爆発。
その衝撃によって、奴は大きく仰け反った。
(よし!)
分厚い毛皮と頭蓋骨に守られた頭部。
本来なら、そこまでダメージはないかもしれない。
でも、その右目は1週間前に負傷したばかり。
いくら傷口が塞がっているとはいえ、そこに『大砲の魔法』が直撃すれば、雷爪熊も無視できるものではないのだ。
『グルァア!』
ほら、ね?
激痛に憤怒の表情で、奴は僕を見た。
うん、ようやく僕をターゲットにしてくれたみたいだ。
それを確認して、
ダッ
僕は後ろへと走った。
少しでもフランフランさんから引き離すように、3人ともう1体の雷爪熊の戦場から離れるように。
ドドドッ
片目の雷爪熊も追いかけてきた。
(速い!)
10秒もしないで追いつかれ、
「杖君、防御魔法!」
僕は叫んだ。
ピカッ
僕の周りに『光の球体』が展開した……瞬間、僕はピンポン玉のように弾き飛ばされた。
(うわあっ!?)
10メートル以上、地面を転がる。
パキン
光が弾けて、生身の僕は地面に転がった。
ガツッ
「ぐっ」
大きな木の根にぶつかって、ようやく止まる。
い、息が……。
痛みを堪え、白い杖を支えに立ち上がる。
雷爪熊の前足で叩かれただけなのに、ここまで吹き飛ばされるのか……。
本当に化け物だ。
パキッ バキン
近くの樹々の枝を折りながら、灰色の巨体がこちらに近づいてくる。
ゆっくり。
ゆっくりと。
まるで、獲物の恐怖心を煽るかのように……。
ブルッ
身体が震えた。
その真っ赤な単眼の眼差しには、強い敵意と嗜虐の光があった。
(あぁ……)
耐え切れるかな?
3人が来てくれるまで……。
僕は恐怖を飲み込みながら、白い杖を正面に構える。
囮役は、まだ始まったばかり。
ここから、我慢の時間だ。
…………。
そんな覚悟を決める僕に向かって、灰色の悪魔は再び襲いかかってきた。
◇◇◇◇◇◇◇
あれから、どのくらい経ったろう?
何分、何十分?
もしかしたら、まだ30秒ほどしか経ってないのかもしれない。
そんな時間感覚の中で、
「ぐはっ」
雷の爪に弾かれた僕は、また樹の幹に激突した。
息が詰まる。
そんな中、片目の雷爪熊は再び、僕に前足を振るった。
(杖君、防御を!)
ピカン
僕の身体が『光の球体』に包まれる。
もし杖君の魔法の発動に詠唱が必要だったら、僕はとっくに死んでいたかもしれない。
攻撃を喰らい、僕は吹き飛んだ。
パリン
空中で、光の球体が砕ける。
残された僕は空中を舞い、数メートル離れた地面へと落下した。
ドザァァ……ッ
「うが……っ」
砂利が口に入った。
地面の上を何回転もしてから、ようやく止まる。
はぁ、はぁ。
衣服と白いローブは、もうボロボロだ。
ポタ ポタ
赤い血が地面に落ちる。
あぁ……また、どこか切ったかな?
でも、全身の痛みが酷くて、どこを切ったかなんて確認する余裕もなかった。
…………。
……まだ、かな?
3人は……まだ来ないかな?
あれから僕は、時々、弾丸や大砲の魔法を使って奴の注意を引き、そして大半の時間は、防御魔法を展開しながら奴に嬲られ続けた。
ずっと我慢し続けた。
でも……そろそろ限界かもしれない。
ガクガク
手足に力が入らない。
もう、立ち上がるのも大変だ。
ズシッ ズシッ
巨大な魔物が、再び近づいてくる。
(どうする?)
何とかしないと、これ以上は耐え切れない。
何か方法は……?
防御しないで、奴の攻撃をかわす方法はないものか……?
そんな、魔法は……。
ピカン
その時、杖君が光った。
(え……?)
まるで僕の意思を待っていたかのように輝いて、その虹色の光が僕の背中に集まっていく。
ファサア
そこに『光の翼』が生えていた。
肩甲骨の辺り、その少し上の空間から、長さ2メートルほどの光の翼が広がったんだ。
「杖君……?」
僕は呆けた。
同時に、気づく。
(そっか)
杖君は、僕が望めば、どんな魔法もできるのだ。
逆に、僕の想像力が及ばなければ、何の魔法も使えない。
あぁ……馬鹿だな。
もっと早く気づけばよかった。
グッ
力を入れると、簡単に立ち上がれた。
(軽い……)
体重が10分の1ぐらいになった感覚だ。
突然、光の翼を生やした僕に、片目の雷爪熊も驚いた様子だった。
けど、すぐに襲いかかってくる。
「んっ!」
タンッ
僕は地面を蹴った。
瞬間、僕の小さな身体は、2メートルぐらいの高さまで浮かび、そのまま5メートルぐらいの距離を跳躍していた。
うわ……っ。
自分にびっくりだ。
雷爪熊の攻撃は、当然、当たらない。
『グルァア!』
奴は怒ったように、僕を追いかけてきた。
タッ タッ
僕は地面を蹴る。
その度に、僕は羽根のように空中を移動する。
(あはっ)
少し楽しい。
そして余裕が生まれた僕は、杖君を構えて『大砲の魔法』で片目の雷爪熊を狙った。
ドバァン ドバァン
何度も奴に命中する。
大してダメージにはなっていない。
けれど、奴の足止めとなり、攻撃の回数を減らすことには成功していた。
(うん、いいぞ)
これで、また時間を稼げる。
3人が来るまで、もう少し粘るんだ。
ポタ ポタタッ
赤い血を流しながら、僕は何度も空中を舞い、魔法を使った。
…………。
…………。
…………。
あれから、また時間が流れた。
「はぁ……はぁ……」
時々、意識が朦朧とする。
妙に寒くて、手足の先に力が入らない感じがした。
光の翼で地面を跳ね回り、必死に回避しているけれど、雷爪熊の体力は無尽蔵みたいで、いつまでも攻撃が止まなかった。
タフだなぁ……。
恐怖より、呆れが強くなる。
そうして、気が緩んだのかもしれない。
(あ……)
ふと気づいた時、片目の雷爪熊は足を止めていた。
両前足を、高く掲げている。
バチチッ
そこに、青い放電が激しく散っていて、
「!」
僕は、ハッと正気に戻った。
あれは、まずい!
