妥協点
「おはよ、誠くん」
「おはよう美鈴……ちゃん」
ぎこちない挨拶を交わしながら二人並んで駅まで向かう。
名前の後に毎回ちゃんを付けなきゃいけないのが難しい所だ。
……ていうかこれやっぱ本当に学校でもやんなきゃダメなんだよな?
いつにも増して、美鈴に話しかける時は周りに極力人が居ないか注視しなければならない。
ため息を一つついて、心機一転を試みる。
ちゃん呼びはもうなるようになれ、だ。
「で、消しゴムの件なんだけどさ」
電車に入るなり話を切り出す美鈴に面喰ってしまう。
その話題にはまだ触れていない……ていうか触れずに風化させておくべきだと思った。
掘り下げても話が進展しそうな気配はないし、また美鈴が責任感を感じてしまうかもしれない。
現に俺が昨日一晩中考えても何の成果も得られなかったのだ。
この話題は負のループしか生まないと思っていた。
「や、その話は一旦だな……」
俺の制止は口元に出された美鈴の人差し指に遮られる。
人によっちゃ中々際どい現場に見えるかもしれないが、幸い周りの視線はスマホに釘付けのようだ。
美鈴は精いっぱいの笑みを浮かべる。
「大丈夫。色々吹っ切れたから」
力強く、そう答えたのだった。
俺はその言葉に少しの安心感とそこそこの迷いを浮かべる。
まぁ、表面上は元気そうに見えるのだが……
しかし気にしてない、ということもないだろうし…やせ我慢をしている可能性だってある。
俺は美鈴の内面を完璧には理解できていない。
故に無理をした厚意に甘えることになるかもしれないのだ。
それは酷な話だろう。
「ぃでっ」
そんなことを考えていたら額に微かな衝撃を受ける。
前を見ると美鈴が含み笑いを浮かべながら中指と親指をくっつけて……
要はデコピンの形を作っていた。ていうか普通にデコピンされたんだろう。
「しっかり否定させて、それは杞憂だから。私は探偵になったみたいで楽しいもん!」
俺の心境を瞬く間に読んで美鈴はそう諭してくる。
俺は煮え切らないような表情を浮かべた。
すると美鈴は視線を逸らしながら苦笑いをする。
「ていうかさ……私が約束守んなかったらちゃん付けを強要する資格ないじゃん?」
「……ん?」
その所作と言葉に俺は違和感を覚える。
「まぁね、正直私の一番の動機としては誠くんのちゃん付けをやめさせたくないからなんだ」
周りには聞こえないように小声で、美鈴は開き直ったように笑う。
俺はそれを聞いて、どんな表情をしたのだろうか。
正直自分でも分からない。
感情としては驚き、混乱、安堵、呆れ……そんな感じのものが混ざってたと思う。
気持ちの整理は出来ていないが、とりあえず言うべきことは決まった。
「……分かった。一先ずお互い約束は守ろうか」
俺は美鈴を一週間ちゃん呼びし、美鈴は俺と共に消しゴムの所有者について考える。
これをお互い順守するのが、現状での妥協点だ。




