チョコレートボンボン
「姉上・・・・いい加減にそのみっともない姿をどうにかしてください」
「みっともない? そう?」
アンジェリーヌはソファーにごろごろ寝転がりながらテーブルに手を伸ばし、お菓子を掴んでは口に運んでいる。
「こんなの普通でしょ。こちらの世界の人のようにマナーはどうとか24時間貴族! なんて堅苦しい。家にいるときくらい気を抜きたいと思わない? アベルも遠慮しないでごろごろすれば?」
「しませんよ。僕以外の人間が見たらどうなると思っているんですか。姉上が・・・おかしくなったこと皆に知られるとまずいでしょ?」
「別に。追い出されたら追い出されたで何とでも生きていけるわよ。私はご令嬢と違って何でもできるしね」
アベルは、これまでの姉と似ても似つかないアンジェリーヌにため息をついた。
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一週間前、おとなしくて気の弱いアンジェリーヌは初めてお酒を口にした。
侯爵である父がお土産にと買ってきたチョコレートの中にきつい酒が入っていたのだ。
日頃、家族のだんらんにも参加せず、たまにいてもほとんど言葉も発さないアンジェリーヌ。母のマノンが一生懸命話しかけても黙って頷くだけで、すぐにうつむいてしまう。
今日はマノンが不在だったが、侯爵は無理やり息子に呼びに行かせてアンジェリーヌをお茶に同席させたのだった。
アンジェリーヌはお土産のチョコレートボンボンを無理やり渡され、それを黙って口に運ぶ。
「たまにはアンジェリーヌもマノンに付き合ってやりなさい。お茶会に誘っても来てくれないと嘆いていたぞ。もう少しお前の方から打ち解ける努力をしなさい。お前の事を実の娘と思って大事にしてくれているじゃないか。何が気に入らないんだ」
そう侯爵が娘のアンジェリーヌに声をかける。その声にはややいら立ちが含まれているのがわかる。
いつもマノンを中心に両親と弟のアベルが楽しそうに話をしている。たまにマノンが話しかけ、アンジェリーヌは頷くか首を振るかの返答をするくらい。
そんなアンジェリーヌの態度に、侯爵が「しっかり返事をしないか」と叱ると、うつむいて小さな声で、ごめんなさいと謝るアンジェリーヌ。
しかし、今日のアンジェリーヌは謝ることもなく侯爵の言葉に無反応だった。
「アンジェリーヌ、返事をしなさい。言いたいことがあるなら言いなさい」
「・・・。」
その視線は空を見つめ、父親をまるっきり無視したように反応しない。
「アンジェリーヌ! 我儘もいい加減しなさい、いつまでも小さな子供ではないんだ。そうしていれば皆がちやほやしてくれると思っているのか? マノンも嘆いていた、わがまま放題で手におえないと・・・あまりひどいようなら修道院で反省させるぞ!」
父にしたら、何を言っても無視をする娘へ苛立ちをぶつけてしまっただけだった。
もうこれがアンジェリーヌとの最後の別れだとも知らずに。
「あ・・・・アンジェリーヌ!」
それまで黙っていたアンジェリーヌが突然立ち上がり、自分の名を叫ぶと涙を落とした。
「アンジェリーヌ?どうした?」
驚いた父はアンジェリーヌの様子をうかがった。
アンジェリーヌは空を見つめ歯を食いしばり何かに耐えるようにしていたが、しばらくして何度か目をぱちぱちすると、周りを見渡し、自分の頬を両手で思いっきりはたき気合を入れた。
「よし!」
そして父に向かって
「修道院といいました? 私より先に連れて行くべき人がいるんじゃないですか? お茶会など誘ってもらったことなどありませんし、話たこともほとんどないのに我儘って言われても。マノンでしたっけ? 嘘ばかりつく名ばかりの義理の母とそれを疑うこともない能天気な父親、二人はお似合いだと思いますけどね。そもそも私が話せなくなったのはあの女のせいですし。私が何か言っても無視するし、何をしても気に入らないと怒るし、叩かれる。幼気な娘は大人しくなるしか身を守る方法がなかったのですよ。自分があんな女を連れてきたくせに私を責められても困ります」
アンジェリーヌはずっと思っていたことを、一気に吐き出した。