僕は、杖君を前方に構え、
「杖君、防御魔法!」
と叫んだ。
同時に、片目の雷爪熊は両前足を大きく振り下ろす。
バヂィン
そこから、青い8本の三日月の雷魔法が射出された。
それは、光の球体に包まれた僕に直撃。
バヂヂヂッ
光の壁の表面で青い雷が弾けて、その表面にパキキッ……と、ひびが走った。
「っっ」
僕は反射的に両腕で顔を覆う。
パキィン
防御の光が砕けた。
同時に、凄まじい衝撃が全身に走った。
(ぎゃ……!?)
声も出ない。
その衝撃が激痛だと気づいたのは、数秒後だった。
雷に感電したのか?
よくわからないけれど、鮮血が辺りに散っていた。
背中の光の翼も消えている。
(まずい……)
視界が揺れる。
そのまま、僕は地面に倒れてしまった。
……駄目だ、立てない。
完全に力が入らない。
拍子に、杖君も僕の手からこぼれてしまった。
ピカピカ
焦ったような光が、視界の端に映る。
(杖君……)
そちらに手を伸ばそうとして、ブルブルと震える指を必死に広げた。
けれど、
ズシン
そんな僕へと、重い足音を響かせ、灰色の悪魔が近づいてきた。
う……あ……。
その威圧感。
その絶対的強者の気配。
僕は、唇を噛む。
また、駄目だったのか。
僕は、また負けてしまったのか。
この雷爪熊という怪物に、2度目の敗北をして殺されてしまうのか。
……悔しかった。
悔しくて、けど、どうにもできない。
「…………」
僕は、奴を睨んだ。
けど、奴の単眼にあるのは、時間をかけさせられた苛立ちとその上での勝者の悦びだけだった。
すでに僕を敵視していない。
ただの獲物だとしか思われていないのだ。
(くそ……)
青い瞳に、少し涙が滲んだ。
例え殺されても、決して目は逸らさないぞ。
そう決めた。
そうして睨みつける僕へと、奴はゆっくりと歩み続けて……。
その時、
「ニ、ホさん!」
その必死な叫びが聞こえた。
え……?
ハッとして、視線をあげる。
すると、僕らの頭上、樹々の幹を蹴りつけて高く跳躍した金髪の美女が、その長い髪をなびかせながら上空から降ってきた。
その手には、青い長剣が逆手に構えられていて、
ドシュン
それは雷爪熊の背中に、深々と突き刺さった。
『グガァア!?』
雷爪熊は悲鳴をあげた。
大きく仰け反り、後ろへと下がっていく。
タンッ
彼女は、僕のそばに着地した。
「ニホ、さん……!」
ギュッ
僕を強く抱きかかえる。
僕は目を丸くして、
「アシーリャ……さん……」
掠れる声で名を呼んだ。
彼女は、大きく頷いた。
いつもぼんやりしている表情は、今は、とっても必死な顔だ。
その後ろで、雷爪熊が動いた。
(!)
僕はハッとした。
まだ生きてる。
慌てた僕は、アシーリャさんに警告しようとして、
ドシュッ
その雷爪熊の首に、矢が刺さった。
(え……?)
視線を巡らせれば、15メートルほど離れた位置にいる赤毛の獣人兄妹の姿があった。
妹の方は、弓を構えている。
「待たせた、ニホ!」
2本の小剣を構えた兄はこちらに駆けながら、そう叫んだ。
あぁ……そっか。
ようやく3人が来てくれたんだ。
(よかった……)
間に合った。
クタクタだったけれど、僕は笑ってしまった。
そんな僕に、アシーリャさんは唇を噛む。
そして、
「あとは……任せて、くださ、い」
と言った。
僕は頷いた。
彼女は、僕を近くの樹の根元に下ろす。
そして自身は、青い『アルテナの長剣』を構えて、片目の雷爪熊の方へと走り出した。
長い金色の髪が舞う。
陽光に煌めいて、とても美しかった。
…………。
3人の頼もしい仲間が、片目の雷爪熊と戦っている光景をしばらく眺めた。
雷爪熊も粘っていた。
でも、3人はやはり強くて、
ヒュパン
最後は、フランフランさんの弓でもう1つの眼も射貫かれた頭部を、アシーリャさんの青い長剣によって綺麗に刎ねられた。
巨体が地面に倒れて、
ズズゥン
周囲に、重い地響きが広がった。
僕は息を吐く。
あぁ……終わった。
全てを見届けて、それを感じた。
震える手で、杖君を握る。
ピカピカ
労うように、杖君は光った。
(うん……)
1度、敗北した相手に、僕らは今度こそ勝ったのだ。
見上げれば、たくさんの葉の隙間から、太陽の光が細い光となって何本も落ちていた。
その眩しさに青い瞳を細める。
その輝きの中を、アシーリャさんがこちらに駆けてきた。
(……あは)
それに、僕は微笑んだ。
そして、また大きく息を吐くと、ゆっくりとまぶたを閉じていった。




