授業
「三角比の問題は面積とかとごっちゃにしないように気を付けろよ~」
数学の授業中、バレないように欠伸を噛み殺す。
と言っても窓際後方のこの最高の位置では、何かしていたって先生もそうそう気付けやしないだろう。
まぁスマホ弄ったりとかする訳ではないが……適度に肩に力を抜けるのはいいことだ。
「ねぇ生島~」
なんて考え事をしていると誰かが俺の袖を引く。
誰か、と言っても授業中で人の袖に触れられるのなんて隣の席の人間しかいないわけだが……
「……何だよ浅野」
俺の隣の席に座っているショートヘアの女子、浅野尊。
とにかく授業……というか退屈な時間が嫌いなようで大した反応を寄こさない俺にでもしょっちゅう話しかけてくる。
性格は、よく言えば能天気。悪く言えば怠け者だ。
期末テストも間近だというのに堂々と白紙のノートを広げてる。いい度胸してんなこいつ。
浅野は俺の袖を掴みながら教科書をもう一つの手でトントンと指す。
その所作に思わずため息が出る。またかよ……
「ここどういう事?教えて?」
「先生の話聞けばいいだろ……何で授業出てんだお前は」
浅野が指している箇所は丁度今さっき先生が教えていた三角比の公式について。
多方面に喧嘩を売ってることに多分こいつは気付いていない。
数学に限らず基本的に移動教室のない教科であればとりあえず分からないところを逐一俺に聞いてくる。
だが先生の話は全く聞かない。真面目なのか不真面目なのか……
「いや、生島の教え方分かりやすいからさ~ね?もうあと十回ぐらいしか頼まないからさ」
「予防線を張るにしても厚かましすぎるだろ……」
だが結局俺も断れない。何だかんだ言いつつもなし崩し的に教える流れになってしまう。
正直俺だってよくテスト前は美鈴に勉強を教わっているためあんまり強いことは言えない。
「だから、まず中学校で習っただろ?図形っていうのは大きさが違くても同じような形したのが並んでたらその互いの辺の長さの比は同じでそっから……」
「ちょっと待ってちょっと待って。そんなの中学でやってないよ?」
「えぇ……」
このように基礎知識がそもそも違う。
俺が基本勉強の際に美鈴に聞くことはややこしい応用問題の解き方。
だがそもそも数学と言うのは基本が掴めてなければ何もかも出来ない。
高校の数学の問題は大体中学に習った範囲が複雑化したような感じである。
即ち中学で基礎知識が身についてないならほぼ終わりだ。
「一応聞くけど中学で数学どんな内容やったか覚えてるか?」
「……数字の前にプラスとかマイナス付けるやつ」
頭を抱える。こいつよく高校受かったな。
いや、実際0の状態からテスト直前に追い上げて赤点回避する奴とかはいる。
とはいえさすがにこのレベルは……
結局一から十までを一時間足らずの授業時間で教えきれる訳もなく、休み時間を迎えた。
浅野は現状の深刻さを悟って肩をがっくしと落としている。
俺に責任があるのかは分からないが、そんな素振りを見せられるとこっちまで悲しい気分になってきてしまう。
「とにかく、授業は今からでも真面目に聞け。その上で教えられるところは教えるから」
「いいの?放課後とかでも……」
「予定無い日ならいいぞ」
最低限俺も出来ることをやる。
……と言っても俺も特別成績がいいという訳ではない。
その上浅野に教えることになるため、赤点とまではいかなくても他生の成績の下落は覚悟しておくべきだろう。
そんな俺たちの危うい未来に一筋の光が差し込む。
「大変そうだし、私も教えよっか?尊ちゃん」
声の主は美鈴だった。
「楽しそうに話してたみたいだけど……三角比とか分からないんだよね?」
いつの間にか俺たちの席の前まで来ていたようだ。浅野は美鈴の顔を見るなり目を輝かせる。
「マジで!?いいの!?」
「うん、出来る範囲でだけど」
言い終わるやいなや浅野は美鈴に抱き着く。
「もうほんっとありがと!美鈴ほんと天使!正直三角比以外もヤバいけど!」
「あはは……」
笑いながら美鈴はゆっくりと浅野を振りほどく。
微笑ましい光景に見えるが、ふと俺の頭には二つ疑問が浮かぶ。
何で美鈴は浅野が三角比どうこうについて悩んでることを知っているんだ?
だって、具体的な内容は授業中にこっそり話していたわけで……
美鈴の席は俺たちとは真反対の廊下側、さすがに聞こえないだろう。
にも関わらず寸分違わずピタリと内容を言い当てたのだ。
そしてもう一つ。
美鈴お前……目が笑ってなくないか?