「ど、どうしたのだ、アンジェリーヌ。大丈夫か?何を言ってる」
侯爵は口答えさえしたことがない娘が大声で親に悪態をつくのに狼狽した様子で、自分を見下ろしているアンジェリーヌを見る。
「父上、このチョコレートに入っているお酒のせいでは?」
弟が気が付く。
「こんな菓子で? マノンがうそつきだとか、大人しいのは彼女のせいとはどういう事なんだ? 酒のせいだとしても母親に対してひどすぎる」
侯爵は、叱りながらアンジェリーヌに座るように命じる。
しかしアンジェリーヌはたったまま、侯爵を見下ろし、
「底意地の悪い女の本性を見抜けなかったのか、継子をいじめる女だと承知で大事にしているのかは知らないけど、娘を娘とも思わないあなたに苦言を呈される覚えはありません。私などお母様と一緒に死んでいればよかったのに、くらいは思ってるのでしょうね」
父に冷たい言葉を突き付ける。
「アンジェリーヌ!」
父は大声をあげたがアンジェリーヌは言いたいことを言い、部屋を出て行った。
「・・・姉上の・・・押し殺していた本音でしょうか」
「どうなっているんだ、一体。本当に酒か? 義理の母に思うことはあるだろうが・・・それにしてもあまりにもひどすぎる。私もマノンもあの子を甘やかしすぎたか」
それを聞いていたアベルが悲し気な顔で、
「ひどいのは姉上では・・・ありません。姉上の言ったことは本当です」
「どういうことだ?」
「母上は・・・姉上に折檻をしていました」
「まさか! マノンはいつもアンジェリーヌを気にかけていたではないか!」
「父上は知らないでしょうけど、幼いころから姉上が楽しそうにしたり話をしようとすると遮ったり、叱ったり、無視をしたり・・・・ひどいものでした。かげで・・・手もあげておりました」
マノンは隠れてしていたようだが、アベルは何度かその場面を見てしまっていた。
「なんだと?! なぜアンジェリーヌはいわない!」
「・・・母上が、『あの人はアンジェリーヌより私を選んだのよ』って、『あなたは見捨てられたのよ』っていつも言い聞かせていたので。余計なことを言うと追い出されるわよって・・・姉上は父上にも・・・頼ることは出来なかったと思います」
それを聞いてハッと侯爵は思い出したことがあった。
再婚してしばらくたったころ、マノンからアンジェリーヌとの関係で相談されたことがあった。
「アンジェリーヌがなかなか受け入れてくれないけれど、時間をかけて親子の絆を作るから心配しないで欲しい。ただ、私から暴力を受けたとか、いやなことを言われたとか嘘をつくかもしれないわ。それは、私が本当に甘えていい存在なのか試す行動だそうなの。だからあなたは見守るだけにしてね」と。
だから、アンジェリーヌがマノンに叩かれた、ご飯を食べさせてもらえなかったと泣いて訴えてきた時も、「そうか、わかった。お母さんだから厳しくするんだよ。お前の事を愛しているんだよ」
と、アンジェリーヌの事を否定しないように気を付けながら、マノンの優しさも伝えたつもりだった。
それからだんだん、アンジェリーヌはこれまでの明るい性格とは打って変わって、あまり話さない大人しい娘になり、侯爵にも何も言わなくなってしまっていた。
「・・・なんてことだ、あれは本当だったというのか! 私はなんてこと・・・お前はなぜ私に言ってくれなかった?」
侯爵は自分のうかつさを棚に上げて、八つ当たり気味に息子を責めた。
「僕も小さかったですから。物心ついた時からそれが当たり前だったし・・・長い間疑問を抱かなかったのです。それに父上は母上を信用していたのでしょう? 何より姉上の様子を見て何も気が付かなかったんでしょう」
その日々消えていく表情に、その助けを求める視線に、妻の服ほど買い換えてもらえていない服や艶を失っていく髪に。
たった一人の味方になりえた父に見てもらうことも助けてもらうこともなかったアンジェリーヌはすべてをあきらめていたのだろう。
「・・・。」
前妻が亡くなってから知り合ったマノンは優しくて思いやりがあり、子供が好きだと言っていた。
だから娘を任せられると思っていたし、実際上手くやっていると思っていた。
「・・・アンジェリーヌとゆっくり話をせねばならん。